「まぁ、とても綺麗ね」
「でしょう。これが万華鏡よ」
「すごいね」
幼い頃、私は万華鏡に心を奪われた。
それと同時に、目も…。
直接的、物理的に、というわけでは無いが確かに奪われたのだ。
万華鏡は少しでも動かすと二度と同じ模様にはならない。
「あぁ、本当に綺麗。ずっと見ていたいな」
「そうね、とても綺麗ね」
「お母さん。まんげきょうってすごいね。なんども同じ模様になって不思議ね」
「あら、そう。でもね、それは同じ模様ではなくて、似ている模様なだけなのよ」
「えー、なんども同じ模様になるよ」
「万華鏡は同じ模様になることは有り得ないのよ」
そう、間違いない。
間違いなく、その万華鏡はなんども同じ模様を私に見せた。
いや、魅せた、と言った方が正しいだろう。
私は日に日に惹き込まれ、万華鏡を覗く時間が増えていった。
しかし、ある日から万華鏡は不思議な模様を映しだし始めた。
「お母さん。人の顔が見えるよ」
「それは人の顔に見える模様なだけよ」
「笑ってる女の子に見える。友達になれるかな」
「友達にはなれないわよ。それはただの模様ですからね」
「えー、つまんないなぁ」
はっきりと、笑っている少女の顔が万華鏡の中に映し出されていた。
今考えるととても恐ろしいが、当時の私は無邪気にも恐ろしさは一切感じていなかった。
それどころか、更に惹き込まれたのだ。
「あはは、そうなんだ。貴方は色々知っているのね」
「誰とお話しているの」
「万華鏡の中に住んでいる妖精さんだよ」
「あんまり話し過ぎちゃうと妖精さんも疲れちゃうから、話し過ぎたらダメよ」
「はーい」
その日、私の元から万華鏡が無くなった。
母が隠したのだ。
今となってはそのお陰で私は助かったのだろう、と思える。
母は『万華鏡の妖精』という物に酷く恐怖感を覚えたらしい。
しかし、時を同じくして母が体調を崩した。
大した事は無かったが一時的に入院することにはなった。
「お母さん、大丈夫。痛いの」
「痛く無いわよ。大丈夫。怖くないからね」
「お母さん居ないと眠れないよう」
「お父さんが一緒に寝てくれるわよ。大丈夫」
母はそう笑いながら私に声をかけた。
その時の母の笑顔には凄く救われた思いをしたものだ。
その後、帰宅した私は居間のテーブルの上にあるものを見つける。
あの万華鏡だ。
筒を包んでいる鮮やかな紙は私がずっと触っていたことによってボロボロになり、色も褪せている。
無くしたはずの万華鏡が居間のテーブルの上に有った。
それに私は喜び、すぐさま覗き込もうとした。
「今日のご飯は何が食べたい。お父さんが美味しいところに連れていってあげよう」
「本当。やった。私ね、ハンバーグが食べたい」
「ハンバーグか、じゃあ行こう」
「うん」
父の呼び声に私は振り向き、食事に連れていってもらった。
あの時、万華鏡を覗いていたら私はどうなっていたのだろうか。
「あれ、まんげきょうは」
「あれはお母さんが持っていったよ」
「私のまんげきょうなのに」
「お母さんも寂しいんだから、お前の大事な万華鏡を見て、元気になるんだよ」
「そっかー。お母さん早く元気になってほしいな」
「そうだね」
「あれ、でも、病院から帰ってきたときはここに有ったよ」
父の顔は瞬時に青ざめた。
父は私を抱きかかえ、すぐに車へと向かった。
その後の記憶は無い。
気がつけば私は病院で眠る母の横で泣いていた。
私は大人になってから、記憶が無かった部分の話を聞いた。
父は、母が持って行って隠していた万華鏡が、私のポケットの中にあるのを見て戦慄したらしい。
母は私が届かないような高い棚の上に確かに隠していたのだという。
それを見た父はすぐさま病院に向かい、万華鏡の有無を確認すると棚の上には無かったらしい。
それを確認した父は私のポケットから万華鏡を取ろうとした。
しかし、私は子供とは思えない力で父の手を制し、血走った目でこう言ったという。
──見ぃつけた
何を見つけたのか。
すぐにその答えは分かった。
万華鏡が私を見つけたのだ。
恐らく、万華鏡は私を憑り代として選んだのだろう。
その後、ゲラゲラと笑っている私を見て、父も母も呆然と得体の知れない恐怖と対峙していたと聞いた。
私の笑い声に気づいた看護師さんに声をかけられるまで動けなかったという。
正気に戻った父は無理矢理私を取り押さえ、母は私から万華鏡を奪った。
その万華鏡を受け取った父は直ぐ様近くのお寺に向かい万華鏡を供養してもらったそうだ。
万華鏡をそのまま持ち続けていたらどうなったのだろう。
その答えは恐ろしくて考えたくもない。
しかし、その話を両親から聞いた後からだろうか。
仕事で疲れた体が睡眠を拒否するようになった。
眠れない時はその話のことを思い出してしまう。
極力思い出さないようにしているのだが。
最近は思い詰め過ぎなのか、幻聴まで聞こえるようになった。
頭の中に声が響く。
──見ぃつけた
私の部屋の片隅には、万華鏡があった──