世界大会当日に母が倒れました。 | 絵画教室 アトリエかじがやのブログ

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こども、おとな向けに川崎市高津区梶ヶ谷で絵画教室をしています。今年で10年目になります。

ちいさなアトリエで、最大四人でゆっくり楽しくアートに触れることが出来るお教室です。
世界児童画展コンクールに挑戦したり、4月には展覧会をしています。

こんにちは。

前回の更新から時間が空いてしまいました。

母の具合は悪いままで思うようにSNSを更新する心の余裕がなかったのですが、あれから二週間経って少し気持ちが落ち着いてきたので、これを書いています。

 

とても辛い事でしたが、6月1日のアートバトルlimitsワールドグランプリ当日に母が救急車で運ばれました。

 

運営さんのご好意で、2日の出番の自分は1日の朝に渋谷のヒカリエにから直に実家まで新幹線で飛んでいきました。

病院について、母はかなり脳梗塞と膵臓癌の進行によりぐったりしていました。

昨日までは、自宅で療養できていたのに。

 

そして、夕方になり落ち着いたので、東京に戻ろうとしました。

すると、母の様子が急変しだして、もう自分はダメだ、自分でわかると言いだしました。

 

ガンになって半年、一度も自分からダメだと言ったことの無い母でした。

これはおかしいと思って兄弟を呼び、自分の子供も呼びました。

母の体調はどんどん悪化して、これからどうなるかわからないと覚悟しました。同時に、私は東京に戻ってリミッツに出ることを諦めました。

 

母に「今日はもう帰らないから、大会は諦めてこっちにいるからね。」と伝えると

「そうね、そうね、大会は来年もあるもんね。」

そう言って嬉しそうに歯を見せてにっこり笑いました。

絵の練習続きで、中々実家に帰れなかったので、母は寂しかったのだなと涙が出ました。

練習はほどほどにして、もっと帰ってきてあげればよかったと後悔しました。

その日、苦しそうにしていた母が唯一笑顔になってくれた瞬間でした。

 

1日の夜に運営さんと相談して、世界大会の辞退を決めました。

無理して出て、その間に母に何かあったら一生後悔すると思いました。

それでも、コツコツ勝ち進んできてやっと出場できることになった世界大会だったので、「本当によろしいですね?」と運営さんに聞かれた時は、正直グッときました。

でも、母は世界に一人で母との時間は今しかない。

そう思って次の日も母の元にいました。

夜も母の元にいました。

母は、次の日はもう脳梗塞が進んで喋ることができなくなっていました。あの時、母の側にいれて笑顔にさせてあげれてよかったと思います。

そばで見ていた弟も、

「姉さんを大会に出させてあげたかった。だから終電でも東京に帰らせてあげたいと思ってた。でも、母さんのあの笑顔を見たら、姉さんの決断は正しかったなと思ったよ」

そう言ってくれました。

 

ずっと10年間絵画教室をやってきて、アーティストとして自分の力を試したくて、憧れていたリミッツに挑戦してよかったと思っています。

今回は、母のことがあって当たり前にあることは当たり前ではない、しみじみ家族の大切さ改めて考えました。

その想いも次の作品やリミッツでは表現していきたいと思っています。