誰しも恐れを持っていて
その恐れの取り扱いが
またまた厄介なのですよね
恐れの中にいる和多志として
俯瞰してみているのか
それとも
恐れの中心にいる和多志として
自分を捉えるのか
俯瞰して見ることができると
恐れと向き合う時も
壁に阻まれながらも
自分を見つめ直すことができますが
恐れの中心にいる和多志という捉え方だと
自分は恐れの中に存在していて
そこから抜け出すことも難しく
恐れと向き合うことはもっと困難に
深掘りしていくと
何を恐れているのかが
明確になります
その思いに触れた時
自然と涙が溢れることもあります
やっと氣づいてくれた
やっと分かってもらえた
という心の中にいる
もう一人の和多志が喜んでいるような感じ
蓋をして見なかった感情と向き合うことで
感情がやっと理解してくれたと
喜んでいるような感じ
恐れがあるから悪いのではなく
恐れを俯瞰して見るようにして
恐れとうまく付き合っていくように
和多志はしています
恐れがあるから和多志の心が傷つくのも
最小限に抑えれている
恐れは決して悪者ではない
ジャッジするから悪いものとして捉え
排除しようとしますが
自分から完全に取り払うより
恐れと上手く付き合っていくことで
恐れが和多志の味方になってくれる
和多志の心を守ってくれる
和多志は、恐れと仲良く
付き合っていきます
和多志の中の恐れは
和多志の一部分
どんな感情も和多志の分身