西海ノ人傑〜江戸時代の改革〜 | 熊本城おもてなし武将隊武録ー雲外蒼天ー

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皆様方、此度は「西海ノ人傑」を開いて頂き、誠に感謝致しまする。
肥前国大村藩初代藩主 大村喜前と申しまする。



本日七月十九日は水野忠邦殿の生誕日に御座る。

水野忠邦殿は江戸時代後期の大名であり、肥前唐津藩主でもあった方じゃ。

水野忠邦殿が行った政策の中で最も知られておるのが「天保の改革」で御座る。
「天保の改革」は1830年から1843年に行われた幕政や諸藩の改革の名称であり、江戸時代の三大改革の一つに数えられておる。

此時代全国的な凶作、大飢饉、百姓一揆が起きており幕府は不安定な状況であった。
そこで水野忠邦殿は農民を重視した政策を行ったんじゃ。
其れが「天保の改革」である。
此「天保の改革」には大きく分けて三つの政策が御座った。

一つが"人返しの法"じゃ。

江戸に居る出稼ぎの者を農村に返す政策で御座り、江戸の人口を減らし農村人口を増やす事により米の収穫量を増やし、幕府の年貢収入を増加させる事が狙いであった。

二つ目が"株仲間の解散"であった。

株仲間とは幕府から営業の独占権を与えられた商人の集まりであり、当時は物価の高騰が庶民を苦しめておった。水野忠邦殿は株仲間が営業を独占しておるのが物価高騰の原因であるとし、株仲間の解散を命じたわけじゃ。

そして三つ目が"上知令"じゃ。

"上知令"は江戸や大阪周辺の大名を、幕府の直轄と致す政策に御座った。
豊かで年貢収入の多い江戸、大阪周辺の土地を没収し其の他の領地を大名に与える事によって財政収入を増やそうとする政策じゃった。

こういった政策であったがどの政策も失敗に終わってしまい、幕府の弱さが世間に見え幕末の動乱へと繋がっていく結果となってしまったわけじゃ。
然れど幕府の政治をより良きものとせんと政策を行った水野忠邦殿は然と幕府の未来を考えておったわけじゃな。

何時の時代においても政治というのは難儀なもので御座るのう。



さあそして!
今月七月二十七日に熊本城おもてなし武将隊六周年祭を森都心プラザホールにて執り行って参る!

此方の催しに参戦して頂くためには手形(ちけっと)が必要で御座る。
其方の販売が昨日より開始と相成った。

手形には二種類「一般席」と「プレミアム席」が御座る。
手形の購入申し込みは下記のゆーあーるえるより可能じゃ。


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之より先暑さが続く日と相成っておる。
熱中症にならぬ様、然と対策を行い日々を過ごして下され。



儂の武録はこれにて終い。





皆様方のお越しを森都心プラザホールにて待っておる!


大村丹後守喜前