『何かが道をやってくる』 (レイ・ブラッドベリ) | エンタメ演劇の劇作家演出家の奇妙な日常

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O-MATSURI企画merrymaker主宰。 脚本家・演出家。 ドイツ文学修士(ゲーテ『ファウスト』)。 元・演劇集団キャラメルボックス脚本演出補。(過去作はいくつか、ブクログにて電子出版してます。 http://p.booklog.jp/users/kumabetti )

何かが道をやってくる (創元SF文庫)/東京創元社

¥840
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「ジム・ナイトシェイド、それは、ぼくだ」




この作品中で、一番好きなセリフが、これです。

なぜだか、しびれました。

少年の中にある、自尊心と誇りと苦悩と葛藤が、この言葉の裏に隠れている。

そう思えるほどに深読みしました。

一言一句が、どれも、心奮わせる。

大久保康雄氏の訳文の良さも、もちろん。

これは、一生に一度は読むべき本だ。

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海外ものの小説が苦手で、それは多分に、日本人にあまりなじみのない英米文学の言い回しと、さらにはそれを訳文にして読まざるを得ない我が身の不明(英語苦手、つか嫌い)が問題なわけだけど、読んでみたら面白いんだから食わず嫌いは良くないと後悔させられる。

これはそんな本。

『ダレン・シャン』を思い出した。

そう。

本来ならば、『ダレン・シャン』は、この『何かが道をやってくる』を種本とし、もしくは強くインスパイアされて生み出された作品であろうはずなのに、逆転現象で、『ダレン・シャン』っぽいなあ、と思ってしまった自分を反省。

二人の親友の少年。

カーニバル(真夜中のサーカス)。

異形の者ども。

そして、友情が壊れる瞬間。

驚くほどに『ダレン・シャン』。(だから……!)

そしてだからといって、両作品のどちらかが優れていて、劣っていて、という話をしたいのではない。

どっちも充分に面白いのだから。

比べるだけ野暮ってもんです。

そして特に、この作品の驚異的な点は、実は、二人の少年の物語でありながら、「かつて少年だった男」の物語でもあるということ。

むしろ、そこにこそ、この作品の白眉があると言える。

それが、チャールズ・ハロウェイ。

少年二人とカーニバルに導かれて、幻想の世界の中で必死に自分を掴む、自分自身の心を、情熱を取り戻す男。

見事なまでの、「成長物語」です。

作中に出てくる、生命の時間を未来や過去に運ぶメリーゴーラウンドは、まさしく成長の象徴でしょう。

実写にしろアニメにしろ、ビジュアル化希望。

大変だろうと思いますが。

心ある勇者は、是非。(他力本願か)

レビュー登録日 : 2012年08月10日