明日から十日間の外国出張。フランスのパリで年に二回のメッセ
がある。その準備もあって、このところ目が回るほど忙しい。
夜中の1時、2時に自宅へ戻ることもしばしば。
「忙しい」はリッシンベン(心)に亡くすと書く。
このところまさに自分がなくなって、心をどこかに置き忘れて
きたかのよう。イカン、イカン。
そんな中、真夜中、居間の本棚の中に古い本を見つけた。
忙中閑あり。ドイツ語の小さな詩集のような本。
自分の過去の経験と重なるところも随分ある。
今日はその話をしよう。下は僕の自由訳。
夜中の2時近く。タクシーの中。外は暗い雨。
クルマのライトのみが、赤や黄色に光っている。
ラジオから流れるポップスはうつろな響き。
昔の話を想い出す。
三十回は声にして「君が好きだよ」と繰り返していたら、
ある晩、突然、「あなたは私と何がしたいの?」ときた。
あなたは29回、考えてのことだったのだろうか?
もちろんそうではない。
ある晩、突然、「あなたは私と何がしたいの?」ときた。
あなたは29回、考えてのことだったのだろうか?
もちろんそうではない。
何もない。その瞬間が切り離されていたから。
二人とも互い違いだし、いろいろなことがあったから、
意味や時間のつながりを追いかける言葉は得意ではなかった。
あなたの声。
秋の日のように。
大雪のなかを歩いたように。
僕達はひとりひとりだった。
切り離されたいのちを、手と手が結んでいた。
夜中の2時近く、タクシーの中。
過ぎ去る時間を追いかけて、暗闇の中を光が流れていく。
結びついては離れてゆく。
あなたには当たり前。
僕には偶然を必然にするものが欠けていた。
人生の多くの時のように。
二つの椅子。その間には多くの、あまりに沢山の時間が
既に流れていた。テーブルだけが二人をつなぐよう。
僕はどちらにも座ることが出来なかった。
夜の2時。クルマはもうすぐ、家に着く。
そこには僕の場所もあるだろう。
過去が明日をつくるように、静かに雨が降り続く。
原文ではこの先も続きがあります。多分、素人の詩作の試みだった
のだろう。特に優れた詩でもないし、内容もありきたりだと思う。
それでも自分の気持に響いてくるのはなぜだろう。
多分、この作者が拙いながらも、自分の経験や想い、彼の人生の
中で忘れられない幾つかの心象風景を、一つの意味のまとまりと
して捉えようとしているからだろう。
言葉は他者に対すると共に自己にも向かっている。前者を発語の
主体として、それが高い極みに達したときに人は文学として評価
するのだろう。
一方で言葉の自己認識、浄化、昇華の作用はまず書く主体自体に
現れるのだろうと思う。前記の文章では、この作用が強く働いて
いると思われる。文章表現において、僕はこの側面、効果は決して
侮れないと思う。効率や成果を常に求め、それを第一とする僕達の
二人とも互い違いだし、いろいろなことがあったから、
意味や時間のつながりを追いかける言葉は得意ではなかった。
あなたの声。
秋の日のように。
大雪のなかを歩いたように。
僕達はひとりひとりだった。
切り離されたいのちを、手と手が結んでいた。
夜中の2時近く、タクシーの中。
過ぎ去る時間を追いかけて、暗闇の中を光が流れていく。
結びついては離れてゆく。
あなたには当たり前。
僕には偶然を必然にするものが欠けていた。
人生の多くの時のように。
二つの椅子。その間には多くの、あまりに沢山の時間が
既に流れていた。テーブルだけが二人をつなぐよう。
僕はどちらにも座ることが出来なかった。
夜の2時。クルマはもうすぐ、家に着く。
そこには僕の場所もあるだろう。
過去が明日をつくるように、静かに雨が降り続く。
原文ではこの先も続きがあります。多分、素人の詩作の試みだった
のだろう。特に優れた詩でもないし、内容もありきたりだと思う。
それでも自分の気持に響いてくるのはなぜだろう。
多分、この作者が拙いながらも、自分の経験や想い、彼の人生の
中で忘れられない幾つかの心象風景を、一つの意味のまとまりと
して捉えようとしているからだろう。
言葉は他者に対すると共に自己にも向かっている。前者を発語の
主体として、それが高い極みに達したときに人は文学として評価
するのだろう。
一方で言葉の自己認識、浄化、昇華の作用はまず書く主体自体に
現れるのだろうと思う。前記の文章では、この作用が強く働いて
いると思われる。文章表現において、僕はこの側面、効果は決して
侮れないと思う。効率や成果を常に求め、それを第一とする僕達の
現代社会では、上手下手、出来不出来、他者の評価を気にしすぎたり、
重要に思いすぎたりするのではないだろうか。
しかし、人が表現することや書くことは、もっと主体的で自己を
大切に思う行為ではないのだろうか。
ともかく、今日の僕の訳はここでひとまず終わり。
残念ながら時間切れ。なお、作者は不詳です。

次の日、起きると、庭の笹が風に揺れていてとても綺麗だった。
笹は僕が見ているかどうかは気にしていない。
冬の朝、新しい一日が始まる。
重要に思いすぎたりするのではないだろうか。
しかし、人が表現することや書くことは、もっと主体的で自己を
大切に思う行為ではないのだろうか。
ともかく、今日の僕の訳はここでひとまず終わり。
残念ながら時間切れ。なお、作者は不詳です。

次の日、起きると、庭の笹が風に揺れていてとても綺麗だった。
笹は僕が見ているかどうかは気にしていない。
冬の朝、新しい一日が始まる。