私が子供の時には私の母は離婚していて、母子家庭だった。

母方の親戚というのは教職に関わる人が多くて、そういう人に囲まれて育った。

後から知ったことだが、父方の家も教職が多く、結婚したら夫の家族も教職という風で、教師関係者ばかりに囲まれて私は生活している。


そんな私は周りの人から見ても分かりやすく落ちこぼれで、子供の時に過敏性腸症候群を発症して不登校になり、引きこもりつつも何度か通信制高校に挑戦しては毎回病気の影響から挫折している。

私の人生とはひたすら挫折をする人生なのだな!何をやってもうまくいかない!と20代の時に悟った。


うつ病になり、克服してからランニングに精を出していた時も、周りのサークルの参加者の中では自分は異質な感じがして、いつも立場がなかった。

周りの人がフルマラソンを目指して誰もがタイムを競っている時に、私は緑の豊かなところで汗をかいて風を感じながら歩くのってとても気持ちいいなとしか考えられず、何か目標を持つことはなく、ただ公園で走るのが好きだった。

ランニングサークルに参加するような人達は爽やかな人が多いから、走りながら次に目指す大会はどこかといつも聞かれる。

その度に私は言葉に詰まって、大会に出るのは苦手なんだよねと思いながら練習会に参加していた。

参加する人によっては大会に出ないと意味がないと感じる人も多いようで、サークル運営の人には熱心に大会に参加するように目標を持つように勧められた。


私のランニングの最長記録は30キロ走の練習を走破した時で、大会はハーフマラソンを何度か走ったこと。

いつもサークルのみんなと楽しく参加していたが、そんな自分に疑問を持って、一人で京都の小さなハーフマラソンに参加したことがある。

グループから離れて一人で単独行動を選ぶというのは、私にとっては一つの挑戦だった。

そして、それが私の最後のマラソン大会になった。

どこかでやり遂げた感があったんだと思う。

次第にサークルに参加せずに一人で走るようになっていき、統合失調症になって完全にマラソンからは離れた。

この病気は走ったり歩いたりするのは向かない。

有酸素運動をしていると陽性症状が出てくるからだ。


結婚は第二の就活と言っている人がいたが、私はそれには成功したようだった。

辛い婚活を5年くらい続けて、病気に理解のある夫と結婚して今に至る。


モラハラをしていた母から離れて、自分を見つめ直し、夫と話し合って自分と向き合い、母とも向き合い、関係を再構築した。

こうして、母に対する苦手意識はなんとか克服していった。 

(毒親だった母は私が結婚して安心したと思う。

子供の頃に負ったハンデをなんとか返していって、自分を良く変えていくことができて、私は病んだ人間から、本来の性格が出てくるようになり、呑気に暮らしている。

(本来の性格とは占いなどで書かれてあるような楽天的でマイペースな性格)


今度は過敏性腸症候群で挫折した過去をもう一度やり直したい気持ちがあり、私は中卒なので、高卒認定資格を取りたいと思っている。

メジャーの薬の影響から具合の悪い時期に過食して体重が30キロも増えてしまったので、将来の健康のために今は運動をしている。

病気にならないことが一番お金を節約できるらしいので、健康であることはとても大切。

健康の大切さは子供の頃に身に染みている。


私にはやらなければならないことがたくさんあるので、私に見切りをつけるなら、私のすることに文句があるのなら、よほどのことでないのなら多重人格の言うことは聞かない。

私のことが嫌になったら、さっさと出ていってもらっていいと幻聴にも伝えている。

あなた方に去られても私の生活には特に影響はない。

過去に色々とフォローしてくれたことは感謝していますと伝えている。


私は占いなどを見ても元々すごく意志の強い人間なのだそうで、気も強いし、自分の意見は人にはしっかり伝えるのが好きで、それを踏まえた上でお互いに居心地の良い環境を作っていけたらなぁと思って過ごしている。

常に幻聴にイライラして過ごす生活はもう懲りごりです。

早く終わってほしいな。


と、読んでいて伝わると思うが、私は我が強い。

どうにか芯の強い人になりたくて人の性格について研究中です。

こうやって自分の性格を掴んでいく作業も楽しい。

自分を知るのって楽しいことだなと思う。



と言う設定がある。

私がこんなものだから、多重人格さんらのよいしょがすごくて、いいなぁ!かわいいね、面白いね!楽しいね!と常に色々なことを褒めて褒めて褒め倒して、

不機嫌を振り払い、気分を乗せてくれる。

ヨッコイショーである。