前回同様、本文をそのまま引用しますので、分からなくなったら訳(山月記……①、②)も見ながら読むと分かりやすいと思います。
⑥
李徴は、袁さんに詩の伝録を頼みます。
本文:『自分は元来詩人として名を成す積りでいた。~略~
李徴はもともと、詩人として名前を残すつもりだったのですが、今は詩がうまいとか、下手とか関係なく、自分がそこに『存在したという証拠』として詩を後代に残すことを望みます。
李徴は『李徴という一人の人間が、確かにそこに存在し、社会の一人としてではなく、一人の人間』として、後の世まで名前を残したかったのではないかと思います。
有名でない人は何年間この世界に名前を残せるのでしょうか?この世界の残酷さ(?)が伝わってきます。
⑦
本文:『しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と』
李徴にかけているもの。言わずもがなですね。人間性です。
ところで、この⑦番は後で出番を持って出てきます(笑)
⑧
本文(漢文):『偶因狂疾成殊類 ~略~ 不成長嘯但成嘷』
5、6の部分から、
どんな人間も(いくら今までの歩みが同じであろうと)少しの違いによって、最終的に大きな(取り返しのつかない)違いが出る。
誰もが虎になる可能性を持ち合わせている。
ここも⑧同様、後で出番を持ちます。
⑨
とても大切な役割を持っていそうな、『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』
『尊大な羞恥心』は、つまりは、李徴の虎でもあり、誰もが心に飼っている猛獣でもあります。
その猛獣を皆は操っているのですが、李徴は飼い太らせ、手に負えなくなって……ということですね。
『臆病な自尊心』とは、自分の才能の底を知られたくないがゆえに、人と交わらなかった、その『臆病なプライド(意味は同じですが)』ということですね。
人と交わらなかったので、李徴は「自分の持っていたわずかばかりの才能を空費してしまった」わけです。
ここの自己分析のシーンで李徴が、『自分自身のことを理解している』ことがとても重要だと思います。
⑩
本文:『だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは、わが妻子のことだ。 ~略~ おれは既に死んだと彼らに告げてもらえないだろうか。決して今日のことだけは明かさないでほしい』
本文:『そうして、付け加えて言うことに、袁さんが嶺南からの帰途には決してこの道を通らないでほしい、 ~略~ 勇に誇ろうとしてではない。わが醜悪な姿を示して、もって、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちを君に起こさせないためであると』
自分のことは死んだことにしてくれ。
袁さんは、自分に、もう二度と会わないでくれ。
李徴は人間のころから孤独だなんだと言っていたが、実はその周りには袁さんや妻子がいたのです。
その彼らを自分から遠ざけることで、自分が『本当に孤独になる』ことを哀しむ李徴。また、『慟哭』という言葉からも李徴の深い哀しみが読み取れますね。
⑪
本文:『虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、もとの叢に躍り入って、再びその姿を見なかった』
ここは、もう、本当に色々な読み取り方があると思います。
例えば、哀しみの咆哮なのか。
例えば、獣になった『自分本来の姿』をさらけ出しているのか。
何なんでしょうね。
山月記全てを通しての考察は次回です。
ピアノ行ってきます。