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11歳の自閉症スペクトラムの息子と

8歳の繊細であまのじゃくさんの娘の

子育て奮闘中のkuuです馬


思春期の息子くんとまだまだ泣き泣きの娘ちゃんとの日々のできごとを書いています龍


☆白いものしか食べない


小学校の支援学級を利用しているお母さん数人と飲み会をしようということになり


久しぶりに夜のお出かけをしました生ビール


私は体質的にお酒は呑めないのですが


色々な話が出来てとっても楽しい会でした爆笑





今回集まったウチの子どもは


みんな自閉症スペクトラム症だったのですが


特性は「わかる~」と言うものから「そうなんだねぇ」


とさまざまでしたニコニコ





小さい頃の話で


私が「離乳食の時からご飯しか食べなくて…」と話すと


一人のお母さんが「今はどうですか?」


と聞いてきました


私「今はほぼ何でも食べるよ~」と答えると


そのお母さん「そうですか…」


私「○○くんは?」


そのお母さん「実は…」


話を聞いてみると


そのお母さんのお子さんは今年中学生になったのですが


今もご飯しか食べられないそうで


給食もご飯のみ食べて


パン食の時はご飯を持参しているそうです




正直、私はびっくりしましたアセアセ


話をしてみると、参加した人の中でもう一人(この子も中学生)


給食ではご飯と牛乳しか食べられない子もいました


発達障害の子の偏食や白いものしか食べないは、知っていましたが


大きくなれば、味覚の敏感さも緩和するものと思っていた所もあり


他人事ながら、びっくりと心配な気持ちになりました


通っている小児科ではご飯だけでは、栄養不足が心配なので


時折、血液検査をして様子をみているそうです💉





息子くんの乳幼児期の食事とその頃の様子


息子くんの離乳食は町の検診で教えてもらったように


決まった月齢で始めました


一人目と言うこともあり、私も全くわかっていなかったのですが


口に入れてもすぐに吐き出すなあ


食べが悪いから、お米の固さをどのくらいからかえたら良いかわからない~ガーン


そもそもイスに座っていてくれないっ!笑い泣きアセアセ


などと、離乳食を進めている実感が全くなかったです


月齢の検診や相談室で、食べませんと伝えても改善できるような答えは見つからず…


常に悩んでいました


おっぱいを飲ませるとどんな泣きもおさまる子だったので


おっぱいに頼っていた所もあったのかもしれません


眠る時もおんぶかおっぱいでした





離乳したのは1才10か月の時です


息子が自然に離れるまで待とうと思っていたのですが


私に限界がきましたタラー


おっぱいへの執着心がすごくて、私がやめたくなりました笑い泣き


一度めの離乳は一晩中泣き続けて、私の気力が負け失敗しましたタラー


それからもう一度、1か月後に離乳すると計画をたて毎日その事を伝えました


息子は妹が生まれる3才2か月まで言葉がほぼなかったので


私の言っていることが伝わっているのか


半信半疑で実感はありませんでしたが


とにかく一方的にですが、毎日伝えました





そして、1か月後


今日からもう「おっぱいなしだよ」と伝え、布団に横になって眠ることに初めて成功!


うれしくて、感動したのを今でも覚えています爆笑





おっぱいを止めれば、食べるものも増えるかなとも思っていたのですが


期待するほどは種類は増えませんでした


その頃食べていたものは


ご飯、幼児のヨーグルト、赤ちゃんせんべい…


まさに白いもの…


野菜、くだものは口に入れてもすぐに吐き出してしまうので


挑戦して、失敗…


挑戦して、失敗…


この繰り返し…


私の心は凹み、凹み、凹み続け…


挑戦するのをやめました…ショボーン


親からは「ご飯食べていれば大丈夫」などと言われることもしばしば


その言葉もうのみにして、「しょうがないよね!だって食べないんだもんプンプン」と


もやもやしながらも、見てみぬふりをしていたのかもしれません





食事以外にも、言葉がでない、癇癪、待てない、切り替えが出来ない、外に出たらすぐに走り出すので目を離せない…


などと悩みはつきなく


息子の行動に振り回され、毎日いっぱいいっぱいだったので


息子の食べ物のケアを考えてはいられませんでした





町のこどもセンターによく遊びに行っていましたが


そこで、同年代の子と比べると


息子の行動、食事の違いを見せつけられ、いつも凹んでいたのを覚えています


行きたくないけど、せまい家の中で二人きりの方がつらかったので


週に何度か通っていました





この頃はまだ、発達障害という言葉も知らず


子育てはこんなに辛いものなんだ


ほかのお母さんはニコニコ楽しそうに子どもを可愛がっていてすごいな


私は息子のことをかわいがれない…


子育て向いてないんだろうな…


などと、ネガティブな感情になることも多かったです





旦那さまも発達障害などの言葉も、そもそも小さい子事態を知らないので


私の不安やつらさも理解できなかったようで


よくケンカにもなっていました





旦那さまはおそらく、愛着に障害をかかえていたので


私の「助けてほしい」の言葉を聞くと、逃げたくなったり


怒りを覚えていたのだと思います


自分も毎日必死でつらいのに


自分の欲しい愛情をちゃんともらってこなかったのに


もらってないものをあげることはできない


こんな自分じゃダメだ


という感情になるようで


ケンカになれば、すぐに「離婚しよう」言われていましたタラー





その頃はなんですぐに離婚って言うの?


助けてほしいって言ってるのに、拒否するなんて


私のことそんなにイヤなの?


と私はますます不安と寂しさ、辛さのドツボにはまって悪循環になっていた時期でしたガーン





でも、私の心が元気なときは仲はよかったので


なんとかこんとか離婚はせずにいられましたタラー






息子の乳幼児期の食事からだいぶ、話が脱線してしまいましたが


息子との1日1日を必死に生きる中で


息子3才2か月の時に娘ちゃんが産まれました


娘ちゃんが産まれる数ヶ月前から、出産の入院にそなえ


私以外の人に預けたことがなかった息子を預ける練習をしました


私なら言葉を話さなくても気持ちを理解してもらえたけど


旦那さまやおばあちゃんではそうはいかないと思ったのか


娘が産まれた直後くらいから


言葉を一気に話し始め、5か月後の幼稚園に入園する頃には


同年代と同じくらいには話せるようになっていましたびっくり


代弁は気にしてやっていたのですが、ため込んでいたんですね~タラー


嬉しかったです爆笑





幼稚園に入園そして救世主あらわる


息子くんが幼稚園に入園しましたガーベラ


息子くんは3歳児としてはできないことだらけだったので


心配で心配でたまりませんでした


オムツもとれてないし、ご飯しか食べないし、イスに座っていられないし…


できないことは書ききれません…アセアセ





担任の先生は20代なかばほどの、とても明るくハキハキとしゃべるかわいい女の先生でした


この先生がすごかったんです!!


障害者教育を学んできた先生で


尊敬できる人に年齢は関係ないんだ!と思わせてくれる


まさに私にとっての救世主あらわるですチューキラキラキラキラキラキラ





長くなってしまったので、つづきはまたニコニコ