高3 パワーオン3 レッスン12 (6) (7) (8) (9) (10) | 赤城❤︎.*

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アカギ

高校3年

Power On III

Lesson12

A Conductor of the Underground Railroad

6, 7, 8, 9, 10

 

□ dozen【ダース、12】
□ Fugitive Slave Law【逃亡奴隷法】
□ runaway(s)【逃亡者】
□ anywhere【どこでも】
□ reputation【評判】
□ fearless【恐れを知らない】
□ reward(s)【報酬】
□ slaveholder(s)【奴隷を所有する人】
□ catcher(s)【捕まえる人】
□ passenger(s)【旅客】

 

ハリエットさんはもはや奴隷ではありませんでしたが幸せを感じることはできませんでした。
彼女の家族はみな、まだ奴隷でした。
彼女は家族のことを考え続けました。
数か月後、彼女はメリーランドへ戻り再び家族と会いました。
彼女は、夫が一緒に北部へ来てくれることを望んでいました。
しかし、彼は行きたくないと言いました。
なので彼女は二人の兄弟、妹、子どもたち、そして十数人の奴隷たちを北部へ連れて行きました。
1850年の逃亡奴隷法は、逃亡している奴隷を手助けすることをみなに禁じていたのですが、逃亡者がアメリカ国内のどこにとどまっても危険であるものにしていました。
そこでハリエットさんは賛同者たちをカナダへ連れて行き、そこは安全で自由に暮らせる場所でした。
恐れを知らないリーダーとしての彼女の評判は瞬く間に広がりました。
彼女を捕らえるための巨額な報酬が奴隷所有者によって出されました。
しかし、彼女は奴隷を捕まえる人によって捕まることは決してなく、地下鉄道に沿って進む自由への道で”旅客”のだれも失うこともありませんでした。
1863年、エイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言に署名したとき、ハリエットさんは40歳を超えていました。
彼女が必死にはたらきかけていた自由が法律に変わりました。
ハリエットさんの人道的なはたらきが多くの人々によって高く評価されました。
例えば、1897年、ビクトリア女王から勇敢さへの銀メダルが授与されました。
彼女は1913年3月10日、90代前半でこの世を去りました。
2011年5月27日、国指定の歴史上の人物としてハリエット・タブマンさんを称えるため、セントキャサリンズのチャペルに銘板が公開されました。