★「地上の楽園」いまこそ帰国事業の再開が必須!! | きゅうじのブログ アメブロ版

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※過去ブログの再編集版です。

地上の楽園(((o(*゚▽゚*)o)))

北朝鮮に渡った9万人の帰国者は最下層身分として潰された

1959年から始まった在日朝鮮人の北朝鮮帰国事業は、現在は北朝鮮に批判的な産経新聞も含んだ主要全紙が「美談」として報じたことで日本人をも巻き込んで大衆的な支持を得て9万人もの人が海を渡り 「地上の楽園」へ向かった。

しかし、1990年代中盤ごろから脱北者たちが帰国者の悲惨な実情を証言するようになり、実態が広く知られるところとなった。

「デイリーNKジャパン」編集長の高英起氏が、当時、北朝鮮で来国者を待ち受けていた過酷な現実について解説する。

【ミサイル発射と核実験を繰り返す金正日 KCNA/新華社/AFLO】  

* * *  

帰国者を待っていたのは、日本での宣伝とは大違いの貧困という現実北朝鮮社会で最下層に位置づけられた差別だった。

帰国者の多くは、北朝鮮における身分制度である出身成分(*)で最下層の「敵対階層」またはその上の「動揺階層」に分類され監視対象とされた。

さらに、多くの帰国者が「望む仕事に就ける」と言われていたものの、実際には北朝鮮当局によって、一方的に配属先を決められた。

独身の帰国者の場合は、帰国者同士でなければなかなか結婚できないという差別もあった。

【*金日成に対する忠誠度によって、国民を「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」の3つに分類。動揺階層は状況次第で党に抵抗する可能性があるとして監視対象になり、敵対階層は党に否定的な態度をとるとされ、より厳しい特別監視対象になった】  

北朝鮮に帰国して帰国者同士で結婚したが、その後、一家で脱北、そして日本に再帰国した女性は語る。

北朝鮮で高校を卒業して咸興工業大学に進み、卒業後は機械工場の設計室で仕事をしました。もうその頃には、見たり聞いたりしたことをそのまま口にしたら命が取られることがわかっていましたから、方向転換し、順応していこうとしました。

1965年に結婚して地方に移り、5人の子どもを産み育てました。

しかし配給では食べていくことができません。  

平壌では9割が米、1割が雑穀ですが、地方では秋には米が3割くらいに増えることはありましたが、通常は9割が雑穀で米は1割です。一番困るのが大豆。水にふやかして臼でついて調理しますが、2食これを食べると消化できず下痢。毎食だと神経もおかしくなっていきます」  

帰国者だからといって配給を少なくされることはなかったが滞りがちな配給を優先的に回してもらうにはコネが必要だった。

コネを持たない帰国者は結果的に食料の確保で苦労することとなる。  

帰国事業真っ盛りの1950年代から1960年代はじめ、日本で貧困に苦しんでいた在日朝鮮人だが、その後の日本の経済発展に溶け込み、定着しながら、徐々に生活が豊かになっていく。

日本社会で生活が落ち着きつつあった在日朝鮮人は、徐々に帰国する意味を失うと同時に、帰国者たちのその後の悲惨な生活ぶりが聞こえてくることにより、帰国事業自体が尻すぼみとなっていく。  

そして、帰国者たちは日本にいる親戚に支援を請うようになる、これが彼らに対する新たな差別を呼び起こすことになる。  

日本から送られてきたありとあらゆる支援物資を手にした帰国者たちに対して、現地住民は妬み、差別意識を増長させていき「帰胞(キポ)」(帰国同胞)呼んで蔑んだ。

帰国者のなかで最も惜しまれる1人が、舞踊の天才「崔承喜」だ。

彼女の踊りは、日本だけでなく、ヨーロッパ、アメリカでも話題を呼び、ピカソやジャン・コクトー、川端康成等多くの文化人を魅了した。

朝鮮人でありながら、化粧品や百貨店の広告のモデルに採用され、雑誌でも頻繁に特集されるなど、まさに当時を代表するスターの1人であり、ファッションリーダーでもあった。  

その彼女も1967年に「ブルジョワおよび修正主義分子」として粛清される。2003年に「人民俳優」として名誉回復されたとされているが、世界に通じる舞踊手の才能を潰してしまったことは間違いない。  

もちろん、なかにはある程度の成功を収めて、現地住民と同じような境遇で生活する帰国者もいるが、圧倒的多数が夢破れて辛苦に満ちた厳しい人生を今でも送っている。  

帰国事業は、在日朝鮮人運動の忌むべき1ページと言える。しかし、決して葬り去られてはならない。なぜなら悲劇は過去の1ページではなく現在進行形だからだ。今現在も多くの帰国者やその子孫が、金正恩体制の人権弾圧によって苦しんでいる。  

そして、帰国者の苦しみはそのまま北朝鮮の民衆の苦しみでもある。新たな1ページをめくるためにも、こうした現実に目を背けず、過去をしっかりと見つめることが在日朝鮮人に求められている。 ※SAPIO2016年11月号

http://www.news-postseven.com/archives/20161101_455956.html?IMAGE&PAGE=1

在日朝鮮人が見つめるのは勝手だが、内政問題であり、私たち日本人には全く関係がありません。

朝鮮人にとって「地上の楽園」だったのでしょう。 

帰国事業を促したのは貴方たちのお仲間である日本共産党や社会党、日教組、朝鮮総連が中心朝日新聞「地上の楽園」と小泉訪朝まで言い続けてきました。

文句を言うのならばお仲間にいうべきです。

騙したとか差別されてるとか馬鹿をいう話ではありません。むしろ「日本から支援を受けられる帰国者」優遇されているのではないでしょうか。

羨ましがられて当然だと思いますし、なんせ朝鮮人の事ですから現地住民に対して、酷い態度や横柄な振る舞いでもして見下していたのではないでしょうか。嫌われて当然です。

位置づけが最下層だとしても実態は士農工商と同じだったと思います。

そもそも朝鮮人が自分の国に帰っただけの話であり、 配給とかきちんと公平に扱って貰ってるではありませんか。 しかも大学まで行っています。

何の問題があるのでしょうか?

食糧不足は北朝鮮の問題で日本には関係ありません。ましてや日本をミサイルで恫喝している国です。人道的支援など出来る訳もありません。

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朝鮮人はなんでもすぐに文句を言う民族です。

この記事は在日が帰らない理由をかわいそう目線で書いているつもりなのでしょうが

そもそも日本人ではないので私たちには一切関係がありません。

しかも日本にいる在日の殆どは韓国の済州島出身者で 韓国軍の虐殺を逃れた共産主義者たちの密入国者です。

沖縄で騒いでるのはそいつらの子孫。 

韓国では在日村まで用意して帰国を促しているのに帰らずに反日活動しています。

そんな彼らに日本人の私たちが同情する必要など1ミリもないのです。

むしろとっとと帰れといいたいです。

いまこそ帰国事業の再開が必須です!!

そもそも彼らの祖国(北も南も)は特権階級以外の国民は貧困なのですから在日資産を使って助ければよいと思います。

日頃から愛する祖国と騒いでいる皆さんなのですからどうぞそのまま帰国して永久に日本とかかわらないでほしいです。

帰国事業はピースボートも手伝ってくれると思いますよ。そしてピースボートごと帰らないでほしいです。

これが民度の高いひとたちだって・・・

 

××××(-_-メ)でいいかな?