★韓国映画軍艦島←「真実の歴史を追究する島民の会」抗議する声明を準備 | きゅうじのブログ アメブロ版

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日本にとって、共通の価値観を共有ができない国々の事を、初心者でもわかるように伝えるのが目標です。上級者には物足りないと思いますが、よろしくお付き合いください。<m(__)m>
きゅうじとは【救治】【急事】【灸治】 【旧辞】【旧時】【旧事】から名付けました。

慰安婦問題と構図は同じ

※NYの広告 朝鮮人ではなく日本人の画像だったとのちに判明

高給だから、募集に殺到し、ただの出稼労働者だったくせに捏造映画を作り、ニューヨークで宣伝までする。

韓国人は日本を陥れるためのプロパガンダには支那人同様に余念がない。

※韓国映画「軍艦島」

この映画のストーリーだが、日本の植民地時代に端島炭坑(軍艦島、長崎市)に強制徴用された朝鮮人約400人が、命がけで島を脱出するという事実とは全く異なるフィクションだ。

ただ高給に引かれて自ら志願し、働いていただけなのに、日本軍に騙されて働かされていた朝鮮独立運動メンバーを救出するために潜入した救出劇にもなっている。

真実は、ただの出稼ぎ島だ。

就業した以上、日本が敗戦したことにより、出稼ぎに来ていた朝鮮人労働者に給与が支払われなかったことは事実だ。
それで「日韓基本条約」「日韓請求権協定」なのである。

今度は「軍艦島」で映画 左矢印制作発表時コメント

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◆日韓請求権協定◆

昭和40年、日韓の国交正常化に合わせて結ばれた戦後賠償に関する2国間協定。日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの経済支援をすることで、両国間の請求権は「完全かつ最終的に解決された」と規定している。韓国政府は平成21年、徴用工の未払い賃金についても、「請求権協定で外交上解決済み」との見解を示している。

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日本が国交回復に関し、日本側からの個別補償を拒否し、国家で行うからまとめてほしいと決めたのが当時の韓国政府である。じつは北朝鮮の分まで受け取っている。
その事実を2000年代になるまで韓国国民にも公開していなかった。
日本語、朝鮮語、英語にしたこの条約は、どうせ 後々いちゃもんつけてくると予測して英語も付け加えている。
正に的中している。
いくら事実を見て聞いても受け止めないのが朝鮮人。

今の加計問題の朝日新聞と民進党とそっくりだ。

未払いの給与などは韓国政府に支払い義務があり、もはや日本政府は関係ないのだ

これは現在の従軍慰安婦問題と全く同じ構図ではないのか?

この事実と異なる状況に抗議する人たちが声を上げています。

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※以下はNHKの報道より引用

韓国で公開の映画「軍艦島」に元島民が抗議へ

長崎市の「軍艦島」にある世界遺産の「端島炭坑」を舞台にした映画が、26日から韓国で公開されましたが、軍艦島の元島民の有志で作るグループは、映画の描写が「誤った歴史認識を伝えるおそれがある」などとして、この映画に対して抗議する声明を出すことになりました。

https://twitter.com/i/web/status/820880524117803008

画像引用元

韓国人にはウソは証拠をみせて叩きつけないとつき続ける。

有志の方々には是非、頑張っていただきたい。

これのどこが強制労働なのだろうか?

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働いていた人たち

全部ただの労働者だから騙されないでね。

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日本の朝鮮半島統治時代に「強制された」という徴用工の像を、ソウルの日本大使館と釜山(プサン)の日本総領事館前に設置する計画を進めている韓国の団体「対日抗争期強制動員被害者連合会」は26日、解放記念日に当たる光復節の8月15日に設置する計画を延期すると明らかにした。 

http://www.sankei.com/world/news/170726/wor1707260033-n1.html

 

事実はこれ

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1940年4月5日の東亜日報に、このような記事が掲載された。
その日、「釜山から日本へ渡航する朝鮮人の問題で、内部(朝鮮)と外部(日本)の関係者で会議」が開かれたとある。
つまり、朝鮮人の日本入国に関する会議をしたということだ。
会議の内容は、「自由労働者の渡航は制限するにしても、集団労働者の渡航はできるよう、手続きを簡単にしてほしい…朝鮮側としては、渡航制限を完全に撤廃するのが理想だが、日本側に了承点していただけないので…」という部分が出てくる。
つまり、当時は朝鮮人が日本に行くことが厳しく制限されていたが、朝鮮側がこれを撤廃もしくは緩めてほしいと要求していたという実状が分かるのである。

同日東亜日報の社説は、朝鮮人の日本への密航問題を扱っていた。
この社説を読むと分かるのは、当時、日本への密航を斡旋するブローカーが猛威を振るっていたということである。
こういったことは、普通に入国するのが難しいために現れる現象である。
現在、中国人や東南アジア人が韓国に密入国したり、観光や研修目的でビザを受けて入国して姿を隠す事例を思い出させる部分だ。
そもそも慰安婦たちも、このような仕組みでお金を介して流れていったのではないか。道を歩いていたら捕まえられて強制連行されたという説を信じるのは難しい。
1939年、「朝鮮人の(日本本土)移送計画」が発表された。
この発表によると、朝鮮の労働者が日本に行ける道は大きく分けて二つあった。
各企業の独自募集があって、朝鮮総督府に依頼し、地元民(朝鮮人)を募集する「官斡旋」があった。 
「強制」という用語は韓国が作った話に過ぎない。
しかし強制はあった。その強勢とは日本に渡っていく密航者を検挙して、朝鮮に帰国させたものである。
これは「強制連行」ではなくて「強制帰国」だ。
 
また、徴兵は1938年度に発表した「陸軍特別志願兵」制度を見てみればいい。
強制はなかった。
志願し、その後に厳格な手続きを経なければ、日本軍への入隊は不可能だった。
当時の志願者数と最終入隊者数を見ると、1938年の最初の年は、志願者に比べて入隊率が13%台で、翌年から1943年までは5%未満だった。針の穴も同然だ。
当時の東亜日報の報道によると、慶尚南道咸安からの志願者は300人いたが、9人(3%)しか合格できなかったと書かれている。
朝鮮総督府の資料によると、1942年は1.6%(志願者254273人で入隊者4,077人)だった。
100人が志願しても2人以下しか合格できなかったということである。
 
戦争で敗色が濃くなり、日本本土の若者がすべて徴兵されて戦場に出るようになると、炭鉱労働者が不足しはじめた。
だから「徴用」が開始された。
国家総動員法によって「国民徴用令」
1939年に実施されたが、朝鮮人には適用されなかった。
プライドが傷つく話だが、「朝鮮人は労働の質も落ちるし、信頼できない」という理由で適用されなかったのだ。
 
そうするうちにだんだん労働力不足が深刻化して、「内鮮融和」という統治理念を打ち出した朝鮮人たちの嘆願と総督府の努力により、
1944年9月から朝鮮半島在住の朝鮮人たちにも「国民徴用令」が適用されることになる。
そこで初めて「朝鮮人の日本への渡航制限の撤廃」が行われたのだ。
「強制」といえるかもしれない「徴用」は、1945年3月までのわずか7ヶ月だった。
連合軍が制海権を掌握し、釜山と下関を結ぶ関釜連絡船航路が閉鎖されたためである。
そして数ヶ月後に、日本が降伏することで状況は終わった。
 
さらなる疑問がもう一つある。
解放後、多くの朝鮮人はなぜ、それだけ苦しみを受けた日本の地を離れなかったのだろうか?
差別され抑圧され命まで失うほどだったその「悪夢」のような場所なら、なぜ離れなかった?
同胞の彼らは差別を受けたとはいっても、韓半島にいる時よりもはるかに良い暮らしをしていたのだ。
故郷に帰って来ることに消極的だった。
つまりこれは、当時の日本は、私たちが今言ってるような「生き地獄」ではなくて、「チャンスの地」だったことを証明するものである。

その後西ドイツに看護婦や鉱山労働者として行ったことや、今東南アジアから来る労働者の境遇と同じような脈絡である。
 
(日帝植民地時代の実像を誰よりも深く研究してきたイ・ヨンフン・ソウル大学経済学部教授は、韓国が現在日帝植民地時代を振り返っている状況を見ながら「幻の国」と言った。)
VOA
引用ソース
http://www.chogabje.com/board/column/view.asp?C_IDX=73788&C_CC=BC

お互い断交したいんだからすればいいのに。

 

おわり

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