職種という点から、自分の経験を振り返ってみます。
大学卒業時には深く考えることもなく、「強い希望職種はなし」「素材で買ってくれ」程度の考えで、就職に臨みました。
学業は、全般にはとても優秀とは言えませんが、ゼミに限ればかなりハードなレベルで取り組んでいました。
アルバイトもサークルも、かなり充実した活動をしていので、経験を話すと言う意味では面接で困ることはなく、むしろ自信を持って話せる状況ではありました。
市場的には売り手市場で、幸い大学も門前払いはされないレベルだったので、知名度もあり待遇面でも財務体質面でもまあ一流(超一流ではないまでも)レベルと思われるメーカーに、それほど苦労もせず決まりました。
事務系で職種へのこだわりもなく、逆にこれだけは勘弁してくれという仕事もなく、「誰でもできる」と思われる営業職を希望し、実際にそうなるだろうと思っていました。
当時はやれと言われればなんでもできると思っているくらい傲慢でしたし、それくらいの鼻っ柱を評価された部分はあるのかもしれません。
悪く言えば「何も考えていない学生」
だったのですが。
予想通り営業として仕事を始めたわけですが、3年目の秋に突然「人事」に異動が発令されました。
営業ではそこそこ成果も出始め、お客さんとの人間関係もかなり良くなっており、「そこそこ優秀な営業」だったと自分では思っています。
「人事の仕事」を希望したこともなく、営業でそこそこでき始めていた頃でもあり、異動の内示を受けたときには「なんで人事?」と悩んだことを覚えています。
もちろん異動を拒否できるわけもなく、拒否するなら退職せざるを得ないわけですが、辞めずに異動を受け入れたのは、「人事は人数が少なく、営業よりは希少性がある」おまけに「どんな会社でも必要な仕事だろう」と考えたのが理由でした。
その読みは大きくは外れておらず、おかげ様で、その会社を離れてもそれなりに飯が食えているというわけなのですが。
営業のままであれば、30歳前後で一度くらいは転職できたかもしれませんが、何回かというのは無理だったでしょうし、父が亡くなったからといって、田舎に帰るのは難しかったかもしれません。
そういう意味でも、人事への異動は望むと望まざるとに関わらず、大きな転機でした。
結果的に素直に異動したことは、悪くなかったということでしょう。
あの異動がなければ、いまでも一社目で働いていたかもししれませんね。
会社にとっては良かったのやら、悪かったのやら。
望んだ異動ではありませんでしたが、異動を受けた以上は目いっぱいやりました。
面白い仕事だったかというと、もちろん仕事なので面白いばかりではなかったと言うのが現実です。
それでも面白いと思える部分はありましたし、そこそこ大きな会社の中で「自分の色」を出すこともできたという思いはあります。
若くて体力もありましたので、今思い出してもよく働いていたなあと思います。
中心が新卒採用だったので、2月から6月まではほとんど休みなし。労基法上は大きな声では言えませんが、40日連続勤務なんてありましたねえ。
内定者が辞退しそうだって言うので、久しぶりの休みにも会社に出て説得したり。
おまけに地方巡業が多くて、東京の自宅で寝泊りするのは月に半分程度でした。
車のバッテリーの配線を外すのを忘れていると、バッテリー上がりになってしまうくらい。
春先に休みなしで働くツケで、代休がたくさんたまりました。
人事は未消化は許さないという方針でしたし、年を明けるとまた忙しくなって未消化にりかねないので、秋口には週休ならぬ週勤2日とか3日。
休めることはありがたいのですが、会社に出社できないので、次年度準備の企画モノは、ほとんど自宅でやる羽目に陥っていました。
それじゃ休んでいる気がしない。
そんな状況で、手を抜かずに取り組んだ結果として、それなりには面白さを感じることもできたし、仕事上の知識や経験の引き出しは少しは増えたと思います。
人事周りの知識や経験だけでなく、仕事の進め方とか、役員との喧嘩の仕方
とか。
早い時期に職業に対して「想い」とか「こだわり」があるのは、良いことなのは間違いありません。
「こうなりたい」と決めて必要な準備を着実に進めて、いつか実現する。
なりたいと思わない限りなれないし、なりたいと思ったから必ずなれるとは限らない位置というのは間違いなくあります。
20歳前後で今自分の持っているリソース(時間、お金、人脈、才能など)を全部投入しても実現できるかどうかわからない目標に対しては、それがどうしても実現したい目標であれば、今すぐにでも準備を始めて進むべきでしょう。
一方で、20年/80年=1/4くらいしか、人生を過ごしていないタイミングで、残りの3/4を決めなくても良いかもしれません。
40歳とか50歳でどうしようって言ってるとそりゃ大変でしょうけど。
おかれた環境の中で、可能な限りのリソースを使って取り組むことで、見えてくるものはあります。
家族構成の変化なんかで、避けられない事情も発生したりすることはありますし。
2008年現在では存在しない仕事が、これから40年の間には必ず出てきます。
私が就職する当時、SONY Computer EntertainmentもDocomoもSoftbankもGoogleもYahooも、母体はあったにしても、その名称の会社としては存在していなかったのですから。