こもごも | なるべくカンタンに自己実現。

なるべくカンタンに自己実現。

慎重、臆病、三日坊主。
極めつけ、面倒くさがり。
でも幸せに夢を叶えたい。

そんな私の自己実現日記。

父の、遅めの35日祭と、かなり早めの50日祭があり、GWも兼ねて実家に帰っていた。


2日は母の誕生日だったので、長兄と義姉が空港まで迎えに来てくれて一緒に帰った。兄に送ってもらうのは10年以上ぶりで2回目。


車の中で兄は、しきりに自分の買ったケーキの自慢をし、私のお土産のケーキはケナしていた。(-_-


夜9時前に着いた。前もって母に送っておいた花は、新聞紙に包まれて裏のバケツにつけられたままだったので、花瓶を出してとりあえず速攻で生けた。


私と入れ違いに、姉は自宅に戻ったようだった。

兄達は次の日の昼には帰った。


法要の前準備を、母と一緒にいろいろした。

庭や石垣、階段の草引き、食器の用意、掃除など。


草は・・・、いったいどこまでどうすればいいんだろうというくらい、草もつれ。果てしがない。とりあえず人目に触れるようなところだけでも・・と思ったんだけど・・やっぱり果てしがない。^^; 1ヶ月前の葬儀の時にもある程度綺麗にしたはずなのに、もう?って感じ。特に地を這う小っちゃなアレ(何?)とか、芝生の中に生えてるオオバコとか、カタバミとかね。草引きしたことのある人なら「ある!ある!ある!」って感じでしょう。石垣のラセイタソウとかも伸びきってて! 夏まで置くとイラがこじゃんと着くがよね。


今回は、この前お供えを持って来てくれてた中学の同級生2人と会ってきた。ゆっくり会うのは超久々。10年以上ぶりだと思う。中平の美加さんの子供さんはもう20歳だそうで!そうだよ、あの子がまだオムツの頃だもん。ひえー!だ。芝の美加さんは離婚してなかったそうで。これもひえー!だ。 誰だそんなガセ流したの。^^;


姉の勤める道の駅とおわにも寄ってきた。よってこい四万十にも寄ってきた。道の駅とおわは、なかなかいい立地だし、風景もいいし、カヌーの船着場もあったりで、いいとこ見つけたねって感じ。なるほど、お客さんの入りがいいだけのことはある。履正くんは、中学の時はかっこよかったのに、すっかりおっさんになっちょってガッカリ、と美加さんが言ってたけど。(^^;; うちらもおばさんになっちょうろーねー。(^0^;


よってこいで直子ちゃんに会った。

ひえー!!!!!!うわー。ど、どちらさまですか?って感じやったね。^^;



--

こうやって書いてると、なつかしい。

思い出して笑えてくる。



本当は、


実家を出てから泣きっぱなしでした。


いろいろ、やり切れなくて。

悲しくて。


一斉にみんながいなくなった家に一人残された母が不憫で。


それから、いろんな、いろんな感情がごちゃ混ぜになって、ただ涙が溢れてとまりませんでした。




長兄の母に対する横暴。

理不尽な態度、言葉。

周りや、私に対してもそう。


自分はほとんど何もしないくせに、ちょっと何かしたら大袈裟に「こんなにやっている」的にアピる。でも実際のところ肝心なことは何もしないし、段取りとかもしない。よそは、法事ごとは全て、段取りから何から何まで子供がする。でも兄はしないので母がする。そして母が兄に何かちょっと頼もうとしたら、「今言われても」とか「急に言われても」とか、なんだかんだ言ってやらないし、そればかりか怒る。


ちょっと待てよと言いたい。

全てにおいて、なんなの?と言いたい。

あまりにも酷すぎるじゃないか。


ただ迎えの車を出す、それすらも、結局文句を言って母を責めただけで、兄は何もしなかった。何ひとつ、しなかった。会場の設営も、男手は兄1人なのに、腰が痛いと言って何一つしなかった。長机のテーブルも結局義姉と私が移動した。


兄がしたことは、いろんなことにケチをつけたことと、にらんだことと、20分神官さんの話の相手をしただけ。それすら、神官さんにはみんな食べ物を運んでくれたけど、オレには誰も運んでくれなかったから、腹が減った、と文句を言っていた。


自分の前に皿鉢があるのだから、取って食べればいい。


っていうか、兄はホスト側なのだから、兄が小皿に盛って神官さんに勧めるべき。

なのに、兄がしないので他の人が神官さんに食べ物を取ったのだ。


なのに、兄は自分には誰も食べ物を取ってくれないのでお腹が空いたという。


は!!!?


ナニサマのつもり?

なに、そのオレサマ度。


「(誰もしないので)オレが神官さんの話の相手をしてやっていた。(なのでお前らは食えた)」と言っていたが、その席に座ったのは兄だし、そもそも、それは長男として当たり前のことじゃなかろか。まぁ、誰もそうは言わんがね。


しかも、兄の言い分が通らないのは、神官さんは20分で帰ったわけで。あとの残り4時間、いくらでも食えたでしょ。っていうか食べてたでしょ。


なのになんなんでしょ。


そして終わってからも、兄は一切片づけを手伝わなかった。

お腹が痛いと言って、寝るかトイレに入るかしてたようだ。

そのくせ! 車でどっかフラフラと出かけていなくなる。


私が疲れて仮眠してたり、父のお骨の前で悲しくて泣いてたりした時、義姉が一人で炊事をしてたのを見て、彼女だけが働いている、と母に文句を言ったらしい。たぶん母がお香典の整理をしてたからだろう。


でも、本当は兄がすべきお香典の整理を母がしているのだから、義姉だけが働いているわけではない。私に文句を言われても、兄達がいない間、私はいろいろと祭壇の構えから何から準備をしたし、お客さんのもてなしもしたし、兄がしない分、力仕事もした。兄の見てないところでもいろいろしてた。文句を言われる筋合いはない。


っていうかお前がやれ。


下の兄との縁を切ると言ってみたり、下の兄のお嫁さんの実家が母に借金を返さないので、借用書をつきつけて、そことも縁を切る、と言ってみたり、叔父が送ってきたお金は兄達にも取り分があるとか言ってみたり、叔父のお香典が「たった10万!」と文句をつけてみたり(叔父は別途100万を葬儀用に、他にもたくさんくれている)。ささいなことで、「オレの言うことを聞け!」と義姉を叩いたり。



母も含め、義姉も、みんな、本当は兄は優しいんだと言う。

私も、そういう部分があることは認める。実際私にも優しい気持ちを抱いてくれてるとは思う。


だけど、あまりにも大人げない。

あまりにも亭主関白。

あまりにも幼稚。


そういうのは、私はどうしても認められない。


自分が、優しさをうまく表現できなかったり、自分の幼稚な優しさを相手が充分受け取って感謝してくれないとスネたりする、そういう幼さを、私はどうしても許せない。


特に母に対する甘えには、目を覆いたくなる、耳を塞ぎたくなる。


心に優しさを持っていれば、何をしてもいいわけじゃない。

そういうのは、免罪符にはならない。




まぁ、


今回、兄のことだけでなく、


母に対しても、


いろいろな感情が渦巻いた。



やりきれない思い。


性格の違い。

価値観、考え方の違い。

今まで生きてきて、選んできた方法の違い。



母には、幸せになって欲しい。

もう苦労をしないで欲しい。

自ら、そういう道を選ぼうとする母を、必死で止めたい。



だけど、何を言おうと何をしようと、

母は選ぶ。

自らの選択に従って。


苦労の道を。。



ああ、それも私の押し付けなのかな、と、思ったりもして。

私の思う幸せと、母の思う幸せは、

違うのかなと。


人間、結局は、自分が快と思うほうを選択する。

それは自分でどう意識してようとも。


悲しい選択が快になってしまった、ならざるを得なかった人生を送ってきた人を、

どう「正しい」幸せに導こうと思っても、


それはつまり、正しくはないのだから。



何も感じなくなりたいと思った。

何も反応したくないと。


心が揺れる。

それは自分が決め付けていることと違うということに反応してる。


悲しいと思ったり、つらい、やりきれないと思ったりすることは、

つまり自分の価値観を相手に押し付けようとしてるんだと。



でも、どう思ったって、


悲しいものは悲しいし、つらいものはつらい。


そこ、今は悟れない。



自分の理想的なビジョンとか、そういうの、ぶっとぶ。

ちっぽけで、圧倒的な、現実の壁の前に。


離れてたほうがいいのかなと思った。

近くにいたら、自分の思いとぶつかって、それだけで傷つける。

もしくは自分を抑えてストレスたまる。


どうしたら、いんだろね。

本田健さんのメールマラソンも、力なく読んでたよ。



結局、自分の人生は自分でなんとかするしかない。

それがどうなろうとも。

他の人には、どうにかしてあげることは出来ない。


最善を祈って、相手に対する執着を手放す。

自分が何も出来ない悔しさを堪えて、見守る。


それでいいのかな、それがいいのかな、

って、思おうとしたけど・・。


今はまだ、そううまくは出来ない。