『性』に対する今昔の変遷 | kuma-pのブログ

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LOVE & PEACE を叫ぼうぜ!

映画「スタンド・バイ・ミー」よろしく、私は小学生のころ、近所の悪ガキ3人とつるんで家出同然の『失踪』を企てたことがありました。

 

 

1986年に公開されたこの映画よりもずいぶん前に、私たちはこれとほぼ同じことをやったのでした。この映画を初めて観た時、「え?! オレの脳内がハッキングされた?ガーン」と驚いたものです

 

 

 

ただ、映画とは異なる点は、私たちの目的は◯体を見つけに行くことではなく、山林の伐採のために私たちの村に数カ月滞在する間、小学生の私たちにいろんなことを教えてくれるなど、とても仲良くしてくれた遠方に住む『素敵なおじさん』に会いに行くためでした。

村から突然4人の子供が失踪したので、県下全域に捜索願が出されるほどの大事件だったことは言うまでもありません💦

 

 

 

かなり遠い道のりを、4人のなけなしの小遣いをかき集めたお金で途中までバスを利用したものの、残りの約30kmはひたすら歩き続けたのでした。

4人の中でも最年少(小学校低学年)だった私には『地獄の道のり』でした ゲッソリ

 

 

 

その日の夕方『素敵なおじさん』が住む村に辿り着いた私たちは、とにかく疲れ果てていました。

 

そして、何の連絡もなく突如目の前に現れた4人の子供たちに、おじさんは心底驚いていたものの、ヘトヘトに疲れ果てていた私たちを労おうと、美味しい夕食の後、地元の無料の温泉に連れて行ってくれたのでした。

 

 

 

 

その温泉は裸電球が一つ灯るだけの、実に薄暗くて小さな“ひなび過ぎた”温泉でして、しかも驚くことに『混浴♨』でした。

その温泉に入湯した時は、まだ5人の貸切風呂状態でした

 

 

それまで、女性といえば母親や祖母としか一緒にお風呂に入ったことのない私は、子供のくせして『知らない女の人が入ってきたらどうしよう…?』などと、ちょっぴり不安に思ったのを覚えています。

 

 

 

で、ハイ! やっぱり心配していた事態が発生したのでした。

 

 

それまで5人の男しかいなかった温泉に、二人のおばちゃんが堂々と入ってきたのでありました。

 

 

男5人と女2人の混浴状態です。滝汗

 

 

 

 

ところが、私の心配とは裏腹に、その未知の体験に対して私の心に生じた感情は、意外にも『あれ? なんかこれ平和な感じがしていいかも!?照れというものでした。

 

 

 

 

 

あれから幾星霜。

オッサンとなった現在の私が今、もし当時に戻って混浴温泉に浸かっていたとして、後から女性が入ってきたらどう感じるのだろうか?

 

また逆に、女性が入っている温泉に私は果たして“下心”なく堂々と入っていけるのだろうか?

 

 

 

そんな自問自答をしたときに、私の脳裏に浮かぶ答えは、

 

 

『否』

 

なのですよ😭

 

 

 

子供だった当時は『平和』と感じられたものが、なぜ今の私には『そうではなくなってしまった』のだろうか?  (・・?

浴場で欲情するってか?

 

 

 

それに対する今の私の答えは

 

『刷り込み』

 

です。

元凶はキリスト教と思われます

 

 

 

性は『淫靡なもの』『卑猥なもの』『お下劣なもの』『晒してはいけないもの』『公序良俗に反する犯罪行為』などといった、“外部から押し付けられた社会規範”に、いつしか洗脳されてしまった結果なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

なんと悲しくも哀しい時代であることでしょう。

 

悲しい✕哀しい=(TдT)

 

こんな式が成り立つ時代に成り下がってしまったようです。(←個人的感想である)

 

 

 

とはいえ、成り下がったダウンものは、もう一度成り上がらせるアップことができるに違いありません。

 

 

 

そうだそうだ!

成り上がらせようではないか!!アップアップアップ

(下心なしでお願いします→ワタス)

 

 

 

 

 

『トランスジェンダー』なる概念すら存在しなかった昔は、男女混浴は至極当たり前のことでした。

 

 

 

 

 

 

 

なんとも健全で羨ましい時代があったものです。

 

 

 

ところが、キリスト教による性に対する厳格な概念が押し付けられ、さらには昨今の『トランスジェンダー』という新しい言語までもが輸入された昨今の状況に至っては、混浴に対してなんか抵抗があるというか、なんか受け入れられないというか… 

 

いやいや、絶対ムリ!

 

そんな感覚がさらに強化されてしまったように感じられます。ショボーン

 

 

個人的には、ここに同席(同湯?)したくはない

 

 

 

 

 

 

大分県のTV局OBSの調査によれば、約7割の人が「抵抗がある」「どちらかといえば抵抗がある」となっていますが、逆に約3割の人は「抵抗がない」ということですね。

 

 

これって、『意識の進化』であり、『いいこと』なのか何なのか…?

私にはよう分かりません。

 

 

 

 

 

そういえば、パートナーから聞いた話ですが、NHKの番組『COOL JAPAN』での日本の温泉についての回で、ある黒人男性が「日本の温泉が好きで入りたいけど、周りからジロジロ見られるのが嫌で、温泉に入ることに抵抗がある」といった内容の発言をしていたとのこと。

 

 

それ、なんか分かるぅ~!

そうなっちゃいますよね 爆笑

 

 

巷の噂によると『黒人男性のアソコ > 日本男児のアソコ』という不等式が“定説”とされているので、そりゃ~気になってついつい確認作業をしてしまうのは無理からぬこと(?)なのかもしれません。

 

 

ちなみに、私は友人の白人男性と一緒に温泉に入ったことがありますが、私もそこそこ自信があるので(ウソ)、友人のイチモツには一瞥もくれてやりませんでしたとも。グラサン

 

 

 

え~っと…

 

変なことを書いているうちに何が言いたかったのか忘れてしまいましたが💦、ようするに性に関する問題は時代とともに複雑化する一方の状況ですが、私はそんなことにはイチモツ… もとい、一瞥もくれずに、昔ながらの“健全な感覚”で生きていきたいと願っている、ってな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

日本では江戸時代の名残で明治中期ごろまでは性におおらかだったのは確かなようですが、『おおらか=エロスに関心がない』ということではありません。

 

 

その証拠に、あの『富嶽三十六景』で知られる葛飾北斎が描いた春画『蛸と海女』のエロいことといったらありゃしません!

 

 

👇これを描いた人が…

 

 

👇こんなエロスの極致に挑んだのですよポーン

 

 

私の好きな春画です。

って、どうでもいいカミングアウトすな!ヾ(`□´メ) ペシ

 

 

 

 

 

 

 

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