東海道に復帰 東へ向かいます

朝日の下に、清水駅

辻の一里塚跡、立て看板のみ。

細井の松原跡、無縁さんの碑とは?このあたりに行き倒れの旅人が埋葬されたそうな。

津島神社。集会場になっているよう。

ポツンと名残松

延命地蔵堂、この前で道が分岐。

東海道本線の線路を渡ります。

曲がって行くと、バイパスの高架の下でまた旧国道に戻る。

興津宿に入ってきた

西園寺公望の別荘だった、坐漁荘。まだ開館前。

東海名園の額を掲げた山門が立つ、清見寺。参道を線路が分断。

桟道の橋の下を東海道本線が通る。

清水港には「ちきゅう」が停泊中。

本堂脇には五百羅漢。

羅漢の裏手、高台から見ると、キリンのようなガントリークレーンの姿が見える

新緑に包まれた境内

咸臨丸乗組員の殉難碑

境内からは三保の松原と、清水入江を望む・・・はずだった。興津埠頭のコンテナバースには大型コンテナ船。そして大型倉庫が視界を占める。

「ちきゅう」の奥に見えるのは日本平

興津宿西本陣跡、石柱のみ

こちらは東本陣。本陣と脇本陣じゃないのね。

少し奥に興津駅。以前JRのウォーキングでここから薩埵峠越えを歩いた。

ひげ題目塔が目立つ、みのぶみちの分岐。

宗像神社は船員の守り神だったとか。

興津中町の交差点。ここから国道52号線が北に向かう。何百回この道を走ったことだろう。

東海道はこの先興津川を渡ると少し北へ迂回。

興津川を渡る。そのまままっすぐ進み、薩埵峠へ向かう道もあるのだが。

川沿いを北に向かうと、川越の跡

道端に小堂。牛頭観世音菩薩

瑞泉寺を横に見て、次第に登りにかかる。

道端に秋葉常夜灯

ここから薩埵峠の山道

薩埵峠に到着

まあまあ、よく見えます。

山沿いを進むと、通行止め。この辺りは地滑りが頻発。JRがしばらく止まったこともあった。

伊豆半島がぼんやりと

牛房坂。ここから北に一度下ります。

東名を渡って、薩埵峠に向かう車道に出た。

北から来た元気なランナーの女性。あらあら行けないのね。

車やバイクはここまで。この先に展望台があったのだが今は行けず。

こちらにも古い薩埵峠の道標

ビワ畑にはきれいに袋がかけられ、収穫間近。

倉沢の集落に下りてきました。

倉沢の一里塚跡。ここから間の宿の倉沢

人気のサクラエビ料理の店、二軒あきらめ、由比駅の横をトボトボと。

最後の望みをかけて、由比漁港へ。漁協直営の食堂へ。

120分待ちで、断念。

 

 連休三日目 連休後半はいつものように車中泊での遠征も考えていたのだが、やんごとなき用事がいくつか。結局日帰りばかりとなった。いい天気だし歩こうか、しかし夕刻には用事があるので近場、それなら東海道東進を先に進めよう。三日目は清水から。途中の由比でサクラエビ料理がいただけたら最高。
 7時には歩き始めたい。だがスタート地点の清水駅までは1時間もかからないほどだから6時に出ればよい。近い所は楽だ。前回と同じ、旧東海道沿いの一日500円パーキングに停め、7時スタート。ほどなく辻の一里塚跡。表示が立つだけ。やがて国道に合流するが、細井の松原跡という案内とともに松が一本だけ。横には「無縁さんの碑」が立つ。この辺りに旅で行き倒れた人が埋葬された痕跡があったそうな。小堂などを見ながら進むと名残の松が一本だけ立つ。延命地蔵堂で国道から旧道に入ると間もなく東海道本線の踏切。その先を曲がるとバイパスの下でまた旧国道に合流。この辺り、かつては清見潟と呼ばれた風光明媚な場所だったそうだ。すぐ先には坐漁荘という旧家。明治から大正にかけて首相を務めた西園寺公望の晩年の別荘跡。引退後も影の権力者として政治を動かしたため、ここを訪れる政治家が絶えなかったという。建物は犬山の明治村に移設されたが、のちに全く同じ建物が再現、再建されている。残念ながらまだ公開時間の前。すぐ先には清見寺。参道を東海道本線の線路が分断する。山門を入るとすぐ横には清水次郎長が建てたといわれる咸臨丸乗組員の殉難碑が目立つ。本堂奥には山の斜面に五百羅漢が佇む。寺は高台にあり、正面には三保半島と松原、清水の入り江を望む風光明媚な所だったのだが、いまは正面に興津埠頭のコンテナバース。そして巨大な倉庫で海はほとんど見えない。今日は海洋調査船「ちきゅう」も停泊中ですね。本陣前を通り、やがて興津駅前。そして興津の一里塚跡。そして道標や石柱が立ち並ぶ、みのぶみちの追分。宗像神社の入り口を過ぎると興津中町の交差点。ここから国道52号線が分岐していく。その昔、また新東名ができる前は、山梨、長野に向かう時には必ず通った道。ここまで戻って52号が終わると、ヤレヤレ帰ってきたな、という感じだった。とはいえ、その頃はまだ小一時間かかったのだが。新東名の完成で、新清水ICから52号へ入るようになり、さらには中部横断道の全通で、すっかり52号は走らなくなってしまった。よく立ち寄った角のコンビニで小休止と水分補給。ここからいよいよ薩埵峠越えが始まる。
 興津川の橋にかかるところで、脇の道から女性がひとり。どうやら同じ方向に向かっているウォーカーのようだ。橋を渡って、そのまま峠に向かっていく道もあるのだが、東海道は少し上流に渡し場があって、そこから瑞泉寺のある山側へ少し迂回する。みかん畑の間を少しずつ上っていくと、墓地の先に薩埵峠へ続く山道。ひと登りで薩埵峠の道標。山腹を進むと、通行止めの案内。牛房坂の道標があるところで、その先崩落により通行止め、とのこと。北側の車道へ一旦下りる。東名を渡って、薩埵峠へ至る車道をまた登っていくと、車やバイクが訪れる薩埵峠の駐車場に至る。ここから少し山道を戻ると展望台があるのだが、駐車場の少し先でこちらもクローズ。関東のナンバーのレンタカーのミニバンから男性が5,6人。元気にいろいろポーズをとりながら記念撮影。バイクも数台。富士山の姿は見事。
 由比に向かって下っていくと、両側はミカン畑、ビワ畑。ビワにはみな紙袋がかけられ収穫間近。温州ミカンの花はまさに今満開。倉沢の集落に下っていき、サクラエビ料理の店「くらさわや」に寄るが開店したばかりのはずだが、多くの人が出入り、待っていて、聞いてみると今からだと食べられるのは1時過ぎという。諦めて先に進む。由比の町まで下りてきた。この辺りは何度も歩いたことがあるので、特にどこにもよらず素通り。由比駅の裏にある、人気のサクラエビ料理の店に行ってみるが、やはり食べられるのは2時ころという。失意のうちに線路沿いを歩いて由比漁港へ。そういえば、GWといえば数年前までは毎年「サクラエビ祭」で大賑わいとなったのだが、サクラエビの不漁やコロナ禍で途絶え、ポスターに寄れば今年は6月に一日だけの開催という。漁港の直営食堂も長蛇の列。最後尾に「ここから120分」の看板。「・・・・」まあ、予想はしていたが。

 後半に続く。