何故、フアン・マヌエル・リージョは、V神戸を辞めてしまったのか?
昨シーズン途中からヴィッセル神戸の監督に就任したフアン・マヌエル・リージョ。戦術家として知られる53歳(1965.11.2生)のスペイン人監督です。
「リージョ監督の個人的な都合により、ヴィッセル神戸との契約を解除しました」と報道がありました。
特に日本に来たJリーグに監督の中で実力のある一人だったので残念でならない。
Jリーグ後代表監督で活躍したのは
「アフシンゴトビ(イラン代表)」
「オズワルドアルディレス(アルゼンチン代表)」
「カルロス・ケイロス(ポルトガル代表/イラン代表/コロンビア代表)」
「フォルカーフィンケ(カメルーン代表)」
「ラザロニ(ジャマイカ代表)」
「ルイス・フェリペ・スコラーリ(ブラジル代表/ポルトガル代表)」
「オシム(ユーゴスラビア代表/日本代表)」
「ホルガーオジェック(カナダ代表/オーストラリア代表)」
「ホルヘ・ソラリ(サウジアラビア代表)」です。
また、クラブチームで活躍した監督は
「アーセン・ベンゲル(アーセナル)」
「カルロス・ケイロス(レアルマドリッド)」
「ルイス・フェリペ・スコラーリ(チェルシー)」
「オシム(JEF千葉)」です。
そして、「リージョ」もその一人です。
彼は、欧州のビッグクラブでの指揮経験がないことから、日本では一部の海外サッカーファンしかその名前を知らない存在でした。
しかし、スペインでは、「スペイン代表」「バルセロナ」が得意とするポゼッションサッカーの礎を築いた存在として有名な存在です。
●リージョは、グアルディオラの師?(理想と現実の間でも貫く攻撃性)
しかし、各クラブはリージョの戦術を欲しがりました。
リージョの持つ戦術や選手たちを束ねる人間性は、特別なものでした。
対話を好み、自らの戦術理論を頭の中に落とし込む。
納得できぬものとはセッションを続け、チームを一つの輪にしていく。
リージョは、サラマンカを去った後、「レアル・オビエド」「テネリフェ」「レアル・サラゴサ」「シウダ・デ・ムリシア」「テッサーラ」とスペインクラブを渡り歩きました。
しかし、いずれも約1年でクラブを去ることとなります。
リージョは、「ポゼッション戦術」には、長けた能力を持っていますが、「レアル・オビエド」「テネリフェ」「レアル・サラゴサ」「シウダ・デ・ムリシア」「テッサーラ」は、選手の「質」「能力」があっていなかった。
また、それぞれのクラブの伝統的な戦い方を持ち受け入れてもらえなかったのだと思います。
そしてリージョは、2005年のシーズンに、伝統的なパスサッカー国メキシコを新たなチャレンジの地として海を渡ります。
その際、カタールでプレーを続けながら指導者養成学校に通っていたジョゼップ・グアルディオラをチームに誘います。
スペイン代表やバルセロナで名声を得たグアルディオラだが、セリエAでの挑戦が不発に終わり、華やかな選手生活に戻る気はないと欧州でのプレーを拒否していた。
同年11月にグアルディオラは選手生活を終えます。
しかし、リージョの戦術知識や眼がグアルディオラへと引き継がれる瞬間でもありました。
リージョは、フットボールに対する見識もさることながら、愛情が感じられる人物です。
彼の真の魅力は理論だけではない。
その人間性にあります。
グアルディオラがメキシコでのプレー時代にリージョのチームに在籍し、リージョが素晴らしいフットボール理論を教えてもらうことになります。
何より、彼は常に選手と対話し、チームを作るが、そのアイデアを選手たちに伝える力も優れていました。
グアルディオラは、「監督を志すことを決めてから、改めて彼が指揮するチームの練習に参加させてもらったほどだ」と監督としてのキャリアをスタートさせた後のグアルディオラは、受けるインタビューでリージョへのリスペクトと大きな影響を受けた存在であることをコメントし続けました。
●フアン・マヌエル・リージョ監督
グアルディオラ監督は、現役最後のクラブとして、メキシコの「ドラドス・シナロア」という無名クラブでのプレーをした事を知っている人は少ないと思います。
ただ単にグラウディオラが、移籍するチームが無くメキシコに渡ったと思っていました。
その華麗なプレーからバルセロナで黄金時代を築き、セリエAでも強烈な存在感を放った「ペップ」はメキシコ行きの時点でもマンチェスターユナイテッド、マンチェスターシティ、チェルシーなどのビッグクラブから獲得オファーを受けていたのだと言います。
それでも、その誘いを断って現役最後のクラブにメキシコの無名のクラブを選んだ理由が「リージョ」だったのです。
既に現役引退後指導者としてスタートを考え「ペップ」はメキシコの無名のクラブを選ぶことになる。
2人の出会いは、グアルディオラが選手としてバルセロナで活躍していた1996年に遡ります。
その年、リージョはレアル・オビエドを率いており、その当時からポゼッションサッカーを実践し、高い評価を得ていました。
グアルディオラ監督と言えば、相手よりも圧倒的にボールを支配することで相手よりも優位に立つポゼッションサッカーの信奉者です。
そんなグアルディオラは、対戦したレアル・オビエドの戦術に心酔し、その心酔ぶりはバルセロナの監督として、彼を推薦したことがあるほどだそうです。
引退後に指導者となることを目指していたグアルディオラは、リージョ監督の指導法を選手の立場で受けるために、数々のビッグオファーを断って、リージョ監督が指揮を取るメキシコのクラブに加入します。
メキシコでは、練習が終わった後も何時間も残って、メモを片手にグアルディオラがリージョ監督に教えを請うていたそうです。
●リージョの戦術スタイル
リージョ戦術の根幹は『パスサッカー』だが「攻撃こそが最大の防御」といえる布陣を敷きます。
スタートポジションこそ『4-3-3』であっても、
『2-3-3-2』『4-3-2-1』『4-2-4』など、
相手や状況によって可変型のシステムに変化させるケースが圧倒的です。
ブラジルW杯に挑んだ日本代表が標榜したポゼッションとパスワークを組み合わせた『自分たちのサッカー』とは異なり、敵陣戦力を踏まえて戦術に変化が加えられる。
必ずしも自分たちの力だけでリスクを犯すのではなく、状況を踏まえて適切な処置を施すサッカーは、運動量以上に頭脳戦や局面での技術を必要とします。
かつてリージョは”Sportiva”で南アフリカW杯前の日本代表についてコメントを残したこともあるが、日本代表の下がりすぎるDF陣に対して「スペースを与えすぎだ」と苦言を呈していました。
リージョの考えに師事し、師と仰ぐ”ペップ”グアルディオラ(現・マンチェスター・シティ指揮官)も考えは同様であり、CBの位置に必ずしもディフェンダーを用意することはありませんでした。
かつて指揮したバルセロナでも、本来は中盤のハビエル・マスチェラーノを最後列に据えるケースがあるなど、戦術に依拠して役割を全うすることのできるプロフェッショナルを配置する”タクティカルプレー”が本質の一つに上がります。
●ファン・マヌエル・リージョの戦術
歴代のバルセロナ監督が戦術の相談をする先はヨハン・クライフか、リージョと言われるほどポゼッションサッカーに対する造形が深いと言われます。
今、世界でのスタンダードとなりつつあるポジショナルプレーを理論的に落とし込んだ初めての監督がリージョ監督です。
リージョ監督によると、ボールを保持し続けることがポジショナルプレーを指すのではなく、ポジショナルプレーを実現するためにボールを長く保持する戦術に行き着いたという方が正しいそうです。
ポジショナルプレーとは、フォーメーションに拘らず、その場、その場で全員が最適な位置にポジションを移すことで相手よりも優位に立つ概念です。
ボールポゼッションは、それを実現するための手段の1つなのです。
例えば、グアルディオラ監督は選手のポジションをただのスタート位置とし、常に全員が最適な場所にいるように指示してきました。
その結果がラーム選手、アルバ選手の偽サイドバック、ノイアー選手の超攻撃的ゴールキーパーです。
ポジショナルプレーを実現するためには、全選手が全ての場面で最適なポジションを選択できるように指導することが必要です。
その点でリージョ監督の指導方法は極めて論理的であり、トレーニングでは様々なシチュエーションを用意し、選手が選ぶべきプレーの判断基準を提示していきます。
トレーニングで明確な判断基準を選手に与えることで、試合の中で無意識的に最適解を求めることができるようになると語っています。
リージョ監督は、シーズン途中から神戸の監督に就任していますが、これまでの経歴から短期間で結果を出すタイプではありません。
本格的な指導が始まり、万が一結果が出なかったときにどこまでヴィッセル神戸フロントが我慢できるのかがポイントになりますが、やはり我慢できなかったようです。
昨シーズンJリーグでは、横浜マリノスがポゼッションサッカーに挑戦し、かなり波のあるシーズンを過ごしました。
それだけポゼッションサッカーの実践が難しいということです。
イニエスタ選手やビジャ選手はバルセロナでの経験があるため問題ないと思いますが、他の選手たちがリージョ監督の指導に付いてこられるかが神戸躍進の鍵となるはずだったのですが、残念でならない。