北米アメリカサッカー戦術
新型コロナウィルス自粛要請で時間が出来
「ブログ」何本書けたかな......10 本くらい書けました。
一番良かったことは、南米サッカーをまとめられたことです。
今は、亡き「金益祚(キム・イッチョ)」に誘われて、町田の「CYD(千代田興業)」に移ったときが大きな転機です。
「くまちゃんドイツ行かないか?一緒に勉強しよう。」
まだ、クラブが創設準備で時間があったので、3人でドイツ・バイエルンミュンヘンに 1 ヶ月勉強しに行きました。
その時の監督が「ハインケス(Heynckes)」、
キャプテンが「クラウス・アウゲンターラー(Klaus Augenthaler)」、
まだ若き(20 歳)注目されていなかった「シュテファン・エッフェンベルク(Stefan Effenberg)」です。
後に能力を開花させ、ドイツ代表の主力になって行きます。
私は、後にエッフェンベルグの活躍でドイツ代表にのし上がってく姿を見て誇らしく思いました。
そして、バイエルンミュン→バルセロナ→レアルマドリッド後、
日本のJ リーグヴィッセル神戸に移籍した「FW ミカエル・ラウドルップ」等がいて本当に勉強になりました。
ドイツに滞在中に、朝新聞を見ていると
「インテルミラノ×AC ミラノ」のクラシコが今週末にあるのが分かと一人チケットを手配し観に行きました。
今思うと本当、あの片言のイタリア語でよく通じたな?勇気あるなって思います。
後にその時のビデオが、日本で売り出された時にはビックリ!!
その当時は、「興味本位」「疑問」だけでゲーム分析していました。
その後、チームも立ち上がり私は、ジュニアユースを指導することになります。
その時真剣に考えて中学生年代に大事な「テクニック」を教えるのにブラジルではどうしているのかな...?
単純な疑問でブラジルへ行くことになります。
イッチョさんがブラジルに勉強しに行ったことがきっかけで「吉野さんという代理人」を紹介してもらい「サンパウロ.FC」へ留学することになりました。
約9ヶ月間サンパウロ・モルンビースタジアム内の寮に寝泊まりし、インファンチール(14歳以下)・ジュベニール(17 歳以下)の指導に携わりながら積極的にいろいろなチーム、そして試合を見て歩きました。
そんなブラジルには、いろいろな理由で毎年のようにブラジルに行き、1996 年アトランタ五輪の「ブラジル×日本」戦はブラジルで観ることになります。
結果は、0対 1 で日本勝利。
昨日まで陽気だったブラジル人友達が口を聞かない。
何気なく帰りアメリカよって帰ろうかな?
ブラジルからの帰国がロサンゼルス経由だったこと、ブラジル代表の CB「ホナルド」が私たちチームの関わりのある選手だったのでオリンピックを観て帰ろうとするが、チケットを手配できなく断念。
しかし、この頃になると毎年ブラジルに行っているので、少しずつ地理が分かりだし、カンペオナットブラジレイロを南から北までバスに揺られて友達と観に行きました。
南は、ポルトアルグレの「インテルナシオナル」「グレミオ」、
北は「フルミネンセ」「フラメンゴ」「ボタホゴ」、
そしてサンパウロは、1 部、2 部たくさん観ることが出来ました。
最初の話題に戻ります....
本来の海外への思いは、「マンチェスター.Ued」、
中学の頃サポーターズクラブに入っていた「リーズ.Ued」、
そして「アレックスファーガソン」のところへ行きたく「英会話」を始めるが、全く使わないブラジルの地へ行く羽目になります。
そこで疑問に思った、SB が戻らない「Media Luna」、
CB と CB の間に VO が落ちてくる「サリーダ・ラボルピアーナ」、
そしてテレサンターナの 4−4−2「ゾーンディフェンス」とサンパウロ.FC の変な人の配置?
それが、「アシンメトリー」でした。
また、1996年アトランタオリンピックでのアメリカン代表の戦術なんです。
この様に戦術をつないでいくと繋がるのです。
この文を書いていて、確かに戦術をもう一度調べるためや文章を構成するにあたりPCで調べますが、いろいろな人に引用って言われんですが、北中南米サッカーは、勉強しました。
そんな戦術をつないで見たくなって「北中南米サッカー」をまとめました。
Planet Circle from USA
ボブ・ブラッドリーという指導者を知っていますか?
彼は、常に困難な道を突き進んできた指導者です。
母国のアメリカ代表を率いた後、エジプト代表の指揮官へ転身。
アフリカの雄の復権を目指したアメリカ人監督は、2011 年のエジプト革命で混乱の極みにあったエジプトサッカーを照らす希望となります。
W杯出場という悲願を果たすことはできなかったが、「エジプトにとってアメリカ大使館員よりも重要なアメリカ人」と称された男は、母国から遠く離れた地でも実力を発揮しました。
その後、ノルウェーのスターベクやフランス 2 部のル・アーブルといった欧州の中小クラブを渡り歩きます。
環境の変化に対応しながら実績を積み続けた男は、2016年10月にプレミアリーグのスワンジ
ーへとステップアップします。
悲願のトップリーグ挑戦は思い通りの結果にはならなかったが、プレミアリーグの歴史で初のアメリカ人指揮官として名を刻みました。
今回は、そんな知られざる名将が、世界の頂点に君臨していたスペイン代表を苦しめた戦術について解説します。
スペイン代表を苦しめた特異な戦術
ボブ・ブラッドリーの戦術「プラネット・サークル」
――実は、これはある日本のメディアがアメリカ代表の戦術を描写するために使用していた単語で、英語圏で使用されているわけではないです。
ヨーロッパで戦術アナリストとして活躍する庄司悟氏が「陣形が円のように見える」ことから名付けた「サークル・ディフェンス」を元にしたものです。
理論上は「選手の配置を2つの円として捉える」プラネット・サークルは、相手が中央を破ろうとすればするほどに円が小さくなり、相手の進入を阻む。
これは、ある意味で「ピッチの横幅」という1つの基準をなくしてしまうものでもありました。
この戦術、ブログで説明していたメキシコ代表の組み立ての陣形ではないですか?
注目されたのは、世界王者スペイン代表を撃破した09年のコンフェデ杯だったのですが、GK ティム・ハワードが「中央を徹底的に塞ぎ、外に追い込むことこそが、我われが仕込んだ『毒』だった」と述べているように、中央を塞ぐアメリカの選手たちは容赦なく縦パスを奪い取り、名手シャビからの供給路を断ち続けました。
まさしく「メキシコ代表」の中央の固め縦パスを狙いボールを奪えばアンカーがCBの間に入りパスワークでプレスを揺さ振り前線にボールを運んで行く。
アメリカ代表は、更に改善を加え「縦と横の幅を急激に圧縮することに成功した」という点だ。中盤 4 人を極端に圧縮することで、中央のスペースを消し去る。
この圧縮によってスペインにとっての主戦場は、屈強なアメリカ人選手に囲まれる狭いスペースとなる。
当然、スペインも手薄な外のスペースを使いながら、両サイドにボールを動かすことで守備を揺さぶろうとするが、本来はその揺さぶりによって中盤が移動しなければならない場面が生まれ、組織的・個人的なミスが誘発されることになります。
位置取りにミスが生じれば、狭いスペースで受けるスキルに長けたスペインのMF陣がゾーンの間に入り込む展開になっていたはずです。
しかし、アメリカの中盤は揺さぶられても徹底的に中央の密集を崩さなかった。
スペインもサイドから何度となくセンタリングを放り込むが、空中戦はアメリカの土俵。
高く宙を舞うボールは、屈強なCBに跳ね返されることになる。
スペインのストライカーを空中戦で抑え込めるCBのフィジカルと高さは、この戦術における基盤でもありました。
アリーゴ・サッキは「味方・相手・ボール・スペースを基準点にすることで、守備時の動き方は決定される」と自らの守備システムについて説明しています。
現代のゾーンディフェンスは「優先する基準点」によってバリエーションを生みます。
その観点から考えると、プラネット・サークルが重視しているのは「味方」と「相手」の位置取りです。
円形にポジションを取るためには、まず「味方」の位置を基準にしなければなりません。
加えて、「相手」の配置によって円の大きさが変わってきます。
ボールが動いても中央を封じ続け、サイドのスペースは無視します。
残りの2つの基準点(ボールとスペース)は、中央を封じるために捨てていたと言い換えてもいいでしょう。
ゾーンディフェンスにおいて、チームのコンパクトネスを保ちながら「特定のスペース」を消す
1つの方法は「ゾーンディフェンスのルールに縛られないカード」を配置することです。
[4-1-4-1]における中盤底のアンカーをイメージしてもらうのがわかりやすいかもしれないです。
デイビッド・モイーズはサンダーランド時代、コウチーニョ対策として本来 CB のデナイヤーをマーカーに起用していた。
そうしたアンカーやマンマーカーといった「ゾーンディフェンス+α」の守備戦術を乗り越えたのが、バルセロナとスペイン代表です。
以降、「中央の時代」が到来することになります。
0 トップや3バックが「中盤のエリアで数的優位を作り出す」ために積極的に採用されるようになり、メッシは前を向いてボールを受けられる「世界一危険なアタッカー」として君臨します。
中盤を増やして迎え撃つ3センターがマッシミリアーノ・アレグリによって「バルセロナ対策」の希望となったとはいえ、特効薬になったとは言いがたいわけです。
さらに洗練される「中央密集型」
そんな中で、ブラッドリーの試みは「サイドハーフはサイドを守るという常識」を覆しました。
2010年W杯でスペイン代表を破ったスイス代表監督のオットマー・ヒッツフェルトは、試合後に「ブラッドリーが率いたアメリカ代表を分析し、模倣したことが鍵となった」と語り、アメリカ代表の優位性を示す好例となった。
近年では、ディエゴ・シメオネが率いるアトレティコ・マドリーが、ブラッドリーの思想を彷彿とさせる中央密集型の[4-4-2]で強豪を苦しめています。
守備時には中央を固め[4-2-2-2]の守備体型を取り中央を固め相手縦パスを狙います。
興味深いことに、アトレティコ・マドリーの練習場ではピッチが「6つのレーン」に区切られ、
外のスペースは広く空いており、中央にDFとMF4人分の守るべきスペースが示されています。
ブラッドリーが思い描いた「4人のMFによって中央を塞ぐ守備」を選手に教え込むためのアイディアは、ピッチを区切ることによってさらに明確化されているのです。
アメリカ代表の中央包囲型(プラネット・サークル)自体は、体系化されて受け継がれている戦術とは言いがたいです。
しかし、抽出された幾つかの要素は様々な戦術家の手によって守備戦術の革命へと繋がっています。
アトレティコ・マドリーやレスターは[4-4-2]の圧縮によって強豪の攻撃を抑え込む方法論を示し、
EURO2016 で優勝したポルトガル代表は[4-1-3-2]から可変する[4-4-2](あるいは[4-5-1])で相手の中盤を抑え込みました。
ハーフスペースへの侵入を塞ぐ対策としても優れた「中央の密集」は、今後も戦術家によって研究されるトピックであり続けるはずです。
特に MLSではフィラデルフィア・ユニオンを率いる38歳のジム・カーティン(Jim Curtin)、
ニューヨーク・レッドブルズを指揮する44歳のジェシー・マーシュ(Jesse Marsch)を筆頭に
「ブラッドリー・ガイズ」と呼ばれる教え子たちも、指導者の道へと足を踏み入れているのだから期待されます。
早く日本も海外で活躍できる指導者が出てきてもらいたいものだ。
近い将来アメリカ代表を指揮する「ジェシー・マーシュ」をW杯で見ることもそんな遠くないと思います。
次は、少し時間を置いて「アジア」特に「アセアンサッカー」を書いて見ます。
