そんなデコポンが11月頭から食欲が落ちて、病気っぽくなった…
寒くなりはじめ、急激な季節の変化に体がついてきていないと
思い、数日様子をみることにした。
あまり、様子が変わらないので5日くらいしてから、いつも行っていた
病院につれていった。この病院はうさぎ専門ではなかったが、週3回だけ
うさぎを見れる先生がいらしていたため、うさぎようの抗生剤と食欲増進剤を処方してもらった。
ちなみに、いままで飼っていたにもかかわらず基礎知識が欠落していたせいか
このとき、うさぎは常にものを食べていないと腸にガスがたまって死んでしまう
ということを初めて知った。
後々勉強したことにより知ったことであるが、ウサギの腸内は
人間よりも複雑な細菌叢が存在し、バランスを保ちながら細菌と共存している生き物
みたいなのだ。そしてそのバランスを保てる食べ物が「繊維質」
だから、ウサギはしょっちゅう草を食っている。
ウサギが自力で食べる能力がないのなら、こちらが強制的に食べさせるしかないらしく、
11月5日を機に家族でデコポンの強制給餌をすることになり、デコポンの闘病生活がはじまった。
強制でやられるものだから、当然のごとくデコは抵抗しまくり
でもこっちはなんとかして元気にしようと、ネットでウサギについて調べまくり、
時に専門的な文献も読んだり、流動食のメニューを考えるはでいままでで一番
彼と向き合っていた。そして、いっぱい抱っこができる最後の機会だった。
一時は体力は回復するも、一向によくならず、原因もはっきりしないままだった。
闘病生活が2週間もつづいたあるとき、(いま考えると原因をはっきりさせないまま
長い時間をすごしすぎた)、私の直感が
「やっぱりなんかおかしい、専門病院につれていかなくちゃ」
と訴えた。専門病院は家から1時間40分もかかるのだが、急いでつれていくことになった。
病院では先生たちが丁寧にみてくれ、的確な診断と処置をしてくれたのだが、
デコも病院についてほっとしたせいか、数分後に急に容態がおかしくなった。
先生はあわてて、ショック死防止の注射と輸液をした。そのときのデコは体力が弱りすぎて
自分の体を自分で支える力も残っていなかった。
結句これ以上病院ではできることがないということになり、元気になったら飲ませる用の薬をもらい
私は家に帰ることになった。
帰りの電車の中では気が気ではなく、ずっとデコをなでつづけ、励ましつづけ、いつもみたいに
やんちゃにはしゃぐあいつに戻ってくれることを必死に祈った。
しかし、もはや死にゆくあいつを止める術はなく、数分後私の手のなかで息をひきとった。
はじめは信じられず、すぐ駅のホームにおり確認したが、デコは既に動かなくなっていた。
いままで一緒にすごしてきた記憶、死ぬ瞬間のデコ、もっと早くに気付いてあげられたら
という後悔の念、様々な思いが巡り、しばらくホームの地べたに座りこんで泣いていた。
動物は非常に慈悲深い。人間の想像を絶するくらいの無償の愛をもっている気がする。
後になってみれば色々なことを理由づけすることもできるし、自分なりの勝手な解釈をする
こともできるが、デコポンが死んでから、残された彼の愛をとても感じた。
私が小樽に研修いっているころ、家で一人残された母(父は単身赴任中)jに寂しい思いを
させないようにしていたデコポンは私が実家に帰ってきて、お役目を終えたとでも考えたのだろうか…
それとも、11月から約3週間闘病生活をつづけていたが、その間私も母も仕事を早く終えて帰宅し
すぐ、デコポンにお薬と流動食を与えていた。仕事中もずっとデコを気にしていた私と母にデコポンは
もう迷惑をかけないように逝ってしまおうと考えたのだろうか…
正直、いまでも「もっとあいつにやれることがあったはずだ」
という後悔があるが、デコポンは私に多くのメッセージを残していった。
彼の死を乗り越えたとき、自分はいまよりもなにか違う存在になっている気がする。
成長しなくてはいけない
デコポンのために…