光とは何か。

世の中では愛に並んでその言葉の意味が理解しづらい代表の一つである光について、

私は北斗の拳のシュウの例えを頼りにしている。


乱世に生きる子供達に輝かしい未来が訪れることを願っており、

その秘められた可能性を「光」と呼び強く信じている。

 

光とは秘められた可能性のことであるのらしい。


シュウとは私の人生で最初に好きになったアニメキャラクターであり、盲目の人だった。

目が見えぬ故に光については誰よりも理解していたのだろうと勝手に推測する。

同じようにこの世の中には盲目の存在が光について語ることがあるのだという。

私はそれは実際に会った人たちではないので、想像で語るが、それはイタコと呼ばれる人達であるという。

光とは何かを目の見えない人たちが感じ取り、語るのだという。


では、私達目の見える人間は光については何を知っているかと考えてみるとどうだろうか。

目が見えるのなら、五感の一つを失っていないのなら、ない人よりもある人の方が物事をよく知っていないといけないのではないかと思うがどうだろうか。

私達は目が見えるのだから、見えない人達よりも更に色々なことが見えているはずなのである。

なのに、私たち目の見える人間は見えない人達の語る光についての形容を頼りにする。

誰よりも光とは何かを考えているはずの盲目の人を頼りにする。

自分は光でも何でも見えるのに、である。

目が見えていないのはどちらだろうと思う。


自分の見ているもの感じ取っているものを信じているのが目の見えない人間の方であり、

自分は目が見えていながら、色々なものを見ていながら自分の見ているものが何かを理解することなく考えることなく、分からないとして

目の見えない人間に頼るのである。

きっとシュウの方が色々と見えていて、私が盲目なのだろうと思う。


光とは何かについて考えた時に、

私は自分がいかに光というものが見えていないか、よく考えずに過ごしていることを思い知った。

自分の目に見えているものをもっとしっかりと見て、信じたいと思う。