今朝、郵便局の配達員の人が「切手が貼られていない封書で 料金を支払って受け取りますか?」と聞いてくださったのだけれど

 

 差出人は不明で 宛名はシールに印字してあって、茶封筒から透けて小さめの紙を二つ折りにしてあるのが見えたから

 

 これは脅迫文書の類だな...と感じたので 受取拒否をした。

 

 郵便局員の方も「差出人不明で これは怖いですね...」とおっしゃられた。異様な雰囲気のある封筒だった。

 

 

 

 

 

 ↑こういうブログ記事を書いているから、匿名の脅迫を送りたくなったんだろうと予想している。

 

 わたしはわたし自身の名前を出してブログ記事を書いている。匿名のブログではない。

 

 

 なぜ 今回 踏み込んだ形でブログ記事を書いているのかというと 過去の悔やみきれない後悔と深い反省があるから。

 

 広瀬小学校の廃校の反対をしていた時も、匿名の脅迫のような葉書が届いたし 実際の脅迫も受けた。

 

 そういったことを含めて、ブログ記事に書いていればよかった という後悔がある。広くこのような問題があることをブログ記事に書いていれば もしかして 広瀬小学校の廃校は止められたかもしれない...

 

  そんな風に今も思っている。

 

 当時は市議会議員で、守秘義務を破ることを恐れて ブログ記事の発信は動けなかった。

 

 だから、今 わたしはフリーの立場 一般市民の立場で自由に記事を書いている。これは市議会議員の立場では難しい、できないことなんだと理解している。

 

 

 市議会議員は 市民の代表として選挙で選ばれているから

さぞや「権力」がある と市民の人たちに思われているように思うけれど 

 

 実際は「権力側」ではなくて「市民側」「行政権力の監視者」であるから 市民の代表として 名前の連呼をする選挙で選ぶということが相応しいのかどうか?とわたしは前から疑問に思っている。

 

「行政権力の監視者」としてふさわしい資質を 例えば論文試験などを課してその内容を公開するなどしても良いのではないか

 

 行政権力が暴走しても、議員1人では止められないし、議会で過半数がまとまらなければならない。

 

 

市民に代わって 行政の権力を持つ市長と

市民に代わって 行政の権力の監視をする議員が

同じような 名前を連呼するような選挙で 

市民から選ばれるというのも 役割の誤解を招いているのではないか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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