7日より今年の大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。

王朝の襲色目など勉強してみたく、まずは見てみましたが、次回の予告では、主人公は平安時代の成人になる儀式である裳着の儀を行うようですね。



民族衣装普及文化協会のホームページよりお借りしました。



成人の日には、こちらでも振袖で街を歩く女性に何人か出会うことが出来ました。

やはり若い人の着物姿は良いですねニコニコ

オバチャン眼福ラブラブ


参考までに…


昔のニコニコ
着付けは母



数年前のニコニコ娘さん
ママ振りとゆうやつ。
着付けはデパート(ニコニコは指を骨折して握力が戻ってなかったので着付けはしなかったのです)



…そういえば、着物の袖はなんで長いんでしょうね?

振袖は特になんであんなに長いんでしょうね?


呉服屋さんで

キョロキョロ「着物の袖ってなんであんなに長いんでしょう?」と以前聞いた時がありました。

お店の方は

真顔「それは、ヨヨヨと袂にすがって泣く様子が女らしいとされたためでしょう」

とおっしゃいました爆笑


イヤイヤおいで

そう言えば、きもの文化検定の課題本にも、瀬戸内寂照さんの現代語訳で源氏物語の課題箇所を読むようにとあるのですが(去年は「夕顔」でした)、男女問わず、光源氏や周りの皆さん、しょっちゅう涙で袖を濡らすんですよね。


凝視着物に涙や鼻水つけたシミってなかなか取れないのよね。

ショボーン七五三とかね、悉皆屋さんに頼んで取るの大変だったよ。涙で濡らす袖ってシミだらけだったんじゃないかしらね?




さて、着物の袖の歴史を、ネットサーフィンしながら、怪しいなりにも、自分なりにまとめてみました。


    弥生・古墳時代の昔々、貫頭衣だった衣服に袖が付いたのは最初は防寒の意味もあったのでしょう。時代を経ると次第に大陸や半島との交流も影響してきました。中国の唐の時代ではお金持ちの支配階級は漢服(袖の長い着物)を、労働者階級は遊牧民の胡服(筒袖の着物)を着ていたそうで、それが遣唐使が盛んだった時代に次第に日本にも浸透してきて、日本でも支配階級は動かなくても生活出来る、優雅な、袖の長い着物を、一般階級は動きやすい筒袖の着物を着ていたそうです。


    その後遣唐使が廃止され、日本独自の国風文化が生まれ、十二単を着ていた頃には貴族階級の着物の袖はどんどん長くなったようです。長すぎるのは贅沢すぎるということで、藤原道長の時代には、着物の袖は一尺八寸(54センチ)とすることというお触れが出たとか。それでも現代の宮中の装束の袖の長さは二尺7寸(80センチ)くらいだそうで、道長の時代の袖の長さは現代の装束よりはかなり短いそうです。


ところで、この時代の着物の袖は、袖口が閉じていない、大袖という、袖丈の長さ=袖口の長さの袖でした。今でも宮中の装束の他、僧侶や神主の正装に大袖が見られます。今の着物のように袖口の下が閉じられている?袖口の狭い?着物は小袖と呼ばれ、貴族階級には宮廷での礼服の下着として着られていました。武家や庶民階級でも小袖の上に水干など着ていたり、貴族も家でくつろぐ時は小袖でということもあったようです。


    武家社会になると、重ねて着ていた着物の簡略化が進んでいきます。室町時代後期、桃山時代に入ると、小袖に絞りや描き絵等の装飾加工を施した小袖が表着として、男女ともにさまざまな階級に着られるようになります。


にっこり  そう言えば振袖も大袖でなくて小袖ね。

照れ  お〜✨良いところに気づきましたね。


    振袖の元は振八つ口と呼ばれる子供用の着物だと言われています。八つ口とは着物に開いている八つの口のひとつで、脇明きとも呼ばれ、体温の高い子どもの熱を逃すために開けられた生活の知恵でした。ですので、昔は男児も振袖を着ていたことになります。

    

男女とも成人になると袖留といって、振八つ口を塞ぎ、袖丈を短くしました。この着物のことを留袖といいました。

    振袖の長さは、富の象徴として、支配階級だけでなく裕福な町人でも長くなっていったそうで、元禄時代は55センチ〜95センチだったのに比べ、江戸時代後期には95〜125センチになったそうです。


それには踊りをされる方の、袖が長いと舞台映えがするというのに関係しているとか。←ここ追記


また未婚女性は関所では振袖を着るお触れがあったとか、着物の袖を振ることが魂振りと呼ばれる神事につながるので厄除けになるとか、古来からの袖振りは求愛の印なので良縁を得るためであるとか、さまざまな着物の袖の長さに関する説があるようですよ。

  

凝視ほぉ〜、振袖と留袖の由来ね。

にっこり  あかねさす〜 紫野ゆき、標野ゆき〜、野守がみずや、君が袖振るルンルン(←万葉集の求愛のうた)



ところで、女性の着物を対丈で着て細い紐を巻いていた江戸時代初期に比べ、江戸時代後期になり帯の幅が広く帯を胸高に締めるようになると、腕を自由に動かせるようにするため、成人女性の着物にも身八つ口が開けられました。身八つ口は授乳などにも役立ったようですよ。



照れ そういうわけで


ここから調べてみようと思い、課題としていた袖の問題ですが、こんな形にまとめてみたのでした。


長文お読みいただきありがとうございました〜ニコニコ