御代が「令和」に改まって長い長い連休も終わり忙しない日常に明日から戻る人も多いいこと思われこますが新元号の煽りを受けてかこのところ「万葉集」への関心が高まっているとか。

吾も日本の古典に肖り平家物語への憧憬を新たにした次第てあります。昨年度世界の超富豪トップ26人が保有する富の総額と世界の最貧困者から数えて36億人が保有する富の総額とが等しい金額との統計がああるそうですが何故こんな事態が起きてしまうのでありましょうや。若しかすると超大金持ちの人々は生物としての人間を忘れてしまっているのかも知れません。吾らが戻るべきは「吾らは皆必ず死ぬ」と言う原点ではないでしょうか。ここで小生の座右の銘「盛者必衰」「生者必滅・会者定離」の記された平家物語巻第一と巻第十からの部分引用をさせて頂きます。若しお気が進みましたらどうぞご一瞥下さいませ。

 

【厳島神社・平家納経】より転載

 

(一)祇園精舎

 <原文>

 `祇園精舎の鐘の声諸行無常の響あり

`娑羅双樹の花の色盛者必衰の理を顕す

`奢れる人も久しからずただ春の夜の夢の如し

 `猛き者もつひには滅びぬ偏に風の前の塵に同じ

 

 <現代文>   

天竺の祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きをたてる

釈尊入滅の折に白く変じた娑羅双樹の花の色は、盛者必衰の道理を表す

驕り高ぶる人の勢いも長くはない、春の夜の夢のようである

勇猛な者もついには滅ぶ、風の前の塵に同じ

 

十(一二) 維盛入水

<原文>

聖も哀れに思ひけれども我さへ心弱くては叶はじとや思ひけん涙を押し拭ひさらぬ体にもてなして

高きも賤しきも恩愛の道は思ひ切られぬ事にて候へばまことにさこそは思し召され候ふらめ

中にも夫妻は

一夜の枕を並ぶるも五百生の宿縁

と承れば前世の契り浅からず

生者必滅会者定離は憂き世の習ひにて候ふなり

末の露本の雫の例しあればたとひ遅速の不同ありといふとも後れ先立つ御別れつひに無くしてもや候ふべき

 

<現代文>

時頼入道も哀れに思ったが、自分まで弱気ではいけないと思い、涙をぬぐい、平常心を装って

身分の上下にかかわらず、恩愛の道というのは思い切れないものですから、そう思われるのはもっともです

とりわけ夫妻は

一夜の枕を共にしただけでも五百度生まれ変わる前からの縁で結ばれている

と言いますから、前世の契りも浅くはなかったでしょう

生きる者は必ず滅び、会う者は必ず離れるのが現世の定めです

木の葉の端の露が木の元の雫となるという譬えもあるように、仮に遅い早いの差はあっても、後れるか、先立か、別れは必ずやって来ます

 

脚注:抜粋引用先

https://www.koten.net/heike/