小雨の降る中自転車で通りを走っていた
街の様子がなんだかおかしい
女性達が空を見上げて歓声を上げてはしゃいでいた。
私は不思議に思って同じように空を見上げた。
綺麗な虹がかかっていた。
虹と一文字だった。
私の心はザワザワとしていた。
色々なことが頭に浮かぶが冷静でいよう冷静でいようと気をつけていた。
買い物をして少し遠回りをして帰った。
空を見上げて喜ぶ街の人たちの様子を観察しながら帰りたかった。
小さな兄妹達がまた空を見ていた。
私は虹に背を向けながら思った。
私は今自分が見た奇跡のようなものには背を向けて走っている。
こういうことがあってももう私はびっくりしたりしないからね。
私がびっくりして心を許すのは音楽だけだから、と心に決めた。
あの兄妹のように、とりあえず珍しいものを見て喜んだら前を向いて、行く先を目指して日常に戻る、それが私の理想だから、真似をした。
家に帰り、夕飯の用意をした。
虹のことは置いておいて、日常のことが大切で優先されるから、私はまた考えないように、でも虹を見たら誰だってはしゃぐしドキドキするよね、とも思った。
Zガンダムを見ていた。
そうして思った。
私はこういうのに浮かれるか神々の見せる奇跡だと受け止めて当然だとするのか、
そうしていったら私も我よしになったり、鼻高になったりするのだろうか、と怖くなった、と同時にでは私はどうなるのか、鼻高になって行くのを実際に体験してみるチャンスじゃない?とも思った。
私は自分を作っていることに気づいた。
ありのままのいつもの自分に戻れば、鼻高などにはならないから大丈夫だから普段通りに戻ろうと思った。
私は何を経験しても最後には最初の自分と変わらないままでいたいと思うから、特別な何かにはならないから、途中で鼻高になっても最後には元に戻るから、大丈夫だという自信があった。
鼻高はいけないが、鼻が低すぎるのも考えもの
私の鼻はちょうどいい高さに保たれている。
我よしの神々も高次元から降りたら、神をやめたらその我よしはきっと治るのだろうと思う
昔の人は天候に左右される生活をしていたと思う。
今は気象予報士という預言者がいるので、
天候も気象衛星が把握しているので、
天候を庶民が把握して、神様を感じる習慣はかなり薄れたと思う。