優しさと思いやり | くまちのブログ

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全然ブログも書けてないー。


何か書きたいことはいっぱいあるんだけど

公に伝えにくいプライベートなことが山積みになって

PCに向かってブログを書いたりすると

フィルターを通さずに全てを伝えそうで怖くてブログを書けずにいました。


自分はいろいろ人に悩みを打ち明けたりするタイプではないので

溜まるときは溜まるし、自分の中で解決できるときはすぐに流れていくタイプなんです。


最近思ったことをひとつお話しします。

優しさと思いやりの違い。


優しさは時にマイナスに伝わることがあると思います。

ムダな優しさ。

相手にとっては優しさで行ったことも伝わり方によっては

ムダな優しさとなって自分の心に届くことがあります。

多分みんなも経験したことがあったり気付いてないところでそう思われてたりするんだと思います。

小さな出来事から大きな決断を迫るときまで。

たとえば、恋人との別れを告げるときに

ムダな優しさがあらわれてフィルターを通してしまったりとか。


思いやりは素直に心の中から湧き出た感情を伝えたときにあらわれるんだと思います。

思ったことを全て伝えることは時として相手を傷つける結果になる場合があるけれど

それを恐れて全てフィルターを通していたら本当の人との繋がりや関係性を創っていくことはできないのかなと思います。

さっきと同じたとえをすると別れるときに思ったことをすべてぶちまけるのは確かに良くないって考える人もいる。

だけどおれはなにも言わないくらいだったら言ってほしい。

じゃなきゃその別れを今後の自分のプラスにする材料がなくなってしまうから。

どこがいけなかったか言ってくれて初めて自分の無力さに気付けてもっと良い自分になれると思う。

向上心がなくなったら自分の成長は止まる。



今度は逆の立場で考えたとき自分が何か発言する立場だったらって考えたらいろいろ矛盾は出てくると思う。

人の相談をされたときアドバイスを何もフィルターを通さずに言ったら

その人のためにならないと思う。ただされた人の自論にすぎない。

その人が経験しないと分からないことがいっぱいあるから。

だから、おれは人から相談されたら決してNOとは言わない。

けど、正直そこでNOって言う人がいっぱいいる。

だから自分は相談をあまり人にしなくなったのかも。

相談をしても結局決めるのは自分ってよく言うけれど

それよりも経験して出た結果が答えなのならば

絶対自分で決めたい。

じゃなきゃ人生はつまらない。


双方の立場を理解して初めて優しさと思いやりのベストゾーンが決まるのかな。

よくわからないや。


でもね、分からないから人生は面白いんだよ。

だから人生は自分の気持ちを信じていくんだよ。


どんなときも思いやりをもった優しさを人に発信していく人間になりたいな。