★石垣のりこ氏の私設秘書の菅野完氏の所業。 | きゅうじのブログ アメブロ版

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※再編集版

石垣りこ氏の私設秘書の菅野完氏の所業に

北村晴男氏「弱い人に対する犯罪行為。実刑になる可能性を恐れて国外逃亡したと思われる。(被疑事実が)一貫して卑怯。我々はこの人は大変卑怯な人格を持っていて、同じ様な信用できない報道行為があるかもしれないと知っておかなければならない。」

 

 

▼ご無事で何よりです。

日の丸子&君が代子。新垢@Yuu14Sunplas 

7月30日発売の週刊現代で21年前、米滞在中に女性暴行で菅野完は逮捕歴2度。2度目の逮捕で裁判所に出頭しないまま国外逃亡。

この逮捕状は現在も有効中

米国行けない菅野完。ハワイも行けないんだ笑笑。去年8月女性に不法性行為で東京地裁は菅野完に慰謝料110万円の支払い命じる判決。

菅野は性的な病気

米国での菅野氏への逮捕状は今でも有効

テキサス州ベル郡警察は断言。

N国党・立花党首 vs 菅野完 

立花「菅野さんはアメリカで女性に暴行をして、出頭にも応じず日本に逃げてきた人です」

菅野完氏をご存じのない方へ

①しばきとは?

皆さんもご存知の有田議員が組む在日極左暴力組織の在日韓国青年同盟は、極左過激派の中核派とも連携する日本国家解体を目的とするグループです。

在日韓国青年同盟→しばき隊→C.R.A.C.

などと名前を変えていますが

反日団体で在日朝鮮人、在日帰化人で構成されています。

元しばき隊ノイホイ(菅野完)

「レイシスト、タヒね!コラ!。知恵遅れが!。いてもうたろか?オラッ!」

「僕ら被差別部落の人間は‥‥」

②著書「日本議の研究」裁判

「日本会議の研究」販売差し止め 東京地裁が仮処分決定
関述之裁判長は決定で、記述が
「男性の社会的評価を低下させる」と判断。
自殺者が出たという部分については、菅野氏の説明以外に客観的な資料がなく、男性に取材していないことを菅野氏が認めたことなどから、

「真実でない可能性がある」とした。
全文はこちら↓

③「婦暴行」裁判

※菅野完氏は2012年に次長課長の河本準一さんの母親が生活保護受給騒動に対して、河本さんを応援するため「Civil Action Japan」というプロジェクトを発足。そのプロジェクトに関心を持った女性にツイッターなどを通して会ったのがすべてのはじまりなんだとかまた菅野完さんは過去にもツイッターを利用し活動に賛同する女性などに対して不適切な発言が目立っていたという噂です

初対面の女性に性的暴行を働いたとして、一審で慰謝料100万円を含む損害賠償110万円の支払い命令を受けた『日本会議の研究』著者・菅野完氏の控訴審が11月7日、東京高裁で始まった。

一審で性的暴行の事実について大きな争いはなかったが、菅野氏は8月12日付で控訴。

「(性的暴行の)回数が1回であり、かつ短時間のうちに終わっている」

など自らの加害行為を軽視する主張のもと、慰謝料の減額を求めている。
菅野氏は2012年初夏、同氏主催の運動に賛同する被害者と初めて対面し、「公安に追われている」「パソコン作業の必要がある」と説明し被害者宅に移動。被害者をベッドに押し倒し、キスをしようとしたほか、「抱っこ」を要求した。体を離した後も性的欲望を伝え続けた。

被害者は15年末に民事訴訟を提起し、一審は、性的暴行により被害者がカウンセリングを受けるようになったことも認めた。
控訴した菅野氏は、控訴提起から50日以内の提出と定められている控訴理由書を、期限が過ぎた10月10日になって提出。冒頭の主張のほか
、「押し倒し、キスをしようとしたにとどまる」「胸部や臀部、股間等、女性の身体の中でも特に性的自由侵害の程度が高い部位には触れていない」などと弁明した。また、「慰謝料は5万円を超えることはない」と一審と同様の主張も展開した。
これに対し被害者は、一審判決が認定したように、拒絶されていることを認識した後も菅野氏はしばらくの間、押し倒した体勢を続け、その後も性行為を求める言動を繰り返しており、
「相当悪質」だと指摘。

7月13日に施行された改正刑法では「強制性交等罪」に性交類似行為が含まれるようになったことを挙げ、一審判決は維持されるべきだとした。

さらに、判決日に、菅野氏側の三浦義隆弁護士が事実でないことや一方的な解釈に基づく裁判についてのブログ記事を公開したことで、誹謗中傷にさらされ、二次加害(セカンドレイプ)にも苦しんでいるとした。
東京高裁は両者の主張を受け、11月7日に即日結審した。判決は来年2月8日15時半。

一方、被害者側は8月24日付で千葉県弁護士会に三浦弁護士の懲戒請求をした。

弁護士会は三浦氏に答弁書の提出を求めているが、まだ提出されていないという。
(本誌取材班、11月17日号) リンク切れ

④米国から国外亡中

森友追及のジャーナリスト・菅野完氏に米警察から逮捕状が出ていた

「週刊現代」2018年8月11日号

(中略)

「もう耐えられません」

テキサス州キリーン市警のロバート・バーク巡査が現場アパートに急行したとき、顔面が血だらけになった女性は、泣きながら床にへたり込んでいたという。

加害者の男は、女性を介抱するでもなく、「凶器」となった電話機に付着した血を洗い流すべく、キッチンの流しに立っていた……。
これは安手の海外ミステリーの書き出しではない。著述家・菅野完(すがのたもつ)氏(43歳)が、21年前に米国・キリーン市警に逮捕された際、捜査報告書に記された内容だ。

(中略)
森友学園の塚本幼稚園の園児たちが
「安倍首相がんばれ!」と発言する異様な動画を手に入れ、そもそもの発端を作り出したのも菅野氏だし、安倍昭恵夫人から森友への「100万円」寄付疑惑の根拠とされた振込用紙を入手したのも菅野氏である。

(中略)
だが、この菅野氏に重大な疑惑が浮上した。菅野氏には、米国で2度にわたる「女性暴行」での逮捕歴があり、刑事事件となっている。

そして逮捕状が出ているにもかかわらず、いまも「国外逃亡中」の身だ―。
2度目の逮捕では、裁判所に出頭しないまま国外逃亡を果たしたため、

この逮捕状は現在も有効である。

その重大性に鑑み、プライバシーにも配慮したうえで、現地警察の捜査記録や員面調書、テキサス州ベル郡の裁判所での公判記録など多数の資料をもとに、菅野氏がいかにして「逃亡犯」となったかを記そう。
冒頭の事件は、
「第1の犯行」である。キリーン市内のセントラル・テキサス大学(2年制)に在籍していた菅野氏は、まだ22歳。ガールフレンドだったのが、交際1年になる同級生の日本人・A美さん(当時20歳)だった。
'97年8月27日、夜7時頃、菅野氏のアパートで事件は起こった。

「6ヵ月前にも似たようなことがあって、彼の暴力で指を怪我しましたが、もう耐えられません。顔を怪我し、鼻の形まで変わってしまった」
と直筆で綴られるのは、当時A美さんが警察に提出した上申書だ。何が起こったというのか。

「彼の電話料金を支払えと言われたんです。私は彼の電話を使うときは、必ず彼の許諾を得たうえで、フリーダイヤルだけを使っていたから、料金を支払ういわれはないと拒否した。すると、彼は私に電話料金の請求書を投げ、さらに電話機を私の顔に投げつけたんです。それで大量の血が鼻から流れ出ました。警察を呼ぼうとしましたが、彼は電話機をとりあげ、何度も私を叩き私を押し倒したので、私は叫び声を上げて隣人に助けを求めたのです」(上申書より)

保護観察中に再び犯行

A美さんは近隣の病院へと移送された。捜査資料によれば、鼻からの流血はひどく、カーペットやソファ、ドアにも血が付着しており、菅野氏本人の手や腕、シャツやジーンズにも血が付いていた。

9月5日、菅野氏は市警によって傷害罪で逮捕され、キリーン市拘置所に収監された。
'98年5月29日、テキサス州ベル郡第2裁判所は、菅野氏に対して判決を出す。菅野氏は争わなかったので、
罰金650ドルなどの支払い命令と、12ヵ月の保護観察処分が言い渡された。
だがこの判決日の直前、「第2の犯行」が起こっていた。1年前とは別のキリーン市内のアパートに、2人の警察官が急行したのは5月23日夕方だ。
「一緒に住んでいるボーイフレンドに顔を殴られたと(女性が)証言したので、ボーイフレンドを逮捕した」(捜査報告書)
左頬は赤く腫れ上がっていたという。なんと、またも
被害者はA美さんだった。

罪名は、前回の「傷害罪」ではなく、「家族や同居人への傷害罪」に変わっている。いわば「ドメスティック・バイオレンス(DV)」罪というべきものだ。
A美さんとは
「同棲」状態にあったとみられるが、2度にわたる逮捕となると、「DV常習者」とみられてもおかしくないだろう。
菅野氏はすぐさま保証業者に立て替えさせて2500ドルの保釈金を納めた。

ところが―。
'99年6月25日に開かれたテキサス州ベル郡第2裁判所での公判に、被告である菅野氏が姿を見せることはなかった。当日出された
「仮判決文」は、保釈金没収を宣言した後、こう記している。
「被告の再逮捕の令状発行を求める」
菅野氏は、保釈中に逃亡したのである。

保釈金の保証業者に対して支払いをしていないことも、明らかになっている。
記録によれば菅野氏がセントラル・テキサス大学に在籍していたと見られるのは、'98年8月まで。
「第2の犯行」の後、姿をくらませた。

日本に帰国後、菅野氏はサラリーマンとして活動しながら、やがて執筆活動を始める。ベストセラー『日本会議の研究』が出版されたのは、「第2の犯行」から18年後のことである。

DV性暴行捏造本の出版など完全にある特定民族の行動一致しています。

現在も米国での逮捕状が有効であるならば、日本と米国犯罪引き渡し条約を締結している筈ですので直ちに身柄を拘束して引き渡しを行うべきですね。

二度とメディアに出さないでほしいと思います。

私としてはアメリカの刑務所で屈強な男たちに・・・

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被害に遭った女性たちの気持ちを身を持って思い知ればいいと思います。

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