(1月25日のマニッシュのあわたま禅タロット寺子屋

「最後の一枚」冒険 そして 幻想を超えて...)

 

 

「ほんとは 知ってたんだ...」

 

わたしにとっての正解!

 

ということを知って

わたしは 今 ぼーーーーっとしている

 

お正月にめっちゃプンスカが起こったことを

自分の中で向き合って...

 

今まで10年間取り組んできた

ベーシックインカムや政治経済での

「ひとに寛容である」ということのまちがえ

というか

 

「わたしの中に非寛容な部分があるということをわたし自身が寛容するということ...」に至って

 

ほんとうはイヤなことを手放す

 

 

 

そして、それからイベントで

ミラクルうれしいことも連続して起こって...

 

 

ぼーーーーーーーっとしている。

 

 

 イベントもベーシックインカムと同じく

10年間やってきたことだったから...

 

 なんでイベントを企画することが面白かったかというと

自分がこれは「超すごい!面白い!」って思ったことを

自分の知らないまだ出会ったことのない人たちにも

「すごく面白い!楽しい!」って思ってもらえるかどうか?

 

「どうなるかわからないこと」に対して真剣勝負でバクチを打つ!みたいな感覚が面白かったんだと思う。

 

 イベントの集客が少数だと、「この人数に深淵な意味があった。少人数でなければならなかった...」と深い喜びに満ちながら、遠方からお越しいただいた先生の交通費でイベントの収支は大赤字!とか、そういうのも含めて、面白がっていたところがあったと思う。

 

 

 なんと参加者が0のイベントは「これは宇宙的計らいで人払いが起こってしまった...」など大笑いしたりして、それはそれで素敵な時間を過ごして、面白がっていたんだけれど...

 

 

 「どうなるかわからないこと」を楽しんでいたんだ!

 

 ということに気がついてしまった...

 

 ほんとは 知ってるのに...

 

   知らないことにしないと おもしろくない

 なんでも知っていたら おもしろくない

 

 そう思って、わざと自分に目隠ししてたんだ!

っていうことに気がついてしまった...

 

 

 

 

「ほんとはイヤだな...」ってことをしていたのも

 

今はイヤでも、やらないことであとから今の自分には想像もつかない損なことが起こるかも...

今はイヤでも、あとからそうしておいてヨカッタと思えることがあるかも...」

 

っていう今の自分の感覚を信用していない

無意識な防御反応な感じで動いていたわけだから

 

 

1月25日のマニッシュのあわたま禅タロット寺子屋

 

テーマ「わたしとわたしのハート」

わたしの現状 NEW VISION 新しいビジョン

    アドバイス  PATIENCE 忍耐

    未来 LAZINESS  怠惰 

わたしのハート NO-THINGNESS  無

 

わたしのハートは 

 何か神聖な 新たに生まれ変わろうとしていて

 あとは待つしかない

 怠惰が未来って何だ?と思ったけど怠惰のカードは

「そこが最終目的地ではない、まだ進むべき先がある」

って言ってる。