十月九日
此度も清正一代記を書する。
熊本城おもてなし武将隊第四章〜百古不磨の章〜御披露目式。
滞り無く、執り終える事が出来た。
参戦せし者達よ、大儀。
新たに三名の武士が仲間入りを果たした。
先ず、新八郎こと大村喜前。
此の者とは仲が良く、此度仲間になってくれた事、儂が一番嬉しく思うておる。
実は前々から我等の動きを逐一把握していたらしく、此度の機会を虎視眈々と狙っておったそうじゃ。
続いて、松井興長殿。
細川家筆頭家老と云えば、知る者も多いのではなかろうか?
代々、細川家を支えた人物であり、即戦力になる事必至の人物である。
最後に、南条元清。
小西殿の家臣にして、我が家臣でもある。
築城の才を発揮し、忠義の心を持つ豪傑よ。
此の者達を加え、新たに歩み出す。
此度、官兵衛様の出陣叶わなかったが、官兵衛様の想いは確かに戦場に御座った。
先の式では、多くの者達が参戦し、共に盛り上げ、創り上げてくれた。
400年前、熊本城を築城した者の中に、今の熊本城の姿を想像出来た者が一体どこにいるであろうか?
築城主である儂も想像つかなんだ。
儂は戦に勝つ為に、堅牢な熊本城を築いた。
其れが今は世界中の者達から親しまれておる名所と成った。
悠久の時を経て、熊本城の在り方は変わった。
然れど、其の中でも変わらぬものがある。
其れは、熊本城が皆々の心の拠り所となっておる事じゃ。
昨年の震災で我が城は痛々しい姿となったが、崩れ去る事なく、傷付きながらも雄々しく聳え立っておる。
見方を変えれば、此れから熊本城が元の姿に戻る場面に立ち会えるのは我等にしか出来ぬ事じゃ。
西南戦争の大火に見舞われ失ってしまった天守閣は、1960年に領民達の力によって蘇った。
其の折、訪れる者達が皆、正装で身を包み訪れた。
そして、今。
此れからの熊本城を一目見ようと、足を運んでくれる者達が仰山おる。
其の想いが誠のものならば、必ず受け継がれる。
今を創れるのは今を生きておる者にしか出来ぬ。
亡くなっていった者や、此れから産まれてくる者達に今を創る事は出来ぬ。
なれば、我等は今の熊本城の事を後世に伝え、繋いで行くべきではなかろうか。
先人達が血や汗を流し、護って来たものを、後の時代を生きる者達へ繋いでいくのじゃ。
我等は其の前線に立ち、此れからもおもてなし成して参る所存。
此れから先、我等武士とどう接して良いのか分からなくなる時もあろう。
我等も皆々とどう寄り添えば良いのか分からぬ時もあろう。
然れど、皆々とならば、此れよりの道を共に歩めると信じておる。
第四章〜百古不磨の章〜を宜しくお頼み申す。
本日で夏装束は一旦見納めとなった。
明日よりは、式で披露した姿で会おう。
披見、大儀であった。
履
道
応
乾
◎加藤肥後守清正