がしゃどくろ | かおぴーのブログ

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    皆さんこんばんは。

    今日はこのお話しをご紹介します。


がしゃどくろ





境港市水木しげるロードに設置されている

がしゃどくろのブロンズ像


がしゃどくろは日本の妖怪。

戦死者や野垂れ死にした者など、

埋葬されなかった死者達の骸骨や

怨念が集まって巨大な骸骨の姿になったと

される。

夜中にガチガチという音をたててさまよい

歩き、生きている人を見つけると

襲いかかり、握りつぶして食べると

言われる。

近年になってから創作された妖怪であり、

各地の民間伝承などから採取された

伝統的な妖怪とは出自が異なっている。

由来

1970年前後に刊行された通俗的な

妖怪事典の類の中で、

その著者らによって創作された妖怪で、

柳田國男の著書でも言及されておらず、

各地の伝承にも現われていない。

妖怪研究家の村上健司や京極夏彦によれば、

書籍『世界怪奇スリラー全集2 

世界のモンスター』(秋田書店、1968年)での

斎藤守弘による記述が初出とされる。

後に水木しげるが『妖怪事典』や

『日本妖怪大全』で取り上げ、

広く知られるようになった。

佐藤有文の著書

『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』では、

浮世絵師の歌川国芳作の「相馬の古内裏」が

挿絵として使用されており、

水木が描いたがしゃどくろの姿も、

国芳の「相馬の古内裏」が基になっている。

また『妖怪事典』・

『日本妖怪大全』中では、

『日本霊異記』などによると、

備後のある所に住む男が、

夜の野原で「目が痛い」と不気味な呻き声を

聞き、次の朝にそこで髑髏を発見する。

その目の穴の部分から筍が突き出ていたので

それを取り朝飯を供えたところ、

「がしゃどくろ」から恩返しと受けたと

言われる。

そのためこれをがしゃどくろと混同する

向きもあるが、すでに述べた通り、

がしゃどくろは20世紀後半になって

生み出されたものであり、

一方奈良時代に書かれた日本霊異記の話は

仏教的な因果応報を説くもので、

がしゃどくろとの関連は無い。

参考







相馬の古内裏

『相馬の古内裏』

江戸時代後半に読本作家の山東京伝によって

書かれた

『善知烏安方忠義伝

(うとうやすかたちゅうぎでん)』により

歌川国芳が描いた浮世絵。

『善知烏安方忠義伝』のあらすじは

次の通り。

承平天慶の乱(935年-941年)で朝廷に

反抗して新皇を称した平将門が

討ち取られた後、

その娘の滝夜叉姫(たきやしゃひめ)は、

父の遺志を実現するため兵を集め、

妖術を用いて妖怪どもを操る。

大宅太郎光国(おおやたろうみつくに)と

いう勇士がこれを討伐しようとして、

滝夜叉姫の繰り出す妖術に苦しめられながら

もついに勝利する。

「相馬の古内裏」は、この物語の中の、

滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が

大宅太郎光国に襲い掛かる場面で、

原作では等身大のたくさんの骸骨が

現われるところを、

歌川国芳は1体の巨大な骸骨として

描いている。

ヨーロッパの医学書の骨格図に基づいた

非常に写実的な骸骨はそれまでの浮世絵には

無い凄みを画面に与え本作品を国芳の

傑作の一つたらしめている。

がしゃどくろと直接の関係はないが、

現代におけるがしゃどくろのイメージを

方向付けた絵であると言える。