生産性があるか、どうか。

 

 

自民党の某議員の発言が

取りざたされていて

 

あちこちで目にするたびに

複雑な気持ちになります。

 

かつてのじぶんを思い出して苦しいのと

ついにこれが表に出てきたか、という感慨で。

 

 

 

 

 

 

 

生産性というものを

求められているように感じ

 

生産性というものを

じぶんに課していた頃は

 

ほんとうにほんとうにほんとうに苦しかった。

いまも即座に涙目になるくらい、苦しかった。

 

 

 

 

 

 

 

いまの日本社会で生まれ育ったひとならば

多かれ少なかれ、共通の思いがあるとおもう。

 

無自覚なひとが多いかもしれない。

 

自覚してしまったら

足元が崩れるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

議員として活動する女性が

「生産性の有無」を判断基準としていること

それを表明したこと

 

彼女本人が誰よりも「生産性」に縛られていることは想像に難くない。

 

 

そしてその是非を問うたり

反応しているひとたちもまた

 

自分の内に「生産性の呪縛」がある。

 

 

 

 

 

 

どうかこのチャンスが

彼女から議員バッヂを剥奪する/しないに

終始しませんようにと願う。

 

ほんのひとにぎりの人でいい

 

自分の内に根深くはびこる呪縛に気づいて

それを無くせる可能性に、気がつけたら。

 

 

あしたがどれだけやさしくなるだろう?

 

 

 

 

 

今日の記事中の写真は

昨日のわたしの

「生産性のない散歩」によるものですグラサン

 

 

過去記事に貼ったニュージーランド議会での

同性婚法案をめぐるスピーチをふたたび。

 

(後半の文字起こしはこちらで読めます)

 

 

ああ、こういうことを

あんなふうにユーモアを交えて語れたらなあ!!宇宙人くん

 

じぶんのセンスのなさを嘆きながら

真面目一辺倒に書いてしまいました。

 

読んでくださってありがとう乙女のトキメキ

 

 

最後に宣伝!笑

 

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