8月後半はお天気が続かず、写真が撮れなかったので
得意の!(笑)文字だけブログです![]()
7月の終わり、今年はまだ梅雨明け前だったので、
今のうちに草むしりを終わらせよう!と準備をして外に出ました。
すると始まって10~15分しか経っていないのに、ポツポツと音がして、
あっという間に大粒の雨が降ってきました。
「え~!?晴れてたから出てきたのに!っていうか、青空見えてんじゃん!」
いわゆる天気雨の状態だったので、すぐに止むと思い軒下で立っていたら、
一羽のカラスが低空飛行してきて、私の目の高さで、
こちらに羽を見せつけるようにしながら隣家の棚に留まりました。
後ろ姿ではありますが、首(眼)だけは横に向け、
「オイ、見てるか!?」と言いたげな雰囲気(笑)
雨はまったく止む気配がなく、でもせっかく準備して出てきたので
玄関ポーチに移動し、そのまま待つことにしました。
大粒の雨が陽の光に照らされ、金色のシャワーが降り注いでいるようだな~と思っていたら、
その中を、また先ほどのカラスが、私の目線の高さで玄関を回り込むように飛んでいき、「何か見られてる…?」と感じました(笑)
この雨の中、カラスもどこかで雨宿りをしていたほうがいいのに、
わざわざ姿を見せてくれたのかな~などと考えていると、少し小降りになったので、
地面は濡れてしまったけど、草むしりを続けることにしました。
その後も、雨は降ったり止んだりで蒸し蒸しするし、
ヘンなお天気だったのですが…
ふと空を見上げると、大きな虹が出ていました!!
しかもダブルレインボー![]()
「これを見せてくれるためだったのか~!」と感動しました![]()
虹は、特定の気象条件やタイミングが合わないと見られないので、
“神ごと”(神の手になる出来事)だと思っています。
しかも、普段引きこもっている私が、外に出たタイミングを狙ってのことなので、
これは完全に見せて下さったんだな~と神聖な気持ちになりました。
関西のほうでは、天気雨のことを「狐の嫁入り」と言うそうですが、
まさに「狐につままれたような」とはこのことだろうな…
というフシギな空気感が漂っていました。
天気雨や虹は、「龍が通った跡」という説もあるそうで、
何か大きなものに包まれているような雰囲気の中、草むしりを続けましたが…
あれから1ヵ月ほど過ぎた現在は、またボーボーになっております(笑)
雑草の生命力ってスゴイな~といつも感動します。
私は、草がイキイキと生い茂っている様を見ると元気をもらえる気がするので、
草が生えていてもイヤではないのですが、借家なので、そのままにはできないのです…
とはいえ、今夏は暑すぎてキケンなので、もうしばらく放置することになりそう![]()
数日後、とある神社へ向かったのですが…
その道中でも、神社に近づくにつれ雨が降ってきました。
シトシトと細かい雨でしたが、やっぱり陽が差していて
金色のシャワーのようだったのです。
神社にお参りをして、裏手にある「龍の寝床」を訪ねてみると…
「(龍が)いる!」と感じました。
これまでにも何度か訪れていますが、いつも何となく「空っぽ」のような
雰囲気だったのです。
“寝床”だから、いないときのほうが多いのかな~と思っていたのですが、
この日は、緑色の龍が立体的に盛り上がっているように見えて、
龍は水の神様だし、いらっしゃるから雨が降ったのか~と納得でした![]()
クマ(夫)は、「龍の眼がまばたきしてたんだよ!」と言っていました。
緑色の何かがパタパタしていて、よく見ようと近づいたら見えなくなったそうです。
フシギなものは、肉眼で見ているわけではないので、見ようとして焦点を合わせると、かえって見えなくなるのです。
もしそれが、本当は葉っぱか何かだったとしても、ちょうど眼のように見える位置で、パタパタと動いていたのは、たぶん偶然ではないのです。
目に見える現実の世界と、見えない世界の境目は、そんなふうに曖昧で、
見る人の受け取り方によっては、「葉っぱだよ」「偶然だよ」で済まされてしまう
程度のことなのだと思います。
「フシギだ~!」と思うのも、「葉っぱでしょ(笑)」と思うのも、その人の自由で、
どちらが正解とか間違いとかではないのでしょう。(どちらも正しい)
ただ、何にでも合理的な理由をこじつけようとして必死になるのは、
「自分にわからない(理解できない)ことがある」という事実が怖かったり、
癪に障るので、受け入れたくないのだろうな…と感じます。
得体の知れない(自分に見えない)存在がいると認めるのは怖いから(信じたくないから)、全てを見える世界のことだけで判断しようとするのだろうと思います。
神社を出るとき、入口近くで黒いアゲハ蝶が飛んでいました。
ほんの一瞬で見えなくなってしまいましたが、
私が「神社で見る黒アゲハは、神様の歓迎なんだって!」と言ったら、
クマが「え?オレ見えなかった!もう一回来てくれないかな~」と言ったところ…
再びどこからか大きな黒い蝶が現れて、私たちの間を一周ずつ回っていってくれました
(ちょうど無限大のマーク∞みたいに!)
見えない世界は、そこに意識を向ければ、確かに“ある”というサインを返してくれます。ただし、気づかなければそのままですし、「偶然だ!」と思う人にとっては
ただの偶然であり、何の意味も持ちません。
クマも、最初はまったく気にしない人でしたが、私が「あれ!コレ!」と言っているうちに、私よりも気づくクマになりました(笑)
今では、野良ネコがわざわざ挨拶しにきてくれる(ように感じる)そうです…
でも、犬には吠えられるので、本当にクマだと思われているのかもしれません![]()
私は不思議なものを目撃しても、自分の記憶に残すに留め、
写真は撮らないことにしています。というか写せない(写らない)のです。
フシギな世界は、「証拠を残そう」とか「誰かに見せたい(自慢したい)」という
エゴの欲求とは、相容れないエネルギーだからだと思います。
ハッキリと何かの形をしていた雲も、カメラを向けるとどんどん崩れていったり、
フシギな動きをしていた葉っぱも止まったりします。
なので、世に溢れる“フシギな写真”は、そんなつもりもなく自然に撮れてしまった、
または写り込んでいたというカンジなのではないでしょうか。
(撮ろうと思って、フシギな写真を撮れる方というのは、本当にエゴがないのでしょうね…)
UFOも地球外生命体も存在するし、妖怪も妖精もいるだろうと思います。
(私はむしろ「いる」と考えたほうが合理的というか、辻褄が合う気がするのですが…ただし、私たちが認識できる領域ではないということです)
妖怪は、見た目が私たちと大きく違うことで恐れられているのかもしれませんが、
宇宙に「醜い」という基準はないし、醜いから悪者とも限りません。
むしろ“美しい”姿のほうが騙しやすいので、そう見せている場合が多いでしょう。
もし、神や高次元の存在が「醜い」と感じるとしたら、それは見た目の姿形ではなく、その者が放つ“波動”に対してだと思います。
何年も前に夢で見たのですが、私が地球に来たときも、人間の姿に似せていたけど、
本当はボコボコした溶岩の塊みたいな(巨大なナマコみたいな?)姿だったのです(笑)
仲間たちは、今でも奇怪な形の石(岩)として砂漠に眠っているようで、
初めて画像を見たとき、「夢で見たのはコレか!!」と直感しました。
私の手元にはなく、勝手に画像を掲載することはできないため、
ご興味のある方は検索してみて下さい※
いつか時が満ちたとき(砂漠に“水”が戻ったとき)、復活するのかもしれないと思っています。
※「砂漠の星」「Zストーン」「プロフェシー(予言)ストーン」といった名称で流通しているようです。
ホクロやイボができやすい体質なのも、もしかして元の(ボコボコした)遺伝子が
働いているのかな?と思っています(笑)
(除去しても、またできてしまうので…)
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