について前に書いたのだけど、自己嫌悪がすごくてすぐに消してしまった。

思いついたことをそのまま書いたから、再現することはできないけれど、


イシとは意思のことで、何かをしたい、こうなりたいという意志の力を強く持つことで、

自分の閃きとか、思いつきのものや、柔軟に物事を考える自然な力を、全てその意思の力でねじ伏せるという人になってしまう。

そういう風になってしまうだろう人のことを個人的にイシヤと呼ばれているのではないかと思ったのだった。


意思の強い人、固い意志を持つことを基本にしてしまった人、柔軟さを失った頑固な人、打たれ強い人のことで、七転び八起きというが、

打たれても打たれても動じない強さを持つことが出来るのだが、

それではダルマにはなれないという、そういうお話。

ダルマというのは自分の力ではどうしようもない外からの力に翻弄されるが、

そういうその力に翻弄されつつも、堪えて、また起き上がる力があるのだと思う。

その堪える力を意思の力でなんとかする人がイシヤだと思う。


日月神示では、そういう人達のことをイシヤとその仕組みと呼んでいるのかなと改心をして、自分と向き合っている時に感じた。

意思って強く持てば持つほど、周りを構わなくなって、自分というものを強くもつことが出来るようになるから、それではいけないのだろうね。

柔軟さ、自然体な心が大切なのかもやね。


追記

以前読んでいたオカルト系の掲示板には不動明王を守護に持つ人が多かった。

不動明王とは何かなと思う。

何事にも動じない、打っても響かない人というのを糠に釘というらしい。打つと響くものの代表は太鼓🥁で。

不動明王とは仏教的な存在なのだろうか。ダルマと比べてみて何か違いがあるのではないだろうかと思うのだった。