2月に
ちょうど今朝、
京都で作品を観て以来、
やはり
強烈な印象は
残っていた所に
書店で
偶然見つけてしまったので
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ニュースで目にしたのですが
未だ
「日本で一番売れている女性芸術家」
なのだそうです。
チラッと立ち読みで
済まそうかと思ったのですが、
読み始めたら
止まらなくなって
結局購入、
というのか本音です。
それくらいに
まー
文章の「勢い」が
凄いんです最初から。
美術作品は言わずもがな
小説や詩作も
沢山書かれているとのことで、
とにかく
描かずには居られない、
書かずには居られない、
表現せずに居られない、
そういう方なのだろうな、
というのは
文章からもガンガンに伝わってきます。
本の中盤に位置する
70年代前半あたりまでの
「ハプニング」と呼ばれる
前衛パフォーマンスに関する記述、
美術館ではサラッと流してあったので
まあ美術館のような
公共に近い場所では
そうなるだろうなあ、
と納得する程に
こんなに過激な内容だったのか、
と。
しかしながら
「戦争と
フリーセクスの
どちらがいい?」
と問われると、
そういう問いに至るまでの過程までも
妙に腑に落ちてしまう、
そういう年齢に
こちらがなったんだなあと
感じました。
性的な感覚に
「抗えると思い込んでいる」
若い頃なら
全然理解出来なかったかも。
この方の場合、
顕示欲求や
承認欲求では
全く無さそうだなあ
その証拠に
美術にせよ文章にせよ
音楽にせよ(動画で少し拝聴しました)
悪い意味ではありませんが
「受け手への配慮」が
全く感じられませんもの。
とにかく
内から蠢いている「何か」を
「出して」いかないと
溜まる一方で
生きた心地がしないのでしょうね。
「生きる為」の
形振り構わぬ活動なら
どう見られているかなんて
構っている場合ではありません。
おこがましいですが
そういう感覚、
わからないでも
無いんです
私も
中学校に入学したての頃、
休み時間も
ずっと机に座って
絵を描いていたんですね。
で、
その事に全く疑問を持っていなかったのですが
ある日
クラス日誌のようなものに
「(くま茶)さんはいつも一人で居るから
声をかけて
友達になってあげないと」
と書かれまして、
そこで初めて
「ああ、私って一人だったのか。
友達も居なかったのか」
と自覚させられたのでした。
友達って作らないといけなかったのか。
と言っても
絵を描いていれば
誰かが寄ってきて
コミュニケーションは取れる、
というのが
経験則で分かっていたのもありましたが。
ぶっちゃけると
誰よりも絵は上手かったので
(ただし得意なのは平面だけです。
立体工作などは苦手です。)
とにかく
絵を描いていれば
なんだか「大丈夫」な幼少期でした。
長じて
そこに音楽も加わってくるのですけれど
逆に言えば
「表現」をしなければ
「表現」を離れた
社会的な世界では
生きた心地がしない訳で
「ただ迷惑なの、
生まれたことを」
「不整脈と頻脈の化けもの」
という詩の中の
この一節に
もう深く深く
頷いてしまった
自分が居ました。
「人間の悟性なんて
立派なもの
持ち合わせていない
わたし」
ああ~~
持ってないな~~~~
(笑)
御本人も仰る通り
「病んで」はいるのかも知れませんが
「ブレて」はいない。
非常にアクティブに、
自己に疑問は持たずに
堂々と病んでいる。
こういう風に
何にも「ブレさせられず」に
生きていけるのなら
草間さんのような
長生きも
悪くないのかも知れません。
今の所は
全くしたくないですけれど、
長生き。
そこはまだ
修行不足でしょうか。
