昨日の続き、いよいよ鈴鹿越え


朝日の中にやってきた列車を撮影して出発。

駅前からスタートです。

昨日の離脱地点まで戻ってきました。早朝でひとっこひとりいません。

本陣跡など、古い建物はきれいに保存されています。

望遠してみると、町の向こうに山が迫る。

地蔵堂の前では何やらイベントの準備。

西口(京口)までやってきました。

またしても谷口法悦の道標。

いよいよ鈴鹿越えルートに入ります。

ちょっと窮屈そうな「ころび石」全国各地にある弘法大師伝説の伝わるひとつ。

石灯籠と地蔵堂に導かれて旧道跡に入る。

ぽつんと一里塚跡 市之瀬 江戸から百七里

天文台に導かれて道に入ると 日本橋から順に宿場町が書かれた標柱が立ち並ぶ。

そして現れたのは木造校舎 旧坂下尋常高等小学校跡地。現在は鈴鹿峠自然の家。

今回の旅はここからスタートしています。藤枝宿。これまでの道を思い出しながら歩く。

おや、目的地(三条大橋)に着いてしまった(笑) 

坂下宿の中心にやってきた。本陣跡。

松屋本陣跡には集会所

大竹屋本陣跡にはゴミステーション。

本陣の遺構が残るという法安寺

素通りしそうになった道端の藪の中に参道が続いていた、岩屋観音 

清滝の横に立派な観音堂。岩窟に小屋掛けしたようだ。

本堂内は撮影禁止、と書かれていたので遠慮した。本堂脇にはつるんとした丸い岩。お地蔵様のようではあるが。

片山神社に向かって杉木立の中を登っていくと小堂があった。これが片山神社?と思ったら卍が。地蔵堂らしい。

杉林の中の急坂。

片山神社に到着。

鳥居と石段、入り口の構えはとても立派だが、

登っていくと、傾きかけた小堂。背後には国道の高架が聳える。かつては栄えていたのだろうが。

国道の高架の下をくぐり、石段を登っていくと、

明るい小園地に出た。太陽の光をやっといっぱい浴びて、温まる。小休止する峠直下。

芭蕉の句碑。徘徊を始めた頃の句だそうだ。

峠の案内板。その上には馬の水くれ場。荷物満載の馬にとっては、峠道も大変だったことだろう。

峠らしくない、平坦な杉木立の中。ここが峠のようです。

木立を抜けると、いろいろと案内図が。滋賀県に入ったようで、案内がきれいになった。扱いの違い(笑)

ついに近江入り。

巨大な万人講常夜灯。真下に国道のトンネル。トンネル工事に伴って、ここに移設されたそうだ。重さ38トン。どうやって運んできたのか。

ついに滋賀県入り。忍者の里、甲賀市です。

道の傍らに埋もれそうな山灯篭と鳥居。

道祖神と馬頭観音だそうだが、ほとんど姿が見えず。

十楽寺、御本尊の阿弥陀如来坐像は日本最大級、だそう。

山中の集落に入ってきました。すっかり晴れてきたけれど、風は冷たく、強くなった。近江の空っ風でしょうか。

巨大な新名神の高架をくぐりぬけて、 

 

高架の真下に山中の一里塚跡。

櫟観音(いちいのかんのん)への道標

国道からそれて、旧道跡に入ると猪鼻村。取り残されたような街並み。

明治天皇がお休みになったという旅籠、中屋跡。きれいにされています。

榎島神社の巨大な椎の木の脇に旧東海道の説明書き。

蟹坂古戦場跡、何某が何某を撃退し・・・・

高札場の跡の先に海道橋 往時は有料だったそうだ。

渡ると田村神社の参道。なかなか立派。参拝する人も多い。

守護札を求める人が大勢。中央の祈祷殿ではお祓いが行われていた。本殿撮り忘れた。

参道を抜けて、正面に出てきました。

国道を挟んで反対側には道の駅「あいの土山」ここでゴールとします。

バスに揺られて到着した貴生川駅は近江鉄道と信楽高原鉄道が乗り入れるターミナル。こちらはタヌキがかわいい近江鉄道の車両。

草津線にやってきた221系。中長距離型高速車両です。

 


関に戻り、どうしても食べて帰らないと、と探しあてた「亀山みそ焼きうどん」

 

 

関宿に戻ってきた。夕刻が近づき、再び静けさを取り戻している。

 

 夜半まで雨。気温も下がってきたが雪になることはなかった。そして明けると快晴。だが風が強い。北日本は大荒れで、能登の被災地には無情の雪が降りしきるという予報。関宿の道の駅で車中泊し、それから隣の駐車場に移動。駅の売店で駐車料を払って、とのことだったがまだ売店はやっていない。改札の横にあるポストに紙袋が置いてあり、お金を入れてナンバーを書いて投函という登山口によくあるスタイルの料金箱。
 
 7時30分、朝日とともにスタート。今日は東海道西の難所、鈴鹿峠越えだ。まずは関の宿場町、昨日の終了点に戻る。そして宿場街を西に進む。長い宿場街だ。行けども行けども、同じような佇まいが続く。古物商や書店、カフェなどもちらほらと。地蔵堂の前ではなんだかイベントの準備。その前には旅籠山田屋の跡。西の追分にはまたしても谷口法悦の道標。伊賀から奈良へ続く大和街道を分ける。そしてR1沿いに入る。北側の鈴鹿山地には真っ黒な雲がかかり、雲行きは怪しい。風も強く、気温もかなり下がっているようだ。天気は大丈夫かなあと心配しながら山の中の道端を歩く。藤の茶屋跡を通ると、ハイキング姿の男女数名がいた。峠越えかな、と思ったがしっかり山支度。筆捨山など周辺のハイキングに行くようだ。市之瀬の一里塚跡は標柱のみ。そこから坂下宿へ旧道を入っていく。しばらく進むと天文ドームが見えてきた。小学校の跡地を自然学校に利用しているそうだ。トイレを拝借。その入り口の坂には、日本坂から宿場の名前が刻まれた柱が立ち並んでいた。藤枝宿からこれまでの道を思い出しながらたどる。学校跡地の前には鈴鹿馬子唄会館と呼ばれる立派な施設がある。しかしどちらも全く無人の様子。坂下宿から先は柱が無くなり、最後に「三条大橋」いきなり到着。
 坂下の宿場町に着く頃には太陽も出てきて、心配した天気も大丈夫そう。やっと暖かくなってきた。京から鈴鹿を越えて、ひと安心の宿場として盛況だったそうだが、明治時代に衰退し、今は見る影もない。人の気配もなく廃屋も多い。旧東海道から旧道に戻るところで、横の藪に鉄格子の扉。これなんだ?とのぞいてみたら木の間に「岩屋観音」の標柱が立っていた。藪をくぐって入ってみると、中はなかなか手入れされた観音堂。すぐ脇には滝が落ちている。撮影禁止と書いてあったがそもそも観音堂に入れるのか?と思ったらつっかい棒を外すだけで扉が開いた。三体の石仏が祀られていた。本堂の脇には大きな丸い岩に小堂が架けられていた。お地蔵様のようにも見えるが、顔もなくのっぺらぼうのよう。謂れも不明。いよいよ坂も急になり、すっかり山の中。R1は目の前の山肌に上下線それぞれ二車線で走っている。下り車線の脇を登っていくと片山神社の案内。杉木立の中を登っていくと、立派な石段と鳥居、すぐ上には国道の高架が走る。石段を登っていくと、広い段にはかつて多くの社殿があったのだろうが今は更地、一番奥の本殿は傾きそうな状態。入り口の立派さに比べて、御本殿はちょっと・・下の愛宕神社は新装されたようできれいだったが。
 つづら折れの林の中を登っていくと、国道の高架。その下をくぐり階段で国道わきへ出ると、日当たりのいい小園地。ベンチがあったのでひと休み。気温が低く、日当たりの悪い林の中を通ってきたので体はすっかり冷え切っている。太陽を浴びて生き返るよう。ついでにやっと持ってきたおにぎりで補給。ちょうど11時。関の駅から3時間を歩いてきた。峠まであとわずか。一休みしていると峠から女性が一人歩いて降りてきた。片山神社への降り口がわからずウロウロしていたので、こっちですよ、と伝える。今日は水口から来て、関までの予定だという。京都から順につないできたそうで、私たちとは反対。いろいろ話をして、やがて下っていった。さて、予定通りというより少し早め。順調に土山まで着きそうだ。できればもう少し水口方面へ歩を進めておきたいが。土山の道の駅を目標としそこで考えよう。出発するとすぐに芭蕉の句碑「ほっしんの 初にこゆる 鈴鹿山」芭蕉42歳、一念発起して旅に出ると思い立ち、初めて越える鈴鹿峠で詠んだという。私も東海道踏破と思い立っての鈴鹿峠。これを越えればいよいよ滋賀県、関西地方に突入。はるばる来たなあという感じ。ひと登りで平坦な森の中。峠、という風情はあまり感じられない。杉木立の中には峠から登る山への道標と鈴鹿峠の説明書き。意外にも「峠」と示す道標などはない。周囲の木立の中には石垣に囲まれた平坦地が見られ、かつては茶屋などもあったのだろう。すぐ先、森から抜けると巨大な常夜灯が立つ。自然石を積み上げたような姿だが、総重量は38トンという。金毘羅参りの講中が寄進して江戸時代に作られたという。その真下には国道トンネルの坑口。工事に伴って、ここに移設されたそうだ。国道には「滋賀県 甲賀市」の標示。ついに滋賀県入り。
 国道端をどんどん下る。天気はすっかり良くなったが西風は強くなった。冷たい風が正面から吹き付けてくる。山中の集落に入ると目の前に新名神の高架が見えてくる。遥かに高い橋脚の下をくぐりぬけると山中の一里塚跡。さらに旧道の名残をたどって猪鼻村。旅籠や立場の跡をたどる。シイの木が立派な榎島神社からまた旧道へ。工場の間を抜けていくと田村川に架かる海道橋を渡って、田村神社に到着。参拝の人が絶えず通る参道に合流した。坂上田村麻呂を祀る土山の鎮守となる神社。初詣でなかなか賑わっている。祈祷殿では大勢がお祓いを受けていた。巨大な破魔矢をくぐり本殿に参拝。参道を南へ向かうと正面が「道の駅 あいの土山」目標としていたゴールに到着。13時20分。ここからさらに道は西に続いているが、関へ戻るにはここから貴生川までバスに乗りJRを乗り継ぐ。バスの時刻を見ると、13時35分。あと20分ほどで発車する。次は1時間後だ。とにかくこれに乗ろう。と昨日と全く同じパターン。もう少し距離を伸ばして次の水口宿に近づいておきたかったが、体も冷え切って低体温症寸前。目標としていた地点なのでここで良しとしよう。道の駅でうどんか蕎麦を食べようか、と思っていたが時間的に厳しい。また今日も売店に売られていたおにぎりとおいしそうなあんこ餅を買ってバスへ。おにぎりは出来立てなのかまだほのかに温かかった。多分に漏れずバスは無人。またしても私たちだけ。途中のバス停で数人が乗り降りし、30分ほどで貴生川駅に到着。10分の乗り継ぎで草津線に。20分ほど東へ走り、柘植駅で関西本線に乗り継ぎ。草津線は6両編成の中長距離型電車221系だったが、関西本線の亀山行きはディーゼル2両のワンマン車両。なかなかの混雑だが、乗り降りは先頭のドアだけ。関の一つ手前、加太駅でスーツケースを転がしながら若い女性が降りて行ったが、切符も出さずにさっさと行こうとするので運転手が引き止める。しかし中国人?しばらくやり取りの後、現金を受け取り運転手が両替、お釣りとともに渡して戻ってきた。ワンマンだと運転だけでなく、こうした客とのやり取りも全部やるんだから大変だなあ。わけわからん外国人も増えてるだろうし。支払いシステムも、きちんと切符を持っている者、切符はあっても乗り継ぎの運賃が必要なもの、ICカードの者、整理券を持っていて現金で払うもの、など色々いて、そりゃ大変だあ。3時関駅に到着。ヤレヤレ、無事に戻ってきた。待合室に見覚えのある姿。鈴鹿峠ですれ違った女性だ。無事に関まで着いたようで下り列車待ちのようだ。
 結局、しっかり休んだり食べたりする間もなくここまで来てしまった。「亀山みそ焼きうどんを食べる。」ということで、近くに喫茶店を見つけ行ってみる。地元の常連さんが集う店、という感じの喫茶店で人気メニューという鉄板ナポリタンと亀山みそ焼きうどんをいただく。どちらもおいしくいただきました。そのあと、昨日発見できなかった、東の追分にあるはずの一里塚を見に行く。鳥居の奥の木の根元にぽつんと「一里塚跡」の石柱があった。

 土山からもう少しでも先に歩を延ばしておきたかったが、まあ計画通り。ただし次回はまた今回のバスにお世話になって、田村神社まで戻ってスタートとなる。草津まであと40㎞ほど。京都まではあと4,5日だろうか。

 今日の記録 関宿~鈴鹿峠~土山田村神社 16.3㎞ 行動時間は5時間12分(移動時間は含まず)
 14日の累計 267.9㎞

 七里の渡し区間の陸路を含めると 310㎞。ついに300㎞超え