皆様方、此度は「西海ノ人傑」を開いて頂き、誠に感謝致しまする。
肥前国大村藩初代藩主 大村喜前と申しまする。
此度は主計殿(加藤清正殿)、黒田官兵衛様、松井興長殿、南条元清殿、儂の五名にて城彩苑に出陣致した。
寒き中であったが多くの方が城彩苑に足を運んで下さった。
誠に嬉しいのう!
此度は皆に知って頂きたい事が有るのじゃ!
其れは、儂の家紋じゃ!
五木瓜紋(いつもっこもん)と呼ばれておる。
五木瓜紋は大村家七代当主 大村丹後守忠澄の時から用いられておった。
大村丹後守忠澄と其の兄弟、有馬遠江権守經澄の二人がおり、右大将源頼朝に御家人として仕えておった。
じゃがある年に京都大番役を務めた際、皇居の近くで火災が有り、兄弟二人は皇居を守り火を防いだんじゃ。
其の働きが天皇のお耳に達し、側近くに召されお褒めの言葉を頂いた。
その際に天皇から兄弟に「甜瓜」を下さった。
兄弟は直垂の袖で押し頂いたが、其の「甜瓜」の形が袖に残り、筆で書いたものの様に鮮明じゃった。
感激した兄弟は其れより以後、めでたい印として
家紋にしたと言われておる。
似た家紋に織田家の家紋が有るが、
大村の家紋には瓜に剣が有るわけじゃ。
肥前有馬家の家紋にも似ておるが、
大村家は外輪厚く剣が有る。
有馬家は外輪薄く剣が無い。
見間違う事が多々有ると思うが、是非皆に知って欲しいのう。
又、機会在れば話させて頂くぞ!
因みに…
主計殿の家紋は「蛇の目」じゃな!
勿論、知っとるじゃろ?
儂の武録はこれにて終い。
主計殿。
まるで…
「誰だと思っとるんじゃ?加藤さんじゃぞ?」
…言ってそうじゃのう!
大村丹後守喜前