しにものがたり
辞世の言葉1.ルイ16世(1793.1,21午前10時22分.断頭台で処刑さる)「余は余が告発されたすべての罪について潔白のまま死ぬ。余は余のすべての敵を許す。余の血がフランス国民にとつて有益ならんことを!神の怒りを鎮めんことを余は切望する。かつ、汝らの不幸な人民の怒りを・・・・・(死の名場面・ワニ文庫<藤原宰太郎>)」1793年1月21日午前10時22分、シャルル=アンリ・サンソンの執行により革命広場(現コンコルド広場)でギロチンで斬首刑にされた。これに先立って、革命前に「人道的な処刑具」としてギロチンの導入が検討された際、その刃の角度を「斜めにするように」と改良の助言を行ったのはルイ16世本人だった。 大デュマは処刑当日の様子を次のように記述する。 朝、二重の人垣を作る通りの中を国王を乗せた馬車が進んだ。革命広場を2万人の群集が埋めたが、声を発する者はなかった。10時に王は断頭台の下にたどり着いた。王は自ら上衣を脱ぎ、手を縛られた後、ゆっくり階段を上った。王は群集の方に振り向き叫んだ。「人民よ、私は無実のうちに死ぬ」。太鼓の音がその声を閉ざす。王は傍らの人々にこう言った。「私は私の死を作り出した者を許す。私の血が二度とフランスに落ちることのないように神に祈りたい」。という、フランスへの思いが込められた一言だった。