前回同様、本文をそのまま引用しますので、分からなくなったら訳(山月記……①、②)も見ながら読むと分かりやすいと思います。



李徴は、袁さんに詩の伝録を頼みます。


本文:『自分は元来詩人として名を成す積りでいた。~略~ところで、その中、今も尚キショウせるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。~略~作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ』


李徴はもともと、詩人として名前を残すつもりだったのですが、今は詩がうまいとか、下手とか関係なく、自分がそこに『存在したという証拠』として詩を後代に残すことを望みます。

李徴は『李徴という一人の人間が、確かにそこに存在し、社会の一人としてではなく、一人の人間』として、後の世まで名前を残したかったのではないかと思います。

有名でない人は何年間この世界に名前を残せるのでしょうか?この世界の残酷さ(?)が伝わってきます。



本文:『しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と』


李徴にかけているもの。言わずもがなですね。人間性です。

ところで、この⑦番は後で出番を持って出てきます(笑)



本文(漢文):『偶因狂疾成殊類 ~略~ 不成長嘯但成嘷』


5、6の部分から、

どんな人間も(いくら今までの歩みが同じであろうと)少しの違いによって、最終的に大きな(取り返しのつかない)違いが出る。

誰もが虎になる可能性を持ち合わせている。

ここも⑧同様、後で出番を持ちます。



とても大切な役割を持っていそうな、『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』


『尊大な羞恥心』は、つまりは、李徴の虎でもあり、誰もが心に飼っている猛獣でもあります。

その猛獣を皆は操っているのですが、李徴は飼い太らせ、手に負えなくなって……ということですね。


『臆病な自尊心』とは、自分の才能の底を知られたくないがゆえに、人と交わらなかった、その『臆病なプライド(意味は同じですが)』ということですね。

人と交わらなかったので、李徴は「自分の持っていたわずかばかりの才能を空費してしまった」わけです。

ここの自己分析のシーンで李徴が、『自分自身のことを理解している』ことがとても重要だと思います。


本文:『だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは、わが妻子のことだ。 ~略~ おれは既に死んだと彼らに告げてもらえないだろうか。決して今日のことだけは明かさないでほしい』


本文:『そうして、付け加えて言うことに、袁さんが嶺南からの帰途には決してこの道を通らないでほしい、 ~略~ 勇に誇ろうとしてではない。わが醜悪な姿を示して、もって、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちを君に起こさせないためであると』


自分のことは死んだことにしてくれ。

袁さんは、自分に、もう二度と会わないでくれ。


李徴は人間のころから孤独だなんだと言っていたが、実はその周りには袁さんや妻子がいたのです。

その彼らを自分から遠ざけることで、自分が『本当に孤独になる』ことを哀しむ李徴。また、『慟哭』という言葉からも李徴の深い哀しみが読み取れますね。



本文:『虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、もとの叢に躍り入って、再びその姿を見なかった』


ここは、もう、本当に色々な読み取り方があると思います。

例えば、哀しみの咆哮なのか。

例えば、獣になった『自分本来の姿』をさらけ出しているのか。

何なんでしょうね。



山月記全てを通しての考察は次回です。

ピアノ行ってきます。



遅くなりました。

メモしていたノートを提出してしまって書けなかったです……。

今回からは山月記の読み取りをしていきたいと思います。長くなるので、今回だけでは終わらないかもしれません。

また、本文中心に書いていくので、分からなくなったら訳(山月記……①、②)も見ながら読むと分かりやすいと思います。



①まず最初に目につくのは『宿の役人』の言葉です。

本文:『これから先の道に人食い虎が出るゆえ、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、いま少し待たれたがよろしいでしょう』


この人食い虎とは言うまでもなく『李徴』であり、それはつまり、『李徴がもう既に人を食べている』ということを意味しています。

また、これは、李徴が袁さんを襲おうとする場面からも予測できます。もし相手が袁さんでなければどうなっていたのでしょうか。



本文:『虎はあわや袁さんに躍りかかると見えたが、たちまち身を翻して、もとの叢に隠れた


この時李徴は『虎としての本能』で相手に襲い掛かっていますが、相手が袁さんであると分かった途端に襲うのをやめました。これは『虎としての本能に人間としての理性がうち勝った』ことを表しています。

このことから、李徴が袁さんに対して他の人とは違った、何か特別な感情(友情)を抱いていることが分かり、李徴と袁さんの親しさや大切さが伺えます。


また、この数行後には、こう続きます。


本文:『自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人(とも)の前にあさましい姿をさらせようか』


ここで気になるのは『故人』の読み方。何故『こじん』と書いて『とも』なのでしょうか。

故人には『懐かしい友達』、『昔の友達』と言った意味があります。李徴はただ単に『懐かしい友達』として『故人』を使ったのでしょうか。ここを読み解くために袁さんの言葉も載せましょう。


本文:『その声は、わが友、李徴子ではないか?』


この通り、袁さんは李徴のことを『友』と呼んでいるのです。李徴→袁さんが懐かしい友であるならば、袁さん→李徴も懐かしい友であるはずです。それをわざわざ言い分けているということに、ここでの李徴の心情が表れているのではないでしょうか。

また、彼はこうも言っています。


本文:『~前略~かつて君の友李徴であったこの自分~後略~』


これらのことから、

『自分(李徴)から、君(袁さん)を友と呼ぶにははばかれる・君(袁さん)は昔の、あくまで李徴としての友達であって、今の自分(虎になった李徴)としては、友とは呼べない』といった、絶望や悲哀が表現されていると考えられます。

また、これは一方で、『自分を既に受け入れている』ということも読み取れます。



本文:『~前略~ふと目を覚ますと、戸外で誰かがわが名を呼んでいる』


これは、自分の中にある何か、大きく抑えがたい『感情』であると思います。



本文を読んでいて、李徴は『自分』と『俺』を使い分けていたことに気がついたでしょうか?もっとも、私の訳文では滅茶苦茶な一人称になっていたかもしれませんが。ごめんなさい。


本文(例):『~略~自分の中の人間はたちまち姿を消した』

本文(例):『~略~おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた』


これはなんとなくわかると思いますので、③と同じく流しますが、結局、『自分と言っているときは、客観的・冷静な人間としての李徴』であり、『おれと言っているときは、主観的・感情的な虎としての李徴』だということです。



本文:『おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、そのほうが、おれはしあわせになれるだろう』


これはつまり、『獣となった方がしあわせ』であるということであり、獣となれば『今までの憤りや恐ろしさといった、感情から解放』され、楽になれるだろう。ということです。


また、人間にとって最も恐ろしいことである、『感情が無くなる』ということが、今の自分にとってはしあわせである(自分がもう人間ではない何か別のもの=虎であるということ)。という自嘲的な意味合いも含まれていると思います。



おなかが減ったので、次回に続きます。











昨日の続きです。今回でとりあえず、全てを訳すつもりです。

ブログタイトル『山月記……③』 からは山月記の考察を書いていく予定です。正直、話を知っている人、本文を読んで意味がわかる人にとっては、①・②はいらないのかもしれません。

本文→http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html



さて、時はというと、沈みかけた月の光が冷やかで、白露が地面にたくさん降り、木の間を吹きわたる冷風は、もう朝が近づいていることを教えていた。

人々はもう、起きていることの不思議さを忘れて、静かに、かしこまって、この詩人の不幸を嘆いた。李徴の声は再び続ける。


何故こんな運命になったのか分からないと、さっきは言ったが、しかし、考え方ようによっては、思い当たることが全然ないわけではない。


人間だった時、俺はできるだけ人との交わりを避けた。人々は俺をおごりたかぶって、いばり、人を見下していると言った。実は、それがほとんど、自分を恥じいる気持ちに近いものであることを、人々は知らなかった。

勿論、かつて、郷里一帯でも並はずれた才能の持ち主だと言われた自分に、高いプライドが無かったとは言わない。しかし、それは臆病なプライドだと言う方がふさわしいものだった。


俺は詩によって後世に名前を残そうと思いながらも、師匠についたり、進んで詩友と交わって自分の才能に磨きをかけたりすることをしなかった。しかし、かといって、俺はつまらない人間と交わり生きていくことも嫌だった。どちらも、私の臆病なプライドと、いばった恥ずかしさのせいである。

自分に才能がないことに気づくのを怖れるあまり、あえて、苦労して才能を磨こうともせず、また、自分に才能があることを半分、信じていたために、つまらない人間と交わり、平凡に生きることもできなかった。

俺はしだいに世の中から離れ、人と遠ざかり、怒りや悩み、恥によってますます自分の中にある臆病なプライドを飼いふとらせる結果になった。


人間は誰もが猛獣使いで、その猛獣に当たるのが、その人々の生まれつきの性格やこころだという。俺の場合、このいばった恥ずかしさが猛獣だった。虎だったのだ。これが俺自身を失くし、妻や子供を苦しめ、友達を傷つけ、果ては、俺の体をこのように、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。


今思えば、全く、俺は、俺の持っていた少しだけの才能を、無駄にしてしまったわけだ。人生は何もしないにはあまりに長いが、何かをするにはあまりに短いなどと、口先ばかりの忠告をもてあそびながら、事実は、才能が無いことが明るみになるかもしれないという、卑怯なおそれと、励み努力することを嫌がるナマケ癖が俺のすべてだったのだ。

俺よりもはるかに十分でない才能でありながら、それのみを磨いたために、堂々とした詩家になったものがたくさんいるのだ。虎となり果てた今、俺はやっとそれに気づいた。それを思うと、おれは今も胸をやかれるような後悔を感じる。


俺にはもう、人間としての生活はできない。例え、今、俺が頭の中で、どれだけ優れた詩を作ったとしても、どういった手段で発表できるだろうか。それに、俺の頭は日が経つにつれて虎に近づいていく。どうすればいいのだ。俺の無駄になった過去は?俺はたまらなくなる。

そういうとき、俺は、向こうの山の頂上の大きな岩に上り、静かで寂しい谷に向かって吠える。この胸をやく苦しみを誰かに訴えたいのだ。

俺は昨日の夕べも、あそこで、月に向かって吠えた。誰かにこの苦しみが分かってもらえないかと。しかし、獣たちは俺の声を聞いて、ただ、おそれ、ひれ伏すばかり。山も木も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、興奮しているとしか考えない。天に躍り地面に伏して嘆いても、誰一人として俺の気持ちを分かってくれるものはいない。ちょうど、人間だったころ、俺の傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。

俺の毛皮が濡れたのは、夜露の所為だけではない。


やっとあたりの暗さが弱まってきた。木の間を通って、どこからか、夜明けを告げる角笛が響き始めた。


もう、別れを告げなければならない。虎に還らなければならない時が、近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れをする前にもう一つ頼みがある。それは私の妻や子供のことだ。彼らはまだカク略にいる。当然だが、俺の運命について知っているはずが無い。君が南から帰ったら、俺はもう死んだと彼らに伝えてもらえないだろうか。絶対に今日のことだけは教えないでほしい。図々しいお願いだが、彼らが孤独であることを可哀想に思って、これからも道で飢えたり凍えたりすることがないようにしてくれるなら、私にとっては、とてもうれしいことだ。


言い終わると、草むらの中から嘆き悲しむ声が聞こえた。袁もまた涙を浮かべ、喜んで李徴の希望通りにしたいと答えた。李徴の声は、しかし一瞬のうちにまたさっきの、自らを嘲る調子にもどり、言った。


本当は、まず、このことを先にお願いするべきだったのだ。俺が人間だったなら。飢え凍えようとする妻や子供のことよりも、自身のつまらない詩業のほうを気にしてしまっているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。


それから、こう付けくわえた。

袁さんが嶺南からの帰り道には絶対にこの道を通らないでほしい。その時には自分が酔っていて故人と認めずに襲いかかるかもしれないから。

それと、今別れてから、百歩進んだ先の所にある、あの丘に上ったら、こちらを振り返って見てほしい。自分の今の姿を、もう一度見せてあげよう。

勇み、誇るためではない。私の醜い姿を見せて、それで、また、ここを通って自分に会おうという気持ちを君におこさせないためである。と。


袁さんは草むらに向かって、丁寧に別れの言葉を述べ、馬に乗った。

草むらの中からは、また、耐えきれない様子の悲しみの声が漏れた。

袁さんも何度か草むらを振り返り、涙を流しながら出発した。


一行が丘の上に着いたとき、彼らは、言われたとおりに振り返って、さっきまでいた林の中の草地を眺めた。

いきなり、一匹の虎が草の茂みから道に飛び出したのを彼らは見た。虎は、もう既に白く光を失った月を見上げて、二声三声吠えたかと思うと、また、もとの草むらに飛び込んで、二度と姿を見せることはなかった。