わたしの昔の友人に、不思議な女の子がいます。
「リクルートできちゃう旅館の和装ユニフォーム」ならおまかせの
布の力久磨衣(くまい)の安達美和です(^◇^)
オリジナル暖簾や館内着・羽織なんかも企画製造してるんだぜッ
彼女は、とても美人で、とても賢くて、ファッションセンスも独特なんだけど決して浮いているわけではなく
オシャレで、さらに歌も上手で。そして、ビックリするほど自分に自信のない人でした。
初めて彼女に会った時、わたしは思わず、「さすが東京……!」 となぜか彼女単体ではなく、土地ごと誉め讃えるというへんてこなことをしてしまいました。でも、狭い世界にいたまだ若いわたしにとって、彼女こそ最初の東京の象徴だったんです。
わたしは彼女のちょっと斜に構えた振る舞いや、美人なのに平気で顔面崩壊レベルの変顔をさらすところや、素晴らしく豊富な知識を尊敬していました。もちろん、羨望も多分にありました。この人は、生きるの楽しいだろうなぁ、と彼女のスッとした横顔を眺めることも度々でした。
でも、不思議なもので、彼女は自分を美しいとも、頭が良いとも、優れているとも思っていないようでした。少なくとも、わたしにはそう見えたんです。それどころか、彼女は、自分がいかに劣っているかを、妙に巧みな話術で話して聞かせたりしました。そんなところに溢れる才能を発揮しなくて良いよと、よく思いました。
もしかしたら、同性からの嫉妬のまなざしを避けるために、わざとそういう振る舞いをしていたのかもしれません。でも、そこまで計算できるほど、冷静な人ではなかったような気がします。もしくは、「自分が様々な面で恵まれている」ことを、恥じていたのかもしれません。明るい道を大手を振って歩くことのできる自分を、認めたくなかったのかもしれません。わたしは彼女ではないから、結局そのあたりは分からないけれど。
たくさんの素晴らしい素質と才能を持ちながら、なぜかその扱いに困っている人。
それが、わたしの彼女への印象です。
最近つくづく思います。条件がいくら整ったところで、自分が自分を受け入れる用意がないのなら、並べられた素晴らしい条件も意味がないのだな、と。結局、自分が自分を好きになるために必要なことは、無条件で自分を受け入れると決めることなんですね。わたしには彼女が、自分を好きなようには、やっぱり見えなくて。
美しくて、賢くて、東京の象徴のような昔の友達のことを、久々に思い出した夜でした。