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(写真1. ホテル中庭 スペインらしいたたずまい)
(写真2. ホテル前で出発準備)
(写真3. 風力発電の風車 ジブラルタル海峡は風が強い)
(写真4. ジブラルタル海峡の遙か彼方にかすかだがモロッコが見える)
(写真5. タリファの港を行く)
(写真6. ナゾの黒い牛シルエット看板 ヴィム・ベンダース「リスボン物語」にも登場する)
(写真7. 谷間の山小屋風レストランで昼食)
(写真8. カリフォルニアにも似た風景の中を行く)
(写真9. この橋の真ん中がスペイン/ポルトガル国境)
(写真10. ついに最後の国ポルトガルに入った)
(写真11. Portugalのサイン)
(写真12. 国境の検問所には誰もいないので通過)

 7時30分集合朝食。外はまだ真っ暗。ホテルでは朝食をやっていないので、外に出る。商店の人達は市場で仕入れてきた物を店頭に並べたりと開店の準備に忙しい。

 近くのBarでパンと目玉焼きにハム、コーヒーか紅茶に搾りたてバレンシアオレンジジュースの朝食を取る。けっこうな人で埋まってる。大勢の大人に混じって、タバコをくわえた少年がドーナツを食ってたりもする。
 カウンターの中にはオレンジジュース自動搾り機があって、上のカゴにオレンジをまるごと入れておくと、マシンが自動的にマシン内部にオレンジを4個づつ取り込み、半分に切ってジュースを搾り出す。次のオレンジを取り込むと同時に、搾りカスを「ポイッ」という感じで放り出す。この一連の動きは見ていて飽きない。一杯のジュースにオレンジ4個くらい使っているようだ。ちょっとぬるいのが残念。
 部屋にはミカさんが先に戻っていた。床にフラメンコ大会のポスターの小さい方が広がっている。あれっと思っていると。彼は「あっ。神様は僕が小さい方も欲しがっている事を知っててプレゼントしてくれたんだ。うれしーなー。」と、取り繕う。どうやら今朝の闇に紛れて小さい方もはがしてきたらしい。

 今にも雨が降り出しそうな天気の中、ホテルの女主人と従業員のおばさんの見送りで出発。数百メートル行ったところでとっつぁんが部屋の鍵を返し忘れたことに気づき一人戻る。
 140km程先のタリファという街を目指し海岸沿いのN340を行く。タリファはジブラルタル海峡に面した、ヨーロッパ大陸最南端の街。オレンジの畑が少なくなり、山のワインディングに入る。
 小雨の降る中、風力発電のプロペラが10数基見えてくる。すぐ横の尾根でゆっくり回る巨大なプロペラの列は霧の中異様でもある。10数基と思っていたら尾根伝いにプロペラの列はまだまだ続く。ひと山向こうにもずらっと並び、200基程あるだろう。ジブラルタル海峡を渡ってくる風は強い。

 海の向こう、雨と霧でかすむ中にかすかに対岸が見える。モロッコだ。アフリカ大陸はもう目と鼻の先。地図上では10キロ程度か?山の中腹にかすかだが街並みも確認できる。
 ヨーロッパ大陸最南端の街タリファに降り、漁港の堤防からミカさんのオペラグラスを使って対岸を視察。オペラグラスの正しい使い方をする。
 タリファはモロッコへ渡る船も出ているし、最南端ということもあり、小さいながらも観光地になっている。
 タリファを出てセビリアを目指す。N340沿いは両側が緩やかな起伏の耕作地。シベリアで見た風景にやや似ている。牧草地で牛が草を食んでいたり、ジャガイモを作っていたりする。畑と畑の間をサボテンで仕切っているところだけがシベリアと違う。
 国道の向こうから来るアメリカ製4輪駆動車のハマーの軍用車やスペイン製PEGASOの軍用トラックと頻繁にすれ違う。

 スペインに入ってから所々で、丘の上に立つ真っ黒な牛のシルエットの巨大な看板を見かけるようになった。字も何も書いていないエラそうな角のある牛。ナゾの看板。
 雨が降ってきた。谷間の山小屋風レストランで昼食。
 隊長はペセタを使い切ろうと、併設されたみやげ物屋で小さな陶器のぐい飲みのような物を数個購入する。とっつぁんもタバコを買ってペセタを無くそうと、コインを自販機に入れるが「何度やっても、この25ペセタが戻ってくる。」と文句を言っている。良く見るとそれは25ペセタではなく25フランスセンチメントであった。
 スペインで9カ国目なのでサイフの中は色々な国のコインが混じっている。

 道はオウトバーンA4になり、両側がオリーブ畑になる。ときおりジャガイモ畑や刈り入れの終わった麦畑になる。ナゾの牛看板も現れる。
 セビリアの街に入ると観光バスの姿が多い。河を渡り万博会場跡に出るが、街の中心とは反対方向だということに気づき、再度河を渡る。中心部に近づくがとりたてて見るべき物なし。と、思っているだけで見どころはたくさんあるはずである。しかし我が隊は西を目指して進まなくてはならない。観光ならまた来れば良い。
 クレジットカードが使える公衆電話を探して、BAJAやデリカの帰りの船便の打合せのため日本の船会社へ。

 立派な闘牛場を右手に見て再びオウトバーンに乗り、ポルトガルを目指す。オウトバーンへの行き方は、途中の信号で並んだメルセデスのおじさんに教わった。
 ほとんど直線のオウトバーンの両側は平原が続き、どこかシベリアを思い起こさせる。決定的に違うのはオリーブやオレンジ、ジャガイモの畑が広がり、黒牛看板があること。そして温暖な気候。
 先の方で警官が車線を一車線規制にして、〈スピードを落とせ〉の合図。事故か何かかなと思っていたら、さらに先の方で停車をさせられ別の警官に「バカンス?」と聞かれる。バカンスといわれればそうだし、んー。
 「どっから来たの?」「東京から来て、リスボンまで行きます。後ろのバイクも一緒。」
 行って良しの合図。1台の乗用車は荷物を調べられていた。
 この辺りまで来ると〈PORTGALまで○○km〉の表示が増えてくる。いよいよ最後の国に近づいているんだ。

 やがて行く手にハープ橋のような物が見えてくる。地図ではこの橋で渡るグアディアナ川が、スペインとポルトガルの国境になっている。
 川を渡り、ついに最後の国に入る。隊長は両手離しでバンザイ。橋を渡りきると国境検問のアーチとボックス。もう見慣れた光景だ。
 最後の入国審査なのだから係の人にお願いして、ちゃんとパスポートにスタンプを押してもらおう。なんて思っていたら、明かりは点いていないし、誰もいない。たまに検問することもあるよーん、といった感じ。もちろん免税店なんてないし、ポルトガルの通貨エスクードに両替しようと思っていたのに両替屋すら無し。ノンストップでここを通過する。

 小雨が降ってきた。夕闇が迫りつつあるので、宿探しに入る。地図では海沿いのアルトゥラという街が最も近いのでその方面へ行ってみる。アルトゥラの街は新築の一戸建てやアパートメントが建ち並ぶ海沿いの新興住宅地といった感じだが、人の気配が無い。
 道沿いに〈HOTEL〉の表示を見つけとっつぁんが交渉に行き満室と断わられるが、隣のアパートメントを紹介され半信半疑で行ってみる。本当は長期滞在向けらしいが、2部屋を一泊US$100で貸してくれることになった。国境での両替をあてにしていたわれわれは、先ほどの国境肩透かし状態でエスクードを持っていない。米ドル立ての支払いを受け付けてくれて助かった。

 このリゾートアパートメントの名前は『HOTEL TURCONGEL』。キッチン付の新築である。
 玄関前でいつものように荷降ろしをし、裏の車庫へ入れたBAJAをチェーンでつなごうとした時に、南京錠やスペアキーを一緒にしていた鍵束が無いことに気づいた。デリカの中をいくら探しても見あたらない。昨晩泊まったHOTEL SARASOLの自室に持って上がったことは良く覚えている。それを自分のショルダーバッグに入れて出てきたとばかり思っていたが、無い。車庫に並べたBAJAの前をデリカで塞ぐように駐車して今夜はしのぐことにする。

 HOTEL TURCONGELには食事の施設が無いので、フロントで近所のレストランを聞いて歩いて出る。相変わらず街に人の気配は無い。
 現在19時。ポルトガルはGMT時間。ここで最後の時計あわせ。

 魚料理がうまいと聞いてきたレストランに入ってみる。なるほど、氷をはった表のショーケースにはいろいろな魚が並べられている。このレストランも新築のようだ。客はわれわれだけ。テーブルを付けて7人分の席を作ってくれた。まずはビールを注文して、エスクードが無いことにはたと気づく。クレジットカードが使えるか確認すると、VISAもMASTERもダメ。米ドル現金もダメ。何も手を着ける前だったが、あいにく持ち合わせが無いことを謝って店を出ようとすると「No Ploblem ! 」。おまけに他の店を紹介してくれる。スペインでは有無を言わせないスペイン語攻撃だったのが、ここでは英語通じ率が高い。

 教えてもらったレストランは、ホテルの裏側にあった。周りには何件かのみやげ物屋のような商店があるが、どこも閉まっている。
 レストランにはちらほらと客が入っている。気候が良いのでわれわれは道に面した表のテラス席に座る。ここには英語メニューがあり英語での対応。
 隊長、とっつぁん、大ちゃんは何だか分らないが魚介類にご飯が付いてくるであろうということで『Shellfish with Rice』を注文してみる。
 出てきたのが陶器のドンブリのような器にエビ、アサリ、カニなど魚介類がたっぷり入ったトマト仕立てのおじや。これを木のスプーンで食べる。そう、この陶器のドンブリがポルトガル語で『オジャ』。これが日本に入ってきて、その中の食べ物そのものを表して『おじや』になったのだ。ポルトガル語がそのまま日本語として使われている例はたくさんある。
 このころ店内はどこからこんなに湧いてきたのだろうと思うほど、混みあっていた。表のテラス席のわれわれのテーブルには大きなコオロギが遊びに来た。

 部屋に戻り隊長がエッちゃんに電話をする。エッちゃんは今日リスボン入りして、海洋博会場でわれわれのために催してくれる歓迎セレモニーの打合せをしていてくれているとのこと。
 氏とは23日の13時にリスボン市内テージョ川沿いの、コメルシオ広場で落ち会うことにする。そこで海洋博日本館のスタッフと打合せをすることになった。
 ゴールに向けて準備が忙しくなる。

          本日走行 522km  ウラジオストークから15,016km