村田。
「リクルートできちゃう旅館の和装ユニフォーム」ならおまかせの
布の力久磨衣(くまい)の安達美和です(^◇^)
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先日、あるネット記事を読んで度胆を抜かれました。
わたしには元々、変な空想癖があって、「岩を主食にしている人間がいたら面白い」とか、「蜜蜂に求婚するおじいさんがいたら会ってみたい」とか、そういうバカバカしいことをぼんやり考えています。でも、その記事に登場する人々は、そういう空想をはるかに超えていました。いくら途方もないことを考えがちのわたしでも、まさかこんな人たちが現実にいて、実際に苦しんでいるなんて思いもしませんでした。
十数年前に、「三年B組金八先生」というテレビドラマをきっかけに「性同一性障害」という言葉が一気にメジャーになったことを覚えていますか? 少なくともわたしがあの言葉の存在を知ったのは、あのドラマがきっかけでした。
「身体と脳の性別が一致しない人」のことを、そう呼ぶのだそうです。呼ぶのだそうですなんて他人行儀な言い方をしてしまいましたが、実際、わたしの友人の数名も、性同一性障害です。
不思議だなと思ったのは、現実に形としてある「身体」よりも認識としての「脳」が優先される点です。身体が女性である、ないしは男性であるということは、形を見ればハッキリと分かる事実であるにも関わらず、本人にとってはその事実よりも認識が優先されている。最初にそういう人と友人になった時は、正直、驚きました。苦しいだろうな、とも。人に分かってもらいづらいだろうな、と、そう思いました。
でも、現実にそういう人と仲良しになり、たくさん話をしているうちに、その存在はわたしにとって当たり前のものになりました。完全な共感はできないけれど、少なくともひとりの人間の中にも、女性性や男性性は共存しているはずです。性を「認識」というポイントから考えるなら、自分の中にだって男性の部分が眠っているし、ことさらその人たちを特別なものと思わなくても良いなぁ、なんて。(いえ、その悩みが軽いものという意味では決してないですよ。実際、胸が痛くなるくらい苦しんでいる姿を、見せてくれたこともありますし)
実際の身体と、脳の認識がズレている人たちが存在する。これはわたしにとって、ある意味当たり前のことになりました。でもまさか、「性」以外にも、そのズレに違和感を持っている人がいるなんて……。
身体完全同一性障害、というのだそうです。
簡単に言ってしまうと、「五体満足であることに耐えられない」障害なのだそうです。
生まれつき自分の左足の違和感が拭えない。自分のものではないと感じる。その結果、切り落とそうとしたり、そうでなくても足を縛って片足で歩こうとしたりする。記事にはそんなようなことが書いてありました。
あまりの衝撃で、その記事を読んだ後はしばらく何も言えませんでした。本当にそんな人がいるのか、現実に。性同一性障害を持つ友人にその話をすると、気持ちは分かるなぁ、とうなずいていました。
この自分の衝撃の受け方を考えるだに、やっぱり自分は無意識のうちに、「五体満足を普通で当たり前」と捉えているんだなぁ、と実感しました。
現実として形があるにも関わらず、それを脳が「違う」と否定する。
「なんでいらない左足があるんだ」、「なんで自分にはペニスがないんだ」。
本人の脳だけがハッキリと、正解を知っていて、それを求めている。
わたしには、ない感覚です。自分の鼻がもっと高ければ良いのにとか、そういうぼんやりした願望レベルの話ではないことは分かるのですが。でも、もう少し枠を広げてみると、一度だけ、それに似た感覚を覚えたことがあります。高校生の時、演劇部に入部した時のことです。
当時、わたし達の学年は全部で8人でした。毎年、必ずひとりかふたり、途中で退部するのが常だったようですが、わたし達は幸運なことに、入部時と卒業時の人数が変わりませんでした。ずっと8人でした。8人。
でもわたしは、入部当時から妙な感覚があったんです。
8人? なんだか変じゃないか? だってわたし達は、9人のはずなのに。
ひとり、足りない気がしていたんです、いつも。
なぜか、一年生の時から、わたし達は8人なんかじゃないはずだと、確信を持っていました。わたし達は、絶対に9人のはずだ。
わたしがあまりにそうやって騒ぐので、ある時同学年の部員のひとりがわたしに尋ねました。
足りないって、誰が?
わたしは、すぐに答えました。
村田がいない。
質問した部員が、は? 村田? と尋ねました。わたしは、なんでこんなにキッパリと答えたのか訳が分からず、でも、足りないのは「村田」という部員であることだけは、ハッキリ分かりました。
すると、違う部員も面白がって、村田はどんなヘアスタイルなんだとか、身長はどれくらいなんだとか、次々に尋ねてきました。わたしは、村田はロングヘアで身長は150㎝もないと答えました。どうしてこんなにわたしは村田のことを知っているんだろう、と我ながら不気味でした。というか、その村田って、誰なんだ。
この遊びは、わたし達が演劇部として活動していた2年のあいだに、時々思い出したようにくり返されました。
村田は今日の地区大会は来ないの? と誰かに聞かれれば、村田は弟の面倒を見ないといけないから今日は来ないと答えましたし、村田の今日のお弁当はどんなだった? と尋ねられれば、村田は今日は購買でコロッケパンを買っている、コーヒー牛乳と一緒に、などと返しました。
なぜか、わたしには、村田がいないことが不思議で仕方ありませんでした。わたし達と同じ演劇部員のはずなのに、なぜか一度も練習に出てこない村田。村田は、音響スタッフのはずなのに。先輩の前にみんなで正座して、9人でお叱りを受けなければいけないはずなのに。
どうして村田はいないんだろう。
「村田ごっこ」は、もちろん遊びだとみんな分かっていましたが、その実、密かにわたしだけは、村田の不在が妙に思えてなりませんでした。村田はどこにいるんだろう。誰ひとり退部者はいないのに、わたし達の学年だけ永遠にフルメンバーにならない。
わたし達の学年は、結局最後まで8人でした。途中で辞める部員が必ず毎年ひとりは出るのに、わたし達は入部時と卒業時の人数が変わらず、なんだか妙に嬉しかったのを覚えています。それでも、なんだかやっぱり、淋しい気がしました。やっぱり、村田はこなかった。一度も。
卒業の時に、部員の誰かが言いました。
「村田も卒業だね」
そうか、一度も会わないまま、村田は卒業してどこか別のところへ行ってしまうのか。そう思ったら、バカみたいですがちょっと泣けました。
他の部員達がなんの気なしに、
おめでとう、村田。
おめでとう。
おめでとう。
口々に言ってくれました。
一度もお目にかかったことのない、「村田」という名の9人目の部員の卒業を、みんなで祝いました。錯覚であることは分かるのですが、卒業証書を片手に遠ざかっていく小さな背中が、校門のあたりに見えたような気がしました。
在学中、一度も会うことができなかった村田。
もちろん、卒業してからも、わたしは村田に会えていません。初めて会った瞬間に「村田はこの人だったのか」と雷に打たれたこともありません。でもなぜか、わたしは村田のことが忘れられません。高校を卒業して、15年が経った今でも。
あの、「なぜかひとり足りない気がする」という奇妙な感覚は、一体なんだったのでしょうか。しかもその足りないひとりのことを、自分は確実に知っているというあの感覚は。今となっては分かりませんし、そもそも現実には何も起こってもいないので考えるだけムダではあるのですが。
この先、わたしが村田に会うことはあるんでしょうか。分からないけれど、もしも会えたらその時には、やっと会えたねと言おうと思います。