こんにちは。
4回生主将を務めていましたMFの武田航太朗です。
 
まず初めに、この場をお借りして日頃より関西大学ラクロス男子部の活動にご支援・ご声援を頂いております、保護者の皆様、OB・OG、関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

入部してから3年と7ヶ月ほどやっとこさ引退ブログを書くこととなりました。
この時期は結構好きで自チームの引退ブログだけじゃなく他大の引退ブログを拝見するのがひとつの楽しみでした。特に関学とかの学生コーチのブログが好きで選手とは一歩引いた目線でが描かれてるのが面白いなって思いながら見てました。

熱語りのブログは弊部最年長おいこれいくんが卒論並みに書いてくれるはずなので僕はあっさり皆さんが何かしながら見れるくらいのやつにしときます。

とういうわけで、スタートです。

高三冬、卒業式2日前ぎっくり腰になりました。原因はベットに置いてあったゲーム機を取ろうと腰を捻ったことです。なんとも情けない理由でぎっくり腰になりました。それがラクロスを始めるきっかけとなりました。
家族が通ってた整骨院に通い、治療をしてもらってる最中、先生からこんなことを言われた「お前足速いらしいな、ラクロスやってみたらどうやー」家族が通っていることで、ある程度自分のことを知ってたみたいで、なんとなくそんな事を言ったらしい。ラクロスは高校に女子の部活として存在していたので名前だけ知っていました。
家に帰り、「ラクロス男子」と調べた。そこにはガチガチに防具をつけた漢たちがぶつかり合い、ショットを打つ動画が流れた。高校を帰宅部として、とりあえず勉強だけしてた自分にとって何か新鮮さを感じた。
ショットを決める姿にかっこよさを感じ、ラクロスをやろうと思った。
なんやかんやで入学式を終え、ビラ配りの時期に入り、いろんなビラを受け取りながらもやりたいことは決まっていたのでブースに向かった、そこにはニッコリ笑顔のやまたいさんがいた。めっちゃ穏やかそうな人やなって思いながら話を聞いた記憶があります笑。
体験会に参加させてもらって、初めてクロスを触った。正直めっちゃ難しかったし、次の日には肩周りがエグい筋肉痛になった。やはり高校帰宅部では厳しいかと思った。それでも他にしたいことも無いから何回か参加して入部を決めました。

『1回生』
それからはかつや、たいへい、れい、けんてぃー、自分のの5人と少数の練習がスタートしました。できる練習は限られてくるからひたすら対面パスやったり、夏合宿では無限に1on1を繰り返すという1on1祭りが執り行われたりした。正直、しんどいし飽きてきてちょっとモチベが下がったのを覚えてます。
サマー、ウィンターとスタメンで出してもらったものの緊張のあまり無得点で終わって1回生を終えました。

『2回生』
2回生になり、上回にしっかりと混じるようになってからは左でパスキャができない、6on6では詰められ落とし所にされる。試合には出れず、荷物のあみだくじを作る仕事を遂行するだけの人間となりました。
そんな中リーグ戦直前で配置転換が発生し、ATからMFにポジションを変え試合に出る機会がもらえるようになった。とはいえ僕にできることは限られ、起点ワンでパスを出すだけの仕事を繰り返し、スカでは脅威が無いからホットいらんと書かれたり、チームの役に立つことはできず、最後阪大との入れ替え戦では1秒もピッチに立つことは無くチームが負ける瞬間を眺めていました。
その後に行ったつま恋では人生で初めてキャプテンという仕事をやったけど全然上手くいかず、チームもほとんど負けて全く面白くなかったです。

『3回生』
3回生になってからも特に変わりなく、MFの4枚目としてちょくちょく試合に出たり出なかったりしてました。関関戦も12年ぶりに勝って嬉しかったけど、なんか消化不良で終わり、そのままリーグ戦に突入。初戦はゆうきが発熱で試合に来れなくなりほぼフルで出場、チームは勝利、その後は第3戦公立大の後半まで出場機会がない中、いろいろあってチャンスを貰い試合にスタートから出してもらえる様になりました。とはいえ2回生の頃と役割は変わらず、起点ワンが役割。立命館戦でインバートからしんたろーへのアシストをしただけでほとんどいいとこ無しでチームは勝てず6位で下入れ替え戦へ進みました。委員会とかで周りから「2部は立命、関大の2強だよね」なんて言われてたけど、全然違いました。べべから2番目です。1勝しかしてません。
立命館戦で勝てず1部昇格が無くなった瞬間はかなりショックでした。
龍谷との入れ替え戦でもスタートからの出場でチームは先制し、2点目を伊吹さんからのアシストで僕が公式戦初ゴールを決め勢いに乗ったかと思ったら3Q終わって1点ビハインド、いつもと同じ展開焦って追加点を取られ、また負けるんかなんて思った。それでも諦めず4回生が活躍、4回生の凄みを魅せてもらえた気がした。なんとか1点差で勝つことが出来た。
自分が点を取った瞬間は最高でした。4回生OFが全員自分のところに集まって来てくれて、何か恩返し出来たような気がした。

『4回生』
代替わりし、主将に就任して、チームの大半が1、2回生という体制になりました。
そんでもっておいこさんは膝の手術したりでチームを離れ、試合でピッチに立ってる4回生は自分1人、自分でなんとかしなきゃと思い、気合が空回り、自爆したりと練習試合でも勝てない、自分からうまく発信したりする事ができず、不甲斐ない事ばかりでした。春先は不安しかありませんでした。
交流戦の龍谷との試合、立命Bとの練習試合、関関戦と自分の得意なランシューで得点を取ることができ個人として、少しずつではあったが調子が上がっていき、リーグ戦直前岡大との練習試合では2得点、試合は引き分けに終わったものの、感覚的なものはかなり良くこれなら自分がリーグ戦でも得点を決めチームを勝たせられるのではないかと思った。決して過信でもなく慢心があったわけでは無かった。
蓋を開けてみたら、リーグ戦0得点0アシスト、チームは1勝しか出来ず最下位。正真正銘のべべです。チームを勝たせるどころか足を引っ張った。タイムアウト後のワンワン自爆で何度ボールダウンしただろうか。得意なランシューに力が乗らない、コースも定まらない。ここまで酷い状況は正直初めてで、どうして良いかわからない。負の連鎖の様なものを感じた。最初は試合だけだったのが練習でもなんかよく分からなくなり、点を取るビジョンが見えない。これが本当の実力なのかも知れないと感じた。人生で初めて辞めたいなって思ったりした。今までだるいとかめんどくさいとは感じても辞めたいとは思わなかったけど、まあまあメンタル的に追い詰められてはいました。朝起きて胸に突っ掛かりの様な感じを持ちながら練習をする。近大戦から11月入るまではその状態でした。
更に、2on2で足が絡まり左足首を捻挫もしました。
10月末の関大練後、ゆいちゃん、あやねちゃんとのガスト飯でのお叱りとアドバイスこれがかなり心に響き、メンタル立て直しに成功しました。本当に2人には感謝です。
それからは調子も少しずつ上がり、入れ替え戦直前の龍谷との試合、まさかのSDFがこーすけ1人、コーチLINEで「1人やったらこうたろうそのままフライなしでSDFで」と言い渡され、行きの電車内で吹き出しそうになりましたが、ランクリで1ゴール1アシスト、ハーフOFで得点したわけじゃ無かったんで若干の心配が残ったものの久しぶりに得点出来たことは自信につながりました。
試合前日の練習もかなり調子は良かった。
夜うたた寝で見たGとの1対1で何処に撃っても取られる夢を見てしまったが笑。
当日、3年半通った整骨院で左足首、腰にテーピングを巻いてもらい、「楽しんで来い」とだけ言われ、感謝を伝えた。
あまり緊張しなかった。
1Q6分経ったぐらい。起点ワン、対人で勝ちホットが飛ばない。視界は開き、ゴールまで一直線トンネルの様に開いたスペースが見えたような気がした、力みもない、振り抜くだけ。ラストイヤーで1番練習した左ランシュー、コース3番どんぴしゃり。最高だった。やっと決めれた。
2Q終わって5-1これは勝てると思った後の3Q
2点差まで詰められ、更に試合終盤で1点差かなりひやりとし、最後10秒でブレイク生きた心地がしなかった。
試合終了の笛が鳴り、やっと終わった安心感で少しだけ涙が出た。
本当に辞めず続けて来て良かったと心から思った。

4年間を通して自分が得た学びでみんなに伝えたいことがあります。
それは腐らない事、継続する事です。
自分は下手くそです。得点王やベスト10に選ばれたりする様なプレイヤーではないです。
4年間でリーグ戦0ゴール1アシストです。
自分からチームを変えようとか進んで動ける様なカリスマでもございません。
そんな自分でも誇れるものは腐らない事だと思います。ラクロス人生うまく行ったことの方が少なく左でパスキャッチが出来なくて落とし所にされて殆ど試合に出れなかったり、調子が悪くて試合でミスを重ねても、どんなに辞めたいとかだるいとか思っても練習は休むことは無かった。休めば逃げになると感じたし、自分の誘惑に負けたと思ってしまうのが嫌でした。だから頑張りました。チームでも腐って辞めた人なんてたくさんいると思います。別に褒められたい訳じゃないです。下手くそなりに腐らず、辛抱強く頑張る事が大事だと自分は思います。辛抱強く頑張れば下手くそなりに武器が出来ます。自分は左ランシューでした。2回生の頃、岡伊吹さんに「パスミスやと思ったわ」なんて言われた左ランシューが自分の武器になるとは思いもよらなかっただろう。多分今年1年間でチームで1番左ランシューを練習した人だと自負してます。パスキャッチができなかった左が武器になったんです。頑張れば何かしら報われるのだと思います。腐らずに頑張れば誰かしら見てくれてるんだと思います。一真さんから貰った試合前日のメッセージ、「辛抱強さとふてこさだけは尊敬する」、その言葉が自分の4年間を褒めてもらえた様な気がしました。

最後になりましたが、少し感謝のメッセージをして終わろうとおもいます。

まずは3回生。
1番長い時間を過ごした学年。正直苦手意識があります。本当にいろんなところで助けて貰いました。如何せん4回生が少ないから沢山の負担を押し付けてしまいました。本当にありがとう。ラスト1年間頑張ってください、楽しんでください、1部昇格してください。
2回生
君たちはまあまあ問題児や。平気で呼び捨て、タメ口、寝坊したり、遅刻したり、夏の沖縄でインフル流行らせたりと。本当に破茶滅茶。それでも3回生同様いろんな負担を押し付けました。本当に助けられた。ありがとう。
1回生
君たちの応援なしでは1年間戦うことが出来なかった。サマー、ウィンターと勝ちきれなかったけど、ポテンシャルはどの学年よりもある。来年本当に楽しみにしてます。頑張ってください。あと、人のLINEの誕生日カードに書き込むのだけはやめましょう。びっくりしました。
コーチの方々
本当にお世話になりました。特にラスト1年間はコーチの方々無しでは組織運営が出来ていなかったと思います。ありがとうございました。

おしまい。         #11 武田航太朗

こんにちは、副将LMFの老子黎です。



まずは、今期関大ラクロスに関わってくださった、スポンサーのオフィスナビの方々、コーチ、OBOGの皆様、期待にそえる結果を残すことができずに本当に申し訳ありませんでした。また、多くの応援をいただきましたことを心より感謝申し上げます。






悔しい。この一言が4年間のラクロスを通して、感じたこと。



怪我をいっぱいして、試合に出られなかったり、練習に参加できなかったり。たくさん、たくさん、悔しい思いをした。



けど、悔しさをバネに、成長を加速させたいっていう思いは人一倍強かったと思うし、怪我したからこそ成長できたと思う。


不器用な人間だから、色々と失敗もするし、物事がうまくいかないことが多かった。それを上手くいくように、精一杯頑張ることは、常に心がけてやってきた。絶対負けたくなかったから。


自分より上手い人見ると、頭から離れないし、試合でボコボコにされたあかつきには、夜眠れなくなる。ラクロスが好きだからとかじゃなくてくて、昔から、そういう性質なんだと思う。自分でも意味わからん性質やなって思うし、あんまり好ましい性質じゃないなって思う。この性質のせいで、しんどい思いをたくさんしてきたし、人一倍執着が強くて、こだわりが強くて、こうだって思ったら、とことん考えを変えないから、物事が前に進まないことだってある。そんな、へんこな人間だからこそ、気づいたこととか、葛藤だったりを全部書いたので、最後まで読んでいただけたら幸いです。








1、2回生の頃はほとんど怪我をせずにやってこれて、1部リーグで勝つために、自分が試合に出るために、自主練をしていた。先輩たちも上手くて、ラクロスが上手くなるためにどうしたら良いかとか、たくさん吸収できる環境が楽しかった。


でも、特に2回生の頃は1部で、さらに人数が少なかったから試合に出る機会は多かったけど、自分の実力不足に落胆する日々が続いた。



当時、コーチにもどうやったら上手くなるか聞いても、自分なりに納得できる答えが返ってこず、どうしたら良いかわからないまま練習していた。


毎日壁に行ったり、筋トレしたり、いろんなアプローチを試してみたけど、自分のストロングポイントとウィークポイントがいまいち把握できず、ただ、下手くそで何もできない状態にイライラが募った。


そんな状態で2回生の頃はチームも勝てず、1部リーグ最下位。当時の天下最強泣く子も黙る大阪大学と入れ替え戦を戦い、なんと、なんと大負け。


、うん、そりゃ負けるよなって感じやった。


悔しさは、あまりなかった。というより、自分がその試合にあまり絡めず、試合に絡まないことに内心ほっとしていたことに気持ち悪さを感じた。


試合前から、あまり出たくないなって思ってた。自分が出て失点したらどうしようって。怖くて、何もできない自分が恥ずかしかった。自分と向き合う時間がもう少し長かったら、試合後に、みやさんやたいせいさんと一緒に涙を流せたのかなって。


入れ替え戦が終わり、新チームが始まった頃に腰が痛くなった。適当に筋トレしてたつけが回ってきたんやと思う。


腰の痛みは、結構強くて、3ヶ月くらい休むことになった。この時初めて長期間離脱することになったので、何かできることないかなって思って動画を見ることを徹底してみた。みなさんご存知のとおり、僕は暇人の頂点に君臨している人間なので、目が腐るほど試合の動画を見た。一日10時間くらい動画を見る時もあって、自分でも何をしているんだろうと心底悲しくなる時もあった。他のことした方がよっぽど大学生らしいのになって。


動画を見ようと思ったのは、入れ替え戦の時期くらいに、当時のDFリーダーにオフボールの弱さを指摘されて、それを克服したかったから。


動画を見ていくうちに、ラクロスというスポーツの全体像が少しずつ見えてきた。ライド、クリア、オフェンス、ディフェンス、今まで猛吹雪の中手探りで前に進んでいたものがようやく落ち着いた雨に変わって、進みやすくなった感覚がした。


この時期にラクロスがどういうものかっていう感覚を掴むことができて、復帰した時にはオフボールが弱点から鬼強に変わっていた。ディフェンスの反省でも意見を言えるようになって成長を感じることができた。怪我をきっかけに大きく成長できたことに嬉しさを覚えた。


腰の怪我は、順調に治っていると思っていたけど、単純には前に進まなかった。腰をかばって動くせいで今度は膝を痛めてしまった。結構大きな怪我をしてしまい、また思うようにプレーできない日々が続いた。


この時は怪我をしても新たな発見があり、また違う成長ができると思っていたので、そこまでしんどさは無かった。


結局膝の怪我で2024シーズンのリーグ戦は出場できず、悔しかった。2回生の時に感じた、試合への臆病な気持ちは消えていて、攻守で試

合を動かす存在になると、意気込んでいたから本当に悔しさが滲んだ。


リーグ戦の内容も当初考えていたよりもずっと苦しい展開で、立命との1部との入れ替え戦をかけた試合で負けてしまった。何もできないことと、来年1部で戦えないこと、頭を丸めて挑んだ気持ちの行き場がなく、涙があふれた。


当然1部でやれるものだと思っていたから、ショックが大きかった。この時期くらいから、関大ラクロスに弱小思考が漂っていることに薄々気づいてきた。もっと勝ちたいという思いが強くなってきた頃だったのでその後の、ラストシーズンも、他のメンバーとの気持ちの持ちようと自分の中での基準との間に葛藤がうまれることになった。


2024シーズンは2部6位で終わり、1部昇格に向けて4回生選手2人で始まった2025シーズン。これが、本当にしんどかった。みんな言うこと聞かないし、負けても練習しない。自主練の基準も低いし、練習の雰囲気も超ゆるい。今までは、自分のラクロスへの基準をどう上げるかでめっちゃ悩んでたのに、それを遥か彼方に吹っ飛ばしてくれるような状況。こんなんで勝てるわけないやろ。まじでやめたい。2人しかおらんとか意味わからん。ヘイトが毎日毎日頭の中をぐるぐるする。


勝ちたいから、自主練をしてほしいと伝えても、伝え方が悪いのか、聞く気がないのか、全く変化がなかった。3月、4月、5月、は目も当てられないくらいの状況で、パスもできない人が大半。2回生が多いから、人数が少ないから仕方ないかって自分を納得させようともした。でも、納得できなかった。


納得できなかった理由は、このチームに実力が足りないことじゃなくて、やる気という面において、自分の基準と、このチームの基準が違うことだった。勝つために、ラクロスができるようになるために、どう行動したら良いか、何をすべきかみたいなものを必死になって考えている人たちが少なくて、リーグ戦で勝てるビジョンが全く見えなかった。


一時期は、自分がこのチームでは異端な存在として相応しくないんじゃないか。もっと適当にやることがこのチームにおいては、正解なことであって、口うるさくもっと練習しろとか言うべきではないのだと考えたこともあった。


人にはそれぞれの考え方があるのは理解できるけど、自分がこれまでの先輩の姿を見て、紡いできたラクロス観みたいなものは、簡単には壊せなかった。



そこからだんだんと、人を変えるのは難しい、だから、自分の手で勝利を掴める存在になろうと思うようになった。ラクロスはチームスポーツで、まして自分はディフェンスの人間でどうやって試合を決定できるプレーヤーになれるか?言い訳を探して諦めようと思ったこともあったけど、なんとか最後入れ替え戦に挑めるチームにしたいと思って練習に対して一層力が入った。




それからは、どういうプレースタイルが試合に勝つことにおいて最適なのか考えて練習するようになった。そのプレースタイルを実行するためにどんな技術が必要で、何をすれば良いかとか。本当にすごい考えた。あくまで試合全体を通して、威力を発揮するプレイヤーになりたかった。



夏頃に、だんだんと怪我も良くなってきて、練習の成果もではじめていたころ、岡大と練習試合をした。その中で、岡大の人に関大はフルフィールドのチームですか?って言われた。いやいや、おれがゴール前まで走ってるだけなんやけどなーって思いながら、はい!そうなんですよ!って適当に答えた。


その時に、自分の目指していたプレースタイルはこのことだなって思った。つまり、はたから見たら、フルフィールドで攻めてくるように見えるけど、自分1人で攻撃して、点を取る。もう少し整理すると、ウィングやって、ディフェンスコントロールして、グラボ拾って、クリア上げて、そのままショット打って点を決めるかアシストする。


1人のプレーヤーが動き回ってるだけだけど、相手からしたら、フルフィールドでかき乱されたように感じる。スカとか、反省でも、たぶん、ブレイク気をつけようなとか、切り替え早くしようって言われるだけで、これに対してあんまりうつ手がないなって思った。


これで技術が伴えば、ディフェンスでも、勝利を掴む存在になれるんじゃないかって思えた。


それからすぐ、ラストのリーグ戦が始まって追手門に負けてからの第二戦目、京工繊戦で今まで考えていたことを実践できた。グラボはほぼ全部取って、クリアも全部上げて、点もとって、アシストもした。しんどかった思いが報われた気がしてこのまま入れ替え戦に挑めるようにもっと上手くなろうと思った。






京工繊戦で自分のプレーがうまくいって、この状態なら、勝利を呼び込むディフェンダーになれると思った。


そんな時、深夜に壁から帰る途中、原付で転けて腕を骨折してしまった。骨折した瞬間、あ、終わったなって思った。色んな意味で終わったなって。腕が明らかに変な方向を向いていて、しっかり折れているのが目で確認できた。


引退までラクロスはできなさそうっていうのをすぐ理解できるくらいには、酷かった。強烈な痛みが襲ってきたけど、みんなに申し訳ない気持ちの方が強くて、情けなかった。絶対リーグ戦出られへんやんって。勝利を呼び込む存在から、勝利を遠ざける存在になってしまったなって。


チームでの役割を完壁に理解して、それに徹するプレーをようやく確立できたと思った矢先、試合に出られなくなるなんて思ってもみなかった。



骨折してからは事実を受け入れるのに時間がかかったけど、何かしらまた自分に成長要素をもたらしてくれるものだと勝手に思い込んで切り替えた。


リーグ戦もその後一勝もすることなく、全部ボコボコにされた。


あー、また何もできないまま終わったなって。これじゃあ2.3回生の時と何も変わらない。なんのために必死になって自分の役割を探してそれをまっとうしてきたの分からなくなった。


時間をかけて積み上げてきたものを壊されたような気がして、やるせなさを感じた。自分の運がもう少し良かったら、チームを勝たせられたのにって。チームを勝たせるのは、おれなんだって思うことが傲慢さで、それが自分の運を吸い込んだのかもしれない。今考えると、もっと他人を信用して、一緒になって勝利に導けるよな人間になるべきだったと思う。気持ちがいっぱいいっぱいになって、人に頼るとか、もっとこうした方が良いみたいなアドバイスとかも全然できなかった。


結局2部最下位で、入れ替え戦、3部の公立大学との試合が決まった。入れ替え戦が決まってから、整形外科の先生と相談したけど、やっぱり出ない方が良いって言われた。まだ骨がくっついてないよって。でも、4年間の集大成として、絶対に出たいって思ったから、迷わず、出ますって言った。骨折がまだ治ってないから、プレー強度は鬼低くて、何もできないに等しかった。それでも、みんな受け入れてくれて、なんとか試合に出る運びとなった。


最後の試合で思いっきりプレーはできないけど、やれることはやろうと思ってピッチに立った。でも結局また、怪我してすぐ離脱した。肉離れだった。


入れ替え戦さえも、出させてくれないのかって試合中に思って、正直試合に集中できなかった。3部相手に接戦で勝利はしたものの、素直に喜べなかった。ていうか全く嬉しくなかった。本当に悔しかった。出れなかったリーグ戦、すぐに離脱する入れ替え戦、3部に勝利して喜ぶ環境を作ってしまったことに対する、後悔。色々な感情が混ざり合って今までにないくらい涙がこぼれた。


後輩たちには、本当に申し訳ないと思った。何も残してあげられなかった。1部という舞台、規律のある練習環境、切磋琢磨してお互いが高め合える環境。2025シーズンが始まって当初思い描いていたものを何一つ成し遂げられなかった。途中で諦めてしまったことが本当に多すぎる。どうせ言うこと聞かないとか、自分がもっとやれば良いんだとか。言い訳を作って徹底的に一人一人と向き合うことができなかった。明らかに、良くない状況なのは、わかっていたし、勝てないのもわかっていた。その問題を一つ一つ解決して潰していく努力を怠ってしまった。もっと物事を俯瞰して、的確な行動ができたら、組織を強くできたなって思う。



やっぱり上に立つ人間がどれだけ、一人一人と向き合えるかが組織の強さにつながるのだと、この一年の多くの失敗を通して学んだ。


向き合って、拒絶されることを恐れて、できなかった。


本当に自分のことで精一杯で、上に立つ人間として、失格だったと思う。



後悔はたくさんあるし、これ以上ネガティブになっても仕方ないので、後輩たち同期に伝えたいことを最後に伝えたいと思います。



DF組織へ


ありがとう。あと、不機嫌になること多くてごめん。れいさん、昨日と今日で言うこと違っててうざいっすみたいなことよく言われたけど、今だにそれは解せない笑。2回生がほとんどで、いきなりリーグ戦に放り込まれて、右も左もわからん状況で、おまけにおれに怒られまくるわで大変だったと思う。求めるレベルが高すぎるのは、わかってたけど、それについてこようとしてくれてたことは感じてた。でも、もっともっとこだわりもって、プライド持ってやって欲しい。プライド持つためには、練習しないといけないし、自分の武器を身につけないといけない。自分のストロングポイントと、ウィークポイントを把握して、ストロングポイントを徹底的に伸ばしていって欲しい。不得意なことからは、逃げて良いし、違う選択肢で勝負すれば良い。ディフェンスで大事なのは、役割分担だから、自分の不得意は他の人がカバーしてくれる。お互いを信頼できるようにそれぞれが強みをもてたら、リーグ戦ですごい楽やと思う。成長した姿を楽しみにしてるから、頑張って。



1回生へ

ウィンター悔しかったなあー。あんまり実力発揮できてないように見えたから、今後のリーグ戦とかで爆発させて欲しい。2回生に上がったら、大きな石が目の前に立ちはだかる感覚に襲われると思うけど、その時は、何も考えずひたすら、練習したら良いと思う。ラクロスむずいなって思いながら、やるべきことをちゃんとやってたら、結果はついてくるから。




2回生へ

ルール守らん人多いし、練習中ぺちゃくちゃ違うこと喋るしで、なんか、2回生の雰囲気が好きじゃないです笑。別におれに好かれたいとも思ってないやろうけど、もう少し、自分の役割とか、自分はこの組織に何を還元できるか、どうやって試合で活躍するかみたいなものを考えて欲しいなって思う。ただ言われたことをやるとか、人の文句を言うのは簡単だけど、いざ自分で考えて行動して、実行するのは難しいことだから、それをできるように努力して欲しいと思う。もう3回生になるから、時間と労力をもっとラクロスにかけて欲しい。あと、自分のできることとできないことの取捨選択を間違えてる人が多い気がする。さっきディフェンスのところでも言ったけど、不得意なことからは、逃げて良い。徹底的に一つの武器を高めれるようにすることが、試合で必要なことで、学生ラクロスに求められるもの。理想と、実力の間にギャップがあるのは誰しも経験することで、そのギャップに対して自分なりに考えて埋めようとすることが大事だと思う。練習してるけど、あんまり成果を見せられないって感じてたら、一つ武器を作ってみて。期待してます。


3回生へ

いよいよラストシーズン、最高の形で終わって欲しい。ゴーリー二人は寝坊やめてね笑。あれ普通にめっちゃ腹立つから。もう一回言うけど、めっちゃ腹立つ。一回も寝坊しないように気をつけようって思ってラストシーズン挑んでください。3回生はそれぐらいかな。あとは、やるしかないよってこと。やり残したことないって思えるくらいやりきって欲しい。結果は勝手についてくるから、全員で一部昇格に向けて全力出して欲しい。



同期へ



たけだくん、

お前は本当に嫌いです笑。主将としてあまりにも不向きすぎる。でも、ラクロスに対する姿勢は5ミリぐらい尊敬できる。ほんまに5ミリ。いや、3ミリやな。色々と主将として大変だったこともあると思うけど、不得意なことに挑戦して精一杯やってたと思う。おれからの嫌な言葉とかも、ふてこい顔でたまに受け入れてくれたし、試合前に意味わからんくらい緊張してて、たくさん練習してきたんやなって思った。入れ替え戦で、点決めてた時はなんだかんだ嬉しかった。今度一緒に、の、のみにでも、い、いけたら良いね?!!、。


みさと、

色んな事に関して影で動いてくれてて、本当に助かった。組織のことに関して、色々と相談し合えたし、最後の最後まで悩みはつきなかったけど、思いを理解してもらえて嬉しかった。たまに、怖い時あったけど、ストレス抱えながら、同じ気持ちで頑張ってるんだなって思って心強かった。


ひなた、

たまに、超絶毒吐いてきて、あれ今の悪口?みたいに思ったこともあったけど、なんの悪気もないんやなっておもう笑。ひなたなりに、この組織を変えれるように考えを巡らして、たまに意見言い合ったりできて嬉しかった、ありがとう。


ゆい、

場を明るくしてくれるし、おれの言うことに全部笑ってくれて気分良かった。うん、すごく気分が良かった。人が気持ちよく会話できるような反応ができるのは、すごいなって思う。気分良くさせてくれてありがとう。


あやね、

実は性格が似てて、結構繊細で、誕生日が同じで、あやねは嫌がると思うけど兄妹みたいな感覚やった。授業も一緒に行ったり、仲良くさせてもらって本当にありがとう。







不器用な人間で、本当に何も成し遂げられなかったけど、楽しく充実した4年間でした。 



今までラクロスを通して関わってくださった、先輩方、OBOGの皆様、コーチの方々、本当にありがとうございました。



はじめに、日頃より弊部の活動を応援して下さる全ての皆様にこの場をお借りしてお礼申し上げます。今年度も沢山のご支援ありがとうございました。
今後とも変わらぬご支援いただけますと幸いです。

こんにちは。
2025年度スタッフリーダーを務めました、MGの小城美郷と申します。

今回は引退ブログと言うことで、ラクロス部として言葉を残せる最後の機会。これまでの振り返りと感謝の気持ち、そして後輩たちへ伝えたいことを綴ろうと思います。
私のことなのでとても長い文章になっていると思います。
というかなりました。とっても長いです🙇‍♀️

ブログ担当のじゅんぺいには先にここで謝っておこうと思います(笑)ごめんなさい。

余談ですが、最後に後輩1人1人に一言メッセージを書いています。
興味のある人は自分のところまでスクロールしてください(笑)

では振り返りから。
―出会い
新歓イベントのビラ配りでもらった部活・サークル一覧冊子がラクロスとの出会い。
ラクロスという競技はそれまで全く知らなかった。
性格を一言で表すなら“せわしない欲張りさん”な私は、最後の学生生活だから何かに打ち込みたい気持ちと、アルバイトをして学生のうちに沢山遊びたい気持ちの半分半分。
そんなときに見ていた一覧冊子。
週5日活動だけど午前中だけ?!
ラクロスの紙だけ輝いて見えました(笑)
ここなら朝は部活行って、夜はバイトして、オフの日に遊べるやん!
私の“やりたい”が詰まった場所。ここしかない!
と運命の出会いのようだった。
次の日には自分からラクロスのブースに足を運んで1回目の体験会から参加した記憶。
単純な理由だったが実際に行ってみると、初めて見るラクロスの迫力と楽しそうな先輩、ほぼ全員が同じスタートラインから新しいことを始められるワクワクに魅了された。
中高校生で選手としてスポーツに関わることに燃え尽きた私は、他の部活やサークルの体験会や新歓には一切行かずに、スタッフとしてラクロスへの入部を即決。
私のラクロス物語が始まった。

―1回生。
とにかく毎日が初めての連続で新鮮だった。
分かってはいたけれど週末には練習試合等が入り午前中以外の制約もなかなかに多い。
そのうえ、当時は週5日のチーム練に加えて1回生練が別日に設けられ、計週6日のラクロス生活がウィンターまで続いた。
おやおや、話と違うのでは・・・と思ったのも束の間、4時半や5時半に起きる生活も、ラクロスという競技も、スタッフ業も、その後に待ち受ける大学もアルバイトも、何もかもが初めて。覚えるのに・ついていくのに精いっぱいで光のように過ぎ去っていった。
気づいたらサマーも終わって当時の4回生が引退した。
その時、一部4位がどれだけすごいことか正直わからなかった。
だから幹部挨拶ブログでも書いたけど、これまで通り頑張っていけば自分たちも一部4位、もっと頑張れば、もっと大きな景色を見られるんだって思っていた。
そしてかれこれしているうちにウィンターも終わって1回生が終了。
合同チームの中でも圧倒的に人数が少なく(当時選手4人)、サマーとウィンターの記憶はあまりありません、ごめんなさい(笑)
だから後輩たちが同期で頑張る姿や、結果や感情を共有する姿は楽しそうで本当に羨ましかった。大切な思い出にしてね。
そんなわけで2022は本当に一瞬だった。

2回生
振り返れば4年間で1番楽しかった。
仕事も1人でできるようになってラクロスにのめり込んでいった感覚がある。
出来ることが増えるのがとにかく楽しかった。
もっともっとラクロスを知りたい・戦術を学びたいと思ってDFの反省MTGに参加し始めた。いざ参加してみると、“オンサイド”・“ファー・・・”何だそれ?ってことばかりだった。
加えて初めての審判試験。
ルールブックを始めて読んだ時、アウトオブバウンズ?ゲート?ケージ?ルールどころかラクロス用語すらわからないそんな状況。
全然ラクロス知らないんだって知らされて、ルールブックの読み込みとかインスタの審判垢で勉強したり選手に教えてもらったりした。(1回目の審判試験は撃沈し、2回目で受かることになるのですが汗)
その他にも2回生では荷物の管理係になったり、画像班に入ってみたりした。
そしてつま恋では初めてスタッフを引っ張ってみて。
たった2学年を率いることさえも難しくてうまくいかなくて課題も多く残ったけれど、この経験で引っ張ってもらう立場から“チームを創る”、“前に立つ”という意識が少し湧いた。
と言う感じで、1年間で色んなことに挑戦して、出来る幅も広がって、“自分らしいやり方”が形になっていく感覚があった。
“ありがとう”とか“助かる”とか言ってもらえると、ちょっとだけ認められている気がして、ようやくチームに貢献できている気がして嬉しかった。
考えるとそれは、
“誰でもいいスタッフ”ではなく、
“私にしか出せない価値を持ったスタッフ”へと、足跡を残すための、土台になっていた気がする。
この1年間“自分だけの武器を見つけてほしい”と伝え続けた源はこの時だったのかな。
大きな自信はまだなかったけれど、自分なりの強さがほんの少し芽生え始めた――
2回生は、そんな時期だったと思う。
二部に落ちたことは最大の悔しさだったけど。

ー3回生。
ちょっとだけ後悔が残った年。
2回生で色々挑戦し始めたことにも慣れてきて、当たり前になってきて、そして3回生にもなれば最低限やらなければいけない仕事もできる。
だからこそ、どの業務もロボットのように淡々こなす単純作業のように感じられた。
多くのスタッフが直面する存在意義みたいなものにこの時ぶち当たった気がする。
さっき書いた2回生のころの熱量でもっともっと組織に意見したらよかったなとも思うし、もっと審判に力いれたらよかったなとか、マネトレ関係なくもっとスポーツをする上での身体のしくみとか身体づくりの知識つけるべきだったかなとか諸々。
そう考えれば現実逃避だったのか、新しい刺激が欲しかったのか分かりませんが、突然留学に行くことを決め、私は4か月ほどチームを離れたわけなのですが、留学先でも画像を作らせてもらったりとか、13年ぶりに勝利した関関戦で喜ぶチームの姿を見たりして、現地でラクロスを忘れる日は無かったし、やっぱりこのチームに戻りたい・勝ちたいって思った。
“私にしかできない形で”このチームに力を還元したいと改めて強く感じた。
復帰してからはすぐに2024のリーグ戦が始まって、また光のような速さで時が進んで駆け抜けた。
リーグ戦初戦の桃山戦も想像通りの圧勝で1部昇格は確実だと思っていた。
だけどそこから入れ替え戦まで勝てなかった。想定外だった。
2部残留という悔しさと、先輩が引退した寂しさ、これから自分たちが引っ張っていく不安でぽっかりと穴があいたような何ともいえない感情で終わった3回生だった。

ー4回生。
想像以上に大変だった。しんどかった。
1回生のころから他大も含めて私は沢山のブログを読んできた。
多くの人が“辞めたい”と思ったと書いていたけど正直理解できなかった。
恵まれた環境で自由にやらせてもらっていたおかげで、それまで辞めたいと思ったことなんて一度もなかったから。
そんな私もこの1年で2回本当に辞めたいと思った。(結局思うんかい笑)
1回目は新チームが始動してすぐの時。
大好きだった2024世代が悔しい結果に終わったからこそ、私たちの代で必ず・・・
これもあれも変えていきたい、そう思って、今考えれば焦っていたんだと思う。
だから気になることばかりに目が行ってしまって、スタッフに対して指摘が多くなっていた。
空回りして、周りを置いてきぼりにして、一人だけ先走って、他の子との気持ちの差が生まれていたことにも気づけなかった。
そんなとき軌道修正をしてくれたのは同期TRのゆい。
新チーム年内最後の練習の日。ゆいに誘われて行ったお昼ご飯で、

“このままのサト(私)じゃ周りの子が付いていけなくなりそう”

と言われた。
始動早々に自分を否定されたような気がしてしまってどうしたらいいか分からなかった。
その後に黎に相談の電話をしたら涙がでてきた。

どういうこと?一部昇格したいならこれくらいしなきゃいけないんじゃないの。
みんなが私みたいに必死になるべきじゃない?

言いにくいことを伝えてくれたゆいの言葉を、その時は素直に受け止めることが出来なかった。ゆいのやさしさにすぐには応えられなかった。本当にごめん。

これからの1年間がこの調子ならスタッフリーダー無理かも、辞めたいと思った。

だけど直後の冬オフは、自分とラクロス、そしてチームとゆっくり向き合える時間だった。
何でも自分でやりたがる私にとって“人に任せること”は勇気のいることだったけど、組織MTGや色んな人と話す中で、チームにはいろんな人がいて、それぞれに違う感情や価値観、背景があるという当たり前のことに気づけた。
自分の基準だけで走っていたから、他の人のペースや気持ちが見えなくなっていたのだと。
だからこそ、

チームは私ひとりでつくるものではなくて、周りを巻き込んでこそ強くなっていく。
全部自分で背負うことだけがリーダーではない。

その気づきが、私のリーダーとしての原点でスタートラインとなった。
いい意味で周りの意見に敏感になった。
私はこの日があったから変われた。
ゆいには心から感謝しています。本当にありがとう。

2回目はリーグ戦の甲南戦から近大戦くらいまで。
理由は単純でチームが勝ちに行く姿じゃないと思ったから。
全員がそろうことはほとんどなく、毎朝の欠席祭りでまともに6on6もできない。
壁もリーグ戦期間とは思えない数ばっかりだった。
簡単に練習を休んでいる人が多くいるように、リーグ戦を甘く見ている人が多いように感じて、ここまで必死にラクロスに捧げる意味が分からなくなってしまったから。
甲南戦や近大戦で大敗した悔しさよりも、チームがこうなってしまったこと、こうさせてしまったことが悔しかった。
チームのことは大好きなのに、理想だけが先行して人やチームを変える難しさや現実を突き付けられ、うまくいかない。何もできない無力な自分が、不満だけが溢れて愚痴を言って終わる弱い自分が嫌になってやるせなかった。
辞めたかった。いや、正確には逃げたかったんだと思う。

近大戦で大負けした次の日の夜練前、同期MGひなたと大会議。
その時にこれまでチームを創ってきた先輩の存在を思い出させてくれて、これからを繋いでいく後輩たちの未来にも気づかせてくれた。
そして何よりも、4年間一緒に頑張って来た、たった6人の同期。
やっぱり最後はこのチームで勝ちたい。絶対に3部には落とさない。
そう思った。
だから京産戦の後、みんなに想いをぶつけた。

勝てたらいいなっていうそんな甘い世界じゃない。
勝ちたいって思ってないなら来なくていい。
(ほかにもいっぱい言ったけどね笑)

マネージャーがうるせぇとか思われたり、怒られたり、嫌われたりしたらどうしよう―
そんな弱い自分が邪魔をして、伝えるまで葛藤ばかりで、時間がかかってしまった。
正直、中にはそう感じていた人もいたと思う。
だけど、あの日みんなに伝えたことで私自身もすっきりしたし、何よりも“言った以上やるしかない”という責任で私自身の身が引き締まって、想いを伝えてよかったなって思えた。多分伝えてなかったら後悔していたなぁ。
そこから入れ替え戦までの1か月間は、がむしゃらにもがいた。

そして迎えた11月22日 入れ替え戦
中盤かなりリードするも終盤には1点差。
叫ぶタイムとは裏腹に生きている心地はしなかった。
だけど久しぶりに心から楽しめた試合だった。
得点を決めて嬉しそうに帰って来る子、クリアを上げきってたくましい顔で帰って来る子、ベンチで必死に復唱してくれる子、やる気に溢れた顔でフィールドに入っていく子、スタンドで必死に応援してくれた1回生。
本当にみんないい顔してた。楽しかったなぁ。
3.2.1...
―6-5
勝てて本当に本当に良かった。ほっとした。
終わりの笛が鳴った時、一目散にフィールドに走っていった。
うれしくてたまらなかった。

二部残留。

一部昇格という目標は達成できず、もちろん悔しい。
思い描いていた結果じゃなかったし、見える景色もこの4年間で沢山変わった。
けれど、これまでの4年間が報われた気がしたそんな瞬間だった。

この1年は想像以上にしんどくて沢山悩んで。
半歩すら進めず立ち止まってしまったこともあったかもしれない。
でもこうやって最後まで走りきって自分の中で“やりきった”と思えたことは自分を褒めてあげようと思います。おつかれさま。

そしてここまで来られたのは沢山の方に支えられてきたからこそ。
感謝を伝えたい人に想いを。
ここでは人数が少ないことをいいことに同期1人1人書かせてください。

こうたろう
まずは主将お疲れ様。
扱いにくいスタッフだったよね、ごめんね(笑)
しんどい1年だったと思うけどここまで一緒に来れてよかった。入替戦で点決めた時は本当に嬉しかった!
これまでありがとう。

れい
この1年間誰よりも必死にもがき続けてくれた黎。
だからこそ最後の漢泣きにはグッときました、、(笑)
事あるごとに話をまとめないままとりあえず黎に電話するのが恒例行事(笑)
うんうんと話を聞いてくれて的確なアドバイスくれて何度も助けられたよ。ありがとう。
最後肉離れ?してしまうところが何とも黎らしいけど、もっとプレーしてる姿を見たかったです(涙)

ゆい
強くて愛で溢れるゆい。
人とのコミュニケーションがとっても上手でチームの架け橋的存在。
ゆいの言葉は真っ直ぐでどんなことにも正面から向き合ってくれるゆい。
本当に助けられた。ありがとう。

あやね
真反対の性格に見えて実は似ているところが沢山あるあやね。
人一倍感じていることが多くて内に熱い想いを秘めている。
人前に出すことは苦手だったかもしれないけど、沢山想いを伝えてくれて一緒に考えてくれる素敵なあやねとここで出会えてよかった。ありがとう。

ひなた
ひなた無しには私はここまでこれなかった。
どこを切り取っても隣にはひなたがいてくれた。
あんまり自分から話すタイプではない私だったけど、ひなたには感情や考え、全てを共有していて、私の心のよりどころでした。
本当にありがとう。

コーチの方々
お仕事や練習、ご家庭もありお忙しい中、チームに時間を割いて下さり本当にありがとうございました。頭を抱える場面も沢山あったかと思いますが最後まで一緒に戦ってくださり感謝でいっぱいです。
たつおさん、寿命短くしてしまってすみません(笑)ハラハラでしたよね、、、
余談ですが、、、
玉井さんとたけさんの“たけイメージ合う?、合います”の掛け合い好きでした(笑)
(マネージャーしかわからなくてすみません)

そして両親
私の両親のことなので多分ここまで読んでいると思います(笑)
今年はリーグ戦の全試合応援に来てくれました。遠いところまで本当にありがとう。
試合に負けて不機嫌で帰って来ることは毎度のこと。気を遣わせてごめんね。
おいしいご飯を作ってくれて気晴らしに付き合ってくれる母。
沢山送り迎えしてくれて寝坊した時にも飛び起きて送ってくれる父。
これまでの学生生活が最高に充実していたのは間違いなく2人のおかげです。
本当にありがとうございました。

最後にはなりましたがその他にも、練習や応援に駆けつけて下さりいつでも応援して下さるOBGの皆様、スポンサーとしてご支援いただきますオフィスナビ様、いつも素敵な写真や動画を撮ってくださる三木さん、忙しい中応援に足を運んでくれた女ラクの皆様、そして保護者の皆様、愚痴や悩みを聞いてくれて試合まで見にきてくれる友達。
沢山の人に支えてもらってここまで来られました。心から感謝申し上げます。

ようやく後輩へ伝えたいことを書きます。
長くて本当にすみません。
4回生としてマネージャーとして組織とスタッフについて伝えたいこと。

私が見つけた4年間ラクロスに捧げる意味や価値。
個人としてのプレーや仕事、そしてチーム全体としての運営。
これは最後の挨拶でも話したけど、色んな価値観の人がいるからこそ組織に所属する・運営するって難しい。
これから先、うまくいかないことは必ずある。
モチベーションを保つことが難しくなることもあると思う。そして全員のモチベーションを揃えることも。
しんどい思いをしてまでラクロスを続ける意味が分からなくなるかもしれない。
色んな人がいるからこそ、他の人と比べてしまうし、嫌でも比べられるし。
そして組織運営をする中でぶつかることは当たり前。必ずチームで衝突が起きる。
だけどそれでこそのチーム。
全員が同じような人だったらきっとすごく簡単。
私もこうたろうにキャプテン変われば?とか言ったことあるくらいだから(笑)
あの時はごめんなさい。

だけど、色んな感情に触れて、色んな経験をしてきたからこそ得られるものがある。
どんなに近道をしても手に入らない 
“このチームだから”得られるもの。
このチームに入ったからこそ経験できたこと、出会えた人、見られた景色、感じられた悔しさも嬉しさも、その全部が私にとって何よりの財産、この4年間で手に入れた一番の宝物。
ラクロスを続ける理由はいっぱいあると思うけど、その理由を見失いそうになった時、この言葉を思い出し欲しい。

途中立ち止まってもいい。
でも最後引退まで走りきってほしい。
もちろん勝負の世界だから"勝ち"にはこだわってほしいけど、
それよりも何より、
4年間やり切った人のしか見えない景色を見てほしい。
それが私の願いです。

そしてスタッフとしての私が伝えたいことは、
スタッフはサポートする単なる裏方・影じゃない。
チームに所属する1人の部員で選手と同じ熱量で勝ちに行く人。
だから選手が自分にしかない武器を作って試合に出られるのと一緒で、自分だけの武器でチームに還元しなきゃ。
自分で言うのは照れくさいけど最後の機会だから。
スタッフリーダーとして引っ張ることはもちろんだけど、復唱やボールケア、気づく力、行動力や発言力でチームに足跡を残したつもり(実際どう評価されてるかは分からないけど)
誰かと同じでなくていいし、同じである必要もない。違うからこそ、チームは強くなる。
だから私はこの1年間、挨拶ブログから始まってこのことをみんなに伝えてきたつもり。
ゆいに軌道修正してもらってから皆には色んな仕事を振って、色んな経験して自分と向き合うきっかけになればいいなと思った。

引退した日、後輩たちが素敵な手紙をくれた。
3年あゆみからの手紙の中に
“この1年でやりたいこと、武器にできることを見つけられました”
と書いてくれていて本当に嬉しかった。ありがとう。

長々とここまで書いてきましたが、
学年や選手スタッフ関係なく全員に伝えたいことは
一人一人がチームに所属する責任があるということ。

モチベーションも、頑張る理由も、人それぞれでいい。
だけどチームに所属する以上、部員の一人として目指す方向に力を合わせる責任がある。
よくも悪くも一人一人の影響は思っている以上に大きい。
全員がチームを前に進める・大きく強くする力のひとつ
 “自分にしか残せない足跡”を、このチームに残してほしい。
どんなに小さなものでもいい。
チームはジグソーパズルのよう。
一人一人がピースでここで言う足跡。
みんなの足跡が集まれば、大きくて強い関大に繋がる。
自分にしか残せない足跡を4年間のどこかで見つけてください。

4回生の人数が少なく2.3回生の負担は大きかったと思います。
こうたろうも言っていたけど、他のチームだったらやらなくていいことを担わせていたと思います、申し訳ないです。
そんな中でも一緒にここまで戦ってくれて本当にありがとう。
一部昇格への切符をつなげてくれてありがとう。その切符でどこまでも行ってください。
ずっと応援しています。

長くなってしましましたが、
最後に改めてここまで支えてくださった全ての皆様に感謝申し上げます。
これからも変わらぬご支援ご声援をどうぞよろしくお願いいたします。

4年間本当にありがとうございました。

MG 小城美郷

【番外編一言メッセージ】
【1回生】
あやの
小柄で可愛らしい笑顔とラクロス愛と仕事っぷりがギャップ萌え
選手のこと頼んだよ😊

有光
関大の有光やばいって言われる日を楽しみにしています^ ^

あんず
用はないけどなぜか絡みに行きたくなるかわいいあんず。
自分のペースで一歩ずつ進んでね!

いぶき
ウィンターでのロングの成長ぶりに驚いた!
このままがんばってね!

こうた
京都カップ予選の悔し涙が決勝では得点決めた笑顔になってよかった!

てんせい
ゆうしんのお世話頼みました(笑)

おうすけ
福岡弁が愛おしいおうすけ。ラクロスにひたむきな姿が印象的。

ゆうた
同じ兵庫県民名乗ってはいけないくらい毎日遠くからお疲れさま^ ^

かんた
ダッジ!っていう印象!笑

やまちゃん
こじと二人三脚でがんばってね

らいぞう
京都カップの右上からのショット激震!
キーマンとしてスカされること期待しています

なな
いつも冷静に正確に仕事をこなしてくれるなな。
ひなたのお供として会った時には絡んであげてね😉

なみ
3つ下とは思えないほどのしっかり者。
なみの仕事ぶりにはたくさん助けられたよありがとう!

はると
いつも挨拶してくれる礼儀正しいはると。京都カップのグラボの寄りがすごく印象的。

和田
わだはるきっていう名前が世界で一番似合ってる^_^

ぐっさん
混戦グラボからのブレイクからの得点を決める日を期待しています!

りょうへい
京都カップもウィンターもナイスセーブ!
お兄様のような仏の心で沢山セーブしてね (笑)

【2回生】
あゆみ
あと1年間はたくさん先輩に甘えてね(^_-)

あゆむ
犬にしか見えない(笑)

ふうや
アパレル頼んだ!笑
かっこいいアパレル作って販売して!
買います!

こじ
練習環境が悪い中関大のFO背負ってくれてありがとう。これからも頼みました!

げんと
2回生ながら組織に沢山意見くれてありがとう。DF期待しています!

かい
何もかもが愛おしい。入れ替え戦の悔しさバネにフィールドで活躍している日を楽しみにしています!

けいすけ
筋トレの成果?身体一回り大きくなったよね!

けんしん
ケガが完治したけんしんが楽しみでならない。思う存分プレーできる日が早く来ることを願っています!

こうすけ
SSD転身してよかったと思う。もっともっとうまくなって抜かれないSSDになってね

ななと
練習での前向きな声掛けありがとう。飲み過ぎには注意してね(笑)

はやと
得点決めた後の嬉しそうなはやとが印象的。再来年とは言わず来年から大量得点期待しています!

ゆういちろう
2回生で一番激やば人物だと思っています(笑)

ゆうしん
着実に唯一無二のスタッフになってると思うよ!

岡崎
またひなとでも色々話しましょう!ハーゲンダッツは任せて。

けいた、りょうた
残りの時間後悔ないように!

【3回生】
あい
あいにしか創れないスタッフ組織創ってね

あゆみ
広報本当に素敵!この調子で関大の広報任せたよ!

じゅんぺい
同期DFが1人は大変だと思うけど下級生巻き込んで強いDF築いてね

しんたろ
もっともっと周りを頼って!笑
来年こそは得点決めてね

そういちろう
冷静に確実に上がり際を決めきるそういちろう。関大の流れを作ってくれてありがとう。

はると
はるとらしく、あまり気負わず伸び伸びと。

ひじり
試合で活躍する日を期待しています!

ひなた
全部止めるから。あの言葉グッときました!
関大を守ってくれてありがとう。

ゆうき
やっと自分たちの代でうずうずしてるんじゃない?笑
ほどほどの野次で伸び伸びと頑張って!ベスト10おめでとう!

ゆうな
同じ役割を担うことが多くてしっかり者のゆうながいてくれて心強かった!
ありがとう!

ゆうや
足長いよね(笑)ゆうきに負けず頑張れ!

みんなこれまで本当にありがとう!