ゆるゆるフォトライターmamadasの日常と仕事
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9月28日・29日、イタリアに興味のある人、集合!! イタリアで撮影した写真展やります!!!

うぉおぉぉ、1年ぶりの投稿です。

さっそくですが、大きなお知らせをひとつ。

実はこの3月イタリアに行って来たのですが、

その時に撮った写真の展覧会を開きます。

 

旅行中は雨続きでしたが、私にとってはラッキー。

雨模様のイタリアなど、撮る人もいないだろうし、

雨模様だから出会える光景もたくさんあるだろうと思ったからです。

 

その思惑通りというかなんというか、

手応えのある写真が結構、撮れまして、

旅行を主催したイタリア会館・福岡のレオナルドさんと

デザイン事務所ロト・ビアンコの菊岡真由美さんに

なにげに写真展でもやろうかなんて話したら、

やろう、やろうということになって

9月28日(金)・29日(土)、イタリア会館・福岡で実現の運びとなりました。

 

両日とも大型プロジェクターによる投影のほか、

私お気に入りの10枚を大きくプリントして展示。

プロジェクターを使うのは

私的にいいなと思える写真が多く、

とてもプリントだけでは無理だと思い、

訪れた土地ごとにスライドにまとめ、投影する形をとりました。

 

両日の詳細はチラシを見ていただくとして

(チラシはレオさんのデザイン。すごくいい感じに仕上っています)

29日は私やレオさん、菊岡さんの

スライドトークショーのイベント(有料)も開催。

その後、交流会(有料)も開きます。

 

交流会にはレオさんや菊岡さんのほか、

イタリア人留学生も参加。

名シェフとして知る人ぞ知るレオさんお手製の料理と

イタリアワインをいただきながら、

イタリアについて大いに語りたいと思います。

 

イタリア人と交流したい、イタリアに興味がある、

いつかイタリアに行きたいという人、ぜひご参加ください。

 

 

久々の更新! 奈良取材旅

久々にブログを更新。だいぶ仕様が変わっていて戸惑ったが、

アップがすごく便利になった。

 

さて、先日、仕事で奈良へ行ってきた。

仕事に先駆けて、前から行きたいと思っていた金峯山寺や大神神社、

新薬師寺などを訪れた。

 

全行程、ほぼ近鉄での移動。特に橿原神宮駅前を過ぎると

金峯山寺がある吉野駅まではぐっとローカル色が強くなり、カーブも連続。

それも後ろの車両から先頭車両がしっかり見えるほどきついカーブが多く、ワクワク。

撮り鉄したくなったが、車じゃないので我慢。

 

金峯山寺はやはり桜の時期が賑わうのか、人もそんなに多くなく、

(それでも欧米系の観光客が結構いたのにはびっくり)のんびり。

大神神社も新薬師寺もゆっくりできたのはよかった(京都が異常に混み過ぎ)

 

特に新薬師寺の仏像は素晴らしかった。興福寺の仏像の臨時公開も見たけれど、

博物館などで見るよりお堂の中に安置されているのが本来の姿なので、

そういう意味でも新薬師寺の仏像は印象に残った。

(以前、訪ねた秋篠寺も本来の姿でお堂に安置されていたので今も印象深い)

 

新薬師寺近くにある入江泰吉記念奈良市写真美術館も訪ねたが、ここもよかった。

今回は仏像写真が多かったが斑鳩を撮った風景写真に惹かれるものがあるので、

そういう公開の機会があれば再訪したい。

 

そういえば今回取材した人は入江泰吉第一の弟子だったそうで、驚いた。

こういうこと、あるんですね。

 

今回はならまちの奥の方に泊まったのだけれど、

京都より落ち着いていて好印象。

(京都はまちが大き過ぎるし、バスにも乗れないほどの混雑にはうんざり)

奈良のよさを発見した旅になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年も3.11のこと、アップします

私の生涯のなかで忘れられないこと。

それはいろいろあるけれど、あの3.11はやはり特別だった。

たまたま東京にいて揺れを体験し、テレビ中継を見て驚き、さらに現地を取材して心が震えた。

 

今年も3.11後に、綴ったブログをアップします。

 

 

 

東京・市ヶ谷駅で総武線を降りた途端だった。ゆらりときた。まるで大きな船にでも乗っているかのような長い周期の揺れだ。


3月11日。大学の広報誌の編集打ち合わせで東京に出張。時間に余裕をもって飛行機の便を選んだつもりだったが、予想以上に羽田からの移動に時間がかかり、少々あせりながら総武線の先頭車両を降りたときそれはきた。


地震だった。
 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

すぐ揺れは収まるだろうとタカをくくっていた。しかし、なかなか収まらない。とにかく15時スタートという会議に間に合うよう日テレ通りを歩き出したけれど、まだ揺れている。


情報を取ろうと、てっとり早く福岡の事務所に電話。すると東北地方で震度7以上の地震が起こったという。だが、そのとき知り得た情報はそこまで。


携帯からニュースを見ようにもつながらない。再度、事務所に電話をかけたが、
もうつながらない。これじゃ、なんのための携帯なのか。


とにかく会議場所に行ってみると、すでに集まっていた編集スタッフのみなさんも不安そう。それでも、会議は始まったのだけれど、なかなか揺れは収まらず、時に下から突き上げるような縦揺れもまじって落ち着かない。


会議自体は30分も続いたろうか。でも、揺れは止まる気配を見せない。会議中も携帯でニュースにアクセスを試みるが、まったくつながらず。情報がないとこんなにも不安になるものなのかと実感する。


それでも揺れ続けている時間から考えると、相当大きな地震だということはわかった。しかし、映像を見るまで、被害の大きさがわからなかった。


会議がひと区切りついて、隣の部屋にあったテレビを見た。


ぼうぜんとなった。


東北地方が津波でとんでもないことになっていたのだ。見入っていたスタッフの間からもその惨状に「うわっ」とか「ひどい」とかの断片的な言葉しか出てこない。


中継映像に人が乗ったままの車が津波に流されるさまが一瞬まじり、息をのむ。結局、会議はお開きになったのだが、首都圏はほとんどの電車が運行をやめるか、大幅な間引き運転で大混乱となり、スタッフも帰れない人がほとんど。


わたしも宿泊予定のホテルまで行けない。いわゆる帰宅困難者になったのだが、大学側の好意で建物1階が開放されることになり、そこに泊まることになった。


窮屈な格好でソファに寝入ってしまったため、体のあちこちに痛みを覚えながら起床。大学や、誰かが差し入れてくれたパンなどをいただく。そうこうするうちに福岡に帰れるか不安になったが、午後の便はほぼ定刻通り飛ぶことが、携帯を通してわかったのでひと安心した。


ところがテレビでは空港が大混乱しているというので、スタッフのみなさんへのあいさつもそこそこに、とにかく羽田をめざす。

 
運よく、電車の接続もスムーズでなんとか空港に到着したが、空港ビル内はいつもの様子とはまったく違っていた。一夜を過ごしたであろう人があちこちに疲れた表情で床にすわりこんだり、寝そべっている。カウンター前にキャンセル待ちの人が長い行列をつくっており、確かに大混乱していた。


でも、印象的だったのはみなもの静か、というか、進まない行列に叫んだり怒鳴ったり、大きな声をあげる人がおらず、じっと耐えているというか、今の状況をすなおに受け入れている。逆にヒステリックな空港アナウンスが耳障りでしょうがない。

 
そういえば、地震直後の東京のみなさんの行動にも驚いた。泣き叫ぶでもなく、怒号を上げるでもなく、落ち着いて周りの状況を判断し、集団ヒステリーを起こすこともなく行動している。あの、ゆらっと来た瞬間、パニックに陥ることなく、すみやかに電車から降りる姿には感動すら覚えた。


地震に対する心構えが違うのだろうか。


さらにあれだけ揺れたにもかかわらず、翌日、電車から見た街並みに建物の崩壊もなかったことにも驚いた。昔のモルタル造りのアパートもちゃんと建っていたのだ(部屋のなかまではわからないけれど)


そんなこんなで、なんとか帰福。帰宅する途中、ついでだからと、先ごろ開業したJR博多シティによってみた。

どの店も大にぎわいだった。それはいいことだけれど、目の前に広がる平和過ぎる光景と、ついきのう見た東北の映像や自分の体験とのギャップが大き過ぎて、言葉が出なかった。

 




2011年6月のブログ



ここ半年、かなり忙しく、このブログも3月の大震災に東京で遭遇したことを書いて、しばらくちゃんと更新していなかったが、ついにその被災地に取材で行くことになった。


最初に訪れたのは塩竈市。市長にインタビューしたのだが、話を聞くと浦戸という大きな島が市の沖合にあって、それが大きな防波堤の役目を果たしてくれたそうで、市内の中心部は水に浸かる所もあったものの、建物が全壊するような被害はあまり出なかったという(もちろん島では建物が流されるなどの大きな被害を受けている)



実際、市内を歩いても地盤沈下している箇所は見られたものの、報道で伝えられているような一面壊滅という状況ではなく、建物はかなりしっかり残っていた。

 

 

 


 

駅近くにあるお寿司やさんも元気に営業中だった。よし、これは地元に貢献しなきゃ、なんていいながら、取材チーム一同でおいしい魚やお寿司をいただくことにした。
 



板さんに話を聴くと、建物は流されなかったらしい。でも、「ここまで水は来たんですよ」と指をさしてくれた。
 



お店は4階建てだそうで、板さんは波が来たとわかった時点で、急いで3階まで上がったという。


こういう立ち直った店(でも、改装などにかなりの借金を背負ったらしい)のことがあまり伝えられていないのでうれしかったが、それはほんの一部であることが翌日訪れた気仙沼でよくわかった。


一部の報道で、被災地はもう落ち着いたみたいに思っている人もいるようだが、5月末時点での現実はこうである。


気仙沼では地元新聞の記者を取材したのだが、彼も知り合いなどからそんな電話が入ると憤っていた。現地ではようやくがれきを片付けるための道路が形を現した程度に過ぎず、まだまだ復興に向けてほんの小さな一歩しか踏み出せていないのだった。


塩竈では観光客に戻ってきてもらうためと、住民の意気を上げるためにも夏祭りは絶対やるそうだが、気仙沼ではそういう状況だから、早々に夏祭り中止が決定されている。


一応、6月に基幹産業であるカツオの水揚げが再開できるよう市はめざしているそうだが、それも裏付けがあってのことではなく、目標を立てることで復興への意気を上げようということらしい。実際はカツオが水揚げされても市場がない、倉庫がない、流通のためのトラックがないなど、関連産業は壊滅状態で、ないない尽くしなのだ。


 驚いたのは市内を流れる大川という川の両側で、被害状況がころっと違うことだ。


川の手前の地区は壊滅。でも、川向こうにはしっかり家が残っている。同じ気仙沼のなかでもこうも違う。


先述したように同じ東北でも復興に向けて進んでいるところもあれば、気仙沼のようにまだこれからというところもあり、事情は自治体によって異なるし、その自治体内でも地域によって被害規模が大きく違う。

 
このことはやはり現地に行かないとわからなかったことだ。

それにしても、政治の軽いことよ。

あの人たちは現地でなにを見てきたのだろう。

 

 



 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

 

いやはや、半年ぶりの更新。

2017年、仕事始めはこのブログの更新からでした。

 

昨年は厄年。しかもおみくじで大凶を引いいたものの、

大病もせず、なんとか無事に過ごすことができました。

さて、今年はどうなることやら。

 

例年ですと、1月はゆるやかなスタートになるのですが、

おかげさまで前半はすでに仕事が詰まり気味。

 

その月になってみないと

どれだけ仕事が舞い込むかわからない稼業

(うちの事務所の場合)ではありますが、

健康に留意し、一歩一歩、進んでいくことにしましょうか。

写真展のご案内

ひさびさのブログ更新。

このたび、ご縁があって、わたしが1992年から10年ほど暮らした佐世保市で写真展を開くことになりました。

ご縁というのは、写真展会場である佐世保市博物館島瀬美術センターの館長、安田恭子さんのことで、昨年、たまたま佐世保での仕事の帰り、館長をお訪ねしたら写真展を開きませんかとすすめられたのです。

安田さんとは、わたしがハウステンボスでハウステンボスニュースという来場者向け広報紙の編集長をしていた時からの知り合いで、安田さんは当時、ハウステンボス美術館の学芸員を務めておられました。

今回は佐世保市で開くということで、長崎や佐世保に関連した写真を選んでの展覧会になります。

話をいただいたのが昨年10月。まだまだ先だと思っていたら、あっという間に開期が迫ってきて、少々、あせっているこの頃。よろしかったらお越しください。

期間は6月20日の11時頃から6月26日の17時まで。途中、火曜日が休館です。
初日と最終日は会場に控えていますので、お会いしましょう。
もちろん、観覧無料ですよー。

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