昨日の記事では

自分の内にある過去のエネルギーが

現在の今(物事や人)と「つながって」

影響していることや


エネルギーとエネルギーが

くっついて反応を起こしていることを


私の体験を通して

皆さまにシェアしていただきました☺️






では今日は

くっついているエネルギーを

どんどん剥がして純粋なエネルギーになってくると

どうなってくるか、お話させてください☺️





私と母は小さい頃から

よく喧嘩をしていました🔥


それで喧嘩になりお互いに怒ると

「意地」という土俵にのっていたんです。




母は一度喧嘩になると

ずっと気持ちを立て直せないし


私は筋金入りの頑固ちゃん



以前ブログにも書きましたが

小さい頃怒ったあまり

レストランで食べずに3時間

立っていたことがあります🤣



なので

喧嘩はびっくりするくらい

長く続くことがありました😱




大人になってからも


旅行中に喧嘩してしまい

謝ったけどどうにもこうにも仲直りできず

私から別行動をしようと「離れる」

選択をしたこともありましたね😅

(帰ってからもかなり長引いた)




ですがすべては

お互いの学びのために

無意識や魂的には了解していたことで


他人ではない「母」だからこそ

深く学ばせてもらえたと

そんな役割を引き受けてくれた母には

感謝しています😌✨




(今日は蓮の写真です)





私が母に怒ったのは

最近で言うと昨年の夏になります。

集大成でしたね〜。



小さいときからやめてほしかったことをされて

私は怒ったのです🔥🔥🔥




ですが母はその日

思い出に残るような

楽しいことがあった日だったので


私の中では

そんな日を台無しにするなら

怒りをぶつけなくてもいいのではないかと

葛藤もありました。



だけど

それは私はNoだよ!

と、はっきりさせるには

ベストタイミングでもあったのです。


だからこそ

こんなに怒っていて

こんなに反応もしているわけですからね。


 



葛藤しながらも母を前にすると

私の中で自然に母に接することができず

思いっ切り、反応していました。


すると母が「怒ってるの?」と

問うてきたんですね。



そこから自分でもびっくりしましたが

怒りが言葉になりました。

(母が引き出してくれる役を

 引き受けてくれたのでしょうね)



「やめてほしい!」

という怒りはこんなにあったのかと

自分で言いながらびっくりしましたね〜💦




だけどその怒りを出して

やめてほしい、と伝え

母にその想い(エネルギー)が通じたのを感じると


私の中の怒りはなくなっていて


いい日になるはずだったのに

私が怒って最悪な気分にさせたことは

謝るね、ごめんね

と、母に言っていました。



母はと言えばポカンとしながら

「すごい怒ってたんだね」

と言いました😦



以前の私と母のつながりであれば

喧嘩は長期戦に突入、間違いなしです。


ですが

母は少し席をはずしましたし

いつも通りニコニコとまではいきませんでしたが


その後一緒にごはんも食べ

帰りも私を見送ってくれました。



喧嘩にならなかったですね。



そのときのことが

嫌な思い出になってもいないようで

あの日あった楽しい思い出のほうを

最近、私に話してくれました☺️






くっついているものを剥がし

純粋なエネルギーにすると

起こってくることがシンプルになります。


だから長引かないし

相手や自分を追い込んでいかない


相手と対等に

「伝え、伝わる」という境地にいられます。




そうなると

『怒り』は純粋な感情として心におさまっていて

いつでも出せるところにはあるけど

出す機会が減ってきます。








「怒り」は人がもつ自然な感情です。


出すことに抵抗があるとすれば

出すことで、やってきたことやつながりが

「終わってしまう」こともあり


相手を傷つけてしまうこと

そしてその姿を見て

自分も傷ついてしまうことを感じているからです。


だからできれば見ないようにしたい


なんなら

自分が目をつぶっていればいいかとさえ

思うこともあります。



だけど

だからと言って

反応が起こったまま内に溜めていると


「なんでそんなところで出してしまったんだろう」

というところで出てしまうことがあります。



そうすると

別の『怒り』につながってしまうんですね。




また、怒りが起爆剤になり

そのエネルギーで動けることもあるけど

それで動けたとしても

また同じエネルギーにぶつかり

堂々巡りになってしまいます。



だとしたら


他の誰でもない「自分が怒っている」ことを認め

怒っていてもいいことを許可した上で


出すタイミングや出し方を

自分と相談することは大事なのかなと思います。



自分と相談をしていると

私のように出てしまうことがあっても

起こるべくして起こった

怒るべくして怒った

と納得がついてくるんですね。


そしてそれが境界線を作るという

自分と相手の関係をフラットにできることに

つながったりもします。



『怒り』を体験し葛藤することは

自分を知り

それまでの自分を脱皮して

より成長した自分になれる

チャンスなのでしょうね。