早朝の富士川駅からスタート。今日は雲多め。

旧東海道、前回終了点に戻ってきました。

宇多利神社の参道入り口。

辻々に天然石の秋葉常夜灯が立つ。


栗の粉餅を売るツル屋製菓、まだ開店前でした。画像は拾い物です。
一里塚あたりに店が軒を連ねていたそうだ。これも拾い物です。

朝のうちは富士山が見えていたけれど。

狭い道路に立つ秋葉常夜灯、はっきり言って邪魔者扱い。

岩渕の一里塚。両塚が残る希少な史跡。エノキの木も見事だけど、ちょっと切られすぎ?

新豊院の参道入り口には古い地蔵が佇んでいる。

八坂神社の参道入り口。鳥居の奥には東名高速道路。

富士川橋まで下ってきました。かつてはここから渡舟。

富士川橋の上から。まだ富士山何とか見えている。目の前には四ヶ郷堰。正面に緑に覆われた雁堤を見る。

水神社の境内

いろいろな遺物がたくさん。

国道(降格して県道?)を縫うように旧道を進む。これまた武骨な常夜灯。

小さな神社の境内に石仏がぽつんと。

公会堂の横に札ノ辻跡。その横には猿田彦大神の石碑などなど。

金正寺の門前には、「酒飲んだ人は入るなって書いてあるよ・・・」「今日は『まだ』飲んでない・・・」

富士駅に続く商店街を横断

王子マテリアル、という大きな工場の裏、本市場の一里塚跡。王子製紙のグループ会社だね。

こっちから来て、あっちへ。県道(国道)を横断。

看板につられて、食パンを衝動買い。街道横のベーカリー。

単体道祖神、と案内されていた袂の賽神像

目の前には巨大病院。潤井川を渡る富安橋、通称「三度橋」。

吉原宿の西木戸跡

吉原中央商店街に到着。

ちょうど開店時間です。

つけナポリタンをいただきました。

いただきます!
締めの割りスープ。最後までウマイ。

おもちゃのキムラは本陣跡。示すものは何もなし。

吉原本町駅の横で、岳南鉄道の線路を渡る。

吉原の工場地帯を行く短距離ローカル線。

平家越えの橋 平家越の碑と説明書き。

馬頭観音の祀られた小堂と南無妙法蓮華経題目碑が立つ。

名勝、左富士。見えませんねえ。

左富士交差点。

見えればこんな感じ。左富士神社に飾ってあった写真です。

悪王子神社、すごい名前だな。明治時代になって左富士神社になったとか。

依田橋の一里塚跡。なんともかわいい塚のオブジェ。

新幹線と国道1号線が並行して走る区間。ガードをくぐると海沿いへ。

吉原駅入り口の交差点。

河合橋は工事中で通行止め。歩道橋は通れました。

右折すると吉原駅。ここで今日は終了です。

2月のだるま市の時にはごった返す吉原駅。普段はほとんど人がいません。

下り列車で二駅。戻ります。

 

 12日、日曜日。天気は今一つ。夜から明日の週明けにかけては警報級の大雨になりそうで、早めの切り上げを予定。今日は先日の富士川駅からの続き。吉原駅までをつなぎ、途中の吉原商店街でB級?グルメの「つけナポリタン」をいただく予定。
 8時少し前、富士川駅に到着。駅近くの一日400円に車を停めてスタート。とりあえず前回の終了点を目ざす。新幹線を見ながら山側へ進み、東名のガードをくぐると、前回終了した旧東海道「佐藤商店前」に到着。ちょうど8時。宇多利神社の社標、秋葉常夜灯を見送るとすぐに「ツル屋菓子店」かつては街道沿いに多くあったという名物の栗の粉餅を継承している。残念ながらまだ営業前。山沿いを通っていた街道は次第に富士川沿いに下りていく。東名ガードをくぐり、ゆるゆると下り坂。正面に富士山の姿が見えてくる。ところどころに自然石を積み上げた秋葉常夜灯が立つ。各町内会で建てているのだろうか。狭い通りに立つ常夜灯は、工事現場の赤色点滅灯が付けられている。今となってはじゃまだなあと思う人もいるのだろうなあ。小学校の前を通り過ぎると、曲がり角に巨大な木の立つ塚が見える。岩渕の一里塚。東側の塚はエノキの木が二代目、というが西側の塚は巨大な姿を残している。ただ枝はだいぶ刈りこまれてしまって、ずんぐりとした姿。両塚が残っている一里塚は多くはない。これは貴重な姿を見ることができた。八坂神社の入り口を過ぎると川に向かって下っていく。すぐ目の前には富士川橋が見えてきた。旧東海道は下りきったところに渡舟場があったそうだ。旧国道1号線に合流し富士川橋を渡ると水神社。渡舟場跡、富士山道標、など史跡も多い。すぐ裏手には富士川の治水の遺跡「雁堤」がある。しばらく進みコンビニで小休止。ここから旧道跡を縫うようにたどる。JR身延線柚木駅でガードをくぐり、道は国道の南側へ。常夜灯、札ノ辻、道祖神など、ぽつりぽつりと残る史跡をたどって進む。富士駅に続く商店街を横断し、進んでいくと王子マテリアルという大きな工場のすぐ前に本市場の一里塚跡。また国道?県道?に戻り横断。道は北へ。しばらく進むと中央分離帯のある大きな通りが東海道の道を分断。そのすぐ脇にベーカリー。「ツレテケ」が吸い寄せられ、大きな食パンを抱えて出てきた。「見て見て、焼きたてだよ。まだ熱いよ。すごーい。」・・・いやそれ、持って歩くの?・・・ 
 歩いていくと、住宅のブロック塀がコの字型にへこまされていてその中に頭巾をかぶった不思議な姿の石像。すぐ横の富士市の案内には「単体道祖神」と書かれているが、ガイドブックでは「袂の賽神像」と書かれている。村口を守る神像だそうだが。やがて潤井川を渡る富安橋。江戸と京を月に三度往復した三度飛脚が架橋したので「三度橋」とも呼ばれていたそうだ。橋の上からは雄大な富士を間近に見るはずだが、だいぶ雲が多くなってきてしまった。何度か曲がり角を過ぎて細い裏通りを進んでいくと、藤市役所のすぐ横、中心街の大きな通りに出た。小潤井川をわたりまた裏通りに入っていくと吉原宿の西木戸跡。進んでいくと吉原の商店街に到着。
 ちょうど11時。お目当てのアドニスはまさに開店したところ。食べようとしていた「つけナポリタン」は提供が11時30分過ぎから、というので飲み物を飲みながら休憩しつつ待つことにする。ローカルのグルメ番組などで話題になり、何度か訪れたことがあるが、前回は何年前か、久しぶり。壁一面の色紙が人気を物語る。つけナポリタンはこのアドニスが発祥の地ということだが、トマトベースのスープのつけ麺。麺はもちもちの生パスタにサクラエビを混ぜ込んである。国籍不明な料理だ。11時25分「お待たせしました~」と到着。スープには厚切りの鶏むね肉が3枚、味玉、青梗菜、チーズ。いちおうスパゲティになるのだろうが、トレイには箸が乗ってくる。フォークはない。途中でレモンを絞ってかけると味変。最後に麺を食べ終わると、熱々の魚介出汁のスープを持ってきてくれる。それでつけ汁を割ると最後までおいしく、完食。いや~うまかった~。
 さてラストスパートがんばろう。商店街を通り抜け、岳南鉄道を吉原本町駅横で渡り、工場の間を進んでいくと和田川に架かる橋。「平家越え橋」1180年の源平富士川の合戦の際に、ここに平家軍が陣を張ったが、夜中に水鳥が一斉に飛び立った音を源氏の夜襲と勘違いして逃走したという。ここから道は南に、さらに少し西に向きを変える。東海道の名勝「左富士」だ。残念ながら富士山の姿は見えず。左富士神社の境内には依田橋の一里塚跡。かわいいモニュメントが作られていた。やがて目の前に新幹線と国道1号線バイパスのガード。その向こうは田子の浦港だ。3年前の夏の「チャレンジ3776」のスタート地点。吉原駅入り口の交差点から、駅に向かう。街道の河合橋は工事中だが歩道橋は通行可能。そして吉原駅にゴール。2月の妙法寺の毘沙門天大祭、通称「だるま市」ではここから人の波となるが、普段はいたって静か。人の姿はほとんどない。岳南鉄道の始発駅でもあるが、やはり人の気配はない。13時終了。
 今日の記録 富士川駅~吉原宿~吉原駅 14.2㎞ 行動時間は5時間11分(昼食含む)

 東向4日間の累計 75.2㎞
 東海道22日間の総合計は452㎞