浅茅ヶ原の鬼婆 | かおぴーのブログ

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    皆さんこんばんは。

    今日はこのお話しをご紹介します。





歌川国芳画『観世音霊験一ツ家の旧事』



『孤家月』(月岡芳年画『月百姿』)





東京都台東区・花川戸公園。姥ヶ池の跡地。






同公園にある姥ヶ池の石碑。

右側には伝説内容を記した看板がある。



浅茅ヶ原の鬼婆


浅茅ヶ原の鬼婆

(あさぢがはらのおにばば)は、

東京都台東区花川戸に伝わる鬼婆の伝説。

「一つ家の鬼婆(ひとつやのおにばば)」

ともいう。

伝説

用明天皇の時代の頃。

花川戸周辺に浅茅ヶ原と呼ばれる

地があり、奥州や下総を結ぶ唯一の

小道があったが、

宿泊できるような場所がまったくない

荒地で、旅人たちは唯一の人家で

あるあばら家に宿を借りていた。

この家には老婆と若く美しい娘が2人で

住んでいたが、実は老婆は旅人を

泊めると見せかけ、

寝床を襲って石枕で頭を叩き割って

殺害し、亡骸は近くの池に投げ捨て、

奪った金品で生計を立てるという非道な

鬼婆だった。

娘はその行いを諌めていたが、

聞き入れられることはなかった。

老婆の殺した旅人が999人に達した 

ある日、1人旅の稚児が宿を借りた。

老婆は躊躇することなく、

寝床についた稚児の頭を石で叩き割った。

しかし寝床の中の亡骸をよく見ると、

それは自分の娘だった。

娘は稚児に変装して身代わりとなり、

自分の命をもって老婆の行いを

咎めようとしていたのだった。

老婆が自分の行いを悔いていたところ、

家を訪れていた稚児が現れた。

実は稚児は、老婆の行いを哀れんだ

浅草寺の観音菩薩の化身であり、

老婆に人道を説くために稚児の姿で

家を訪れたのだった。

その後は、観音菩薩の力で竜と化した

老婆が娘の亡骸とともに

池へ消えたとも、

観音菩薩が娘の亡骸を抱いて消えた後、

老婆が池に身を投げたとも、

老婆は仏門に入って死者たちを

弔ったともいわれている。

史跡

老婆が身を投げたという池は

「姥ヶ池(うばがいけ)」と

呼ばれて後に伝えられており、

かつては隅田川に通じるほど大きな

池だったが、明治時代に大部分が

埋め立てられている。

また浅草寺の子院・妙音院には、

鬼婆が旅人を殺害する際に用いたと

いわれる石枕が寺宝として伝えられ、

鬼婆の天井絵馬もあるが、

ともに公開は行われていない。