こんばんは。
暫くこちらに文章を書く余裕がありませんでした。
今年の3月から、一つのプロジェクトを立ち上げ取り組んでいます。
私には、心強く頼もしい仲間がいます。
彼と彼女がサポートしてくれて、私は自分の心の奥深くに埋もれていた「望み」を浮かび上がらせることができました。
私がアナウンサーになりたいと思ったのは、高校生の時でした。
私がお嫁さんになりたいと思ったのは、29歳の時でした。
私が権力を持ちたい思ったのは、蓮池さんたち拉致被害者が帰国した時でした。
私がお金持ちになりたいと思ったのは、貧乏を嘆く友人の力になりたいときでした。
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私が○○になりたい、○○をしたいと思う動機は、私の奥から私のために湧き上がってくると思い込んでいたのですが、実はそうではなく、周囲に誘発されて思いつく望みだった、ということに気付いたのが、このプロジェクトに取り組んでからの事でした。
じゃあ私は本当は何を望んでいるの?
自分の事でありながら、分からない。
ところが、プロジェクトの型を作り上げていく作業の中で、彼と彼女からの、いくつかの問いに答えを出していくうち、私は、私が本当に望んでいることが明確に分かりました。
分かるというよりも、そもそもその為に生きていたことを知った。
そもそも知っていたことを思い出した。
そんな感覚です。
私の本当の望みのために、私はアナウンサーになりたかったのです。
私の本当の望みのために、私はお嫁さんになりたいと思ったのです。
私の本当の望みのために、私は権力を持ちたいと思ったのです。
私の本当の望みのために、私はお金持ちになりたいと思ったのです。
これに気付いた今、アナウンサーも、お嫁さんも、権力も、お金も…望みのための「手段」でしかなく、望みそのもではないから必要なかった、というトリックにも気付いてしまいました。
そして、この答え。驚くことに、これまでずっと私の言葉に表されていたことに、気付いたのです。
自分の言葉を知るということは、「自分」を知る間違いのない方法だと思います。
占い師に聞くよりも、自身の言葉に耳を傾けた方が、明白です。
昔の声という字をご存じですか?
『聲』
大きな耳に支えられているのです。
まずは、自分の声、自分の言葉、自分の思いに、耳を傾けてみませんか?
そこから、私本来の、あなた本来の、一人一人独自の、しなやかな生き方がスタートすると、今の私は信じています。
小池可奈