言葉にとらわれない事 | かつてのこと。

かつてのこと。

2008〜2020まで起きてたこと。

沖縄拳法の何気ない動きで、どえらい威力の突きや蹴りなどを見せられると、どうしても

「どうしてですか?」

と理屈や原理を訊きたくなる。

訊かれたら、精一杯答える。物理科学的に、解剖学的に、あるいは例え話を交えて、図に書いて……。我らの師範がそうしてくれているように。

しかし、それらの言葉は、出来るようになるためのコトバではない。

曰く、広背筋が… ハムストが… 2つの遠心力が…

『そこ』に意識をしてしまうと、出来るはずのものもできなくなる。2つの遠心力なんて、ヒトには意識して制御できる能力ないよ(笑)。

ならば、出来るようになるにはどうすれば良いのか。

『師から伝えられた要訣を頑なに守る』

ま、言われた通り、見た通りにやれってこと(笑)。

「なんだぁ」と思うかもしれないけど、それが最も早道で王道。

今できてる事、できてない事を黒帯や師範に明け透けに見せて、教えを請う。その時の出来てる加減、出来てない加減で、アドバイスや次の課題も変わる。

ウチは、言葉に頼りすぎない稽古、を標榜する。

なんせ元々、定番中の定番の基礎稽古ですら、その呼び名が無い。何故なら「呼び名を付けるとその言葉にとらわれるから」という教えがあるから。