富士川町高下「日出る里」でダイヤモンド富士を期待したが、富士山全く見えず。どうにか日は昇ったが。

雲の下に富士山があるはず。

林道を上がっていくと、真っ白な山の姿。正面は笊ヶ岳と布引山だろう。右端に見えるのは天狗岩。その下に峰山の集落が見える。

大八坂の登山口。蛾ヶ岳まで5㎞ほど。

御坂の縦走、というとこの辺りも含めて歩く人がいるようだが。

冬枯れの明るい尾根。しかし北風が吹き抜けて寒いです。

地蔵峠の大ツガ。地蔵峠という割に、地蔵はどこ?と思っていたのだが。

大平山の肩にあたる、折門峠。ほとんど読めない古い道標があちこちに立っている。

木々の向こうに南アルプスが白い。

山頂直下、北斜面にはうっすらと雪が残っていた。

到着です。約90分。北風が強烈に吹き抜けます。展望は最高だけれど。

甲府盆地を一望。正面には八ヶ岳。稜線は強風地獄だろうなあ。行かなくてよかった・・・たぶん。

ひっそりとお地蔵様。昭和54年に奉納されたという、新しいもの。

山梨百名山標柱と、その向こうにドーンと富士山。

山の神の祠が北向きに立つ。

雲をまとっていたが、見る見るうちに姿を変え山頂が顔を出していく。

白根南嶺あたりの稜線。左のデカいのは荒川岳か?

北岳あたりは雲の中か。どこも今日は寒そうです。

さて下山。ずっと富士山が木立の向こう。すっかり雲が取れてきた。

いかにも冬富士の厳しい顔つきになりました。

「この付近 鴨の猟場として知られています。」という看板。カモ猟もすでに廃れてしまったな。

地蔵峠で大ツガの根元の岩をまじまじと見る。これ、六面六体地蔵ですね。みんな首がないのが痛々しい。

賽銭の中に紛れていたのは「寛永通宝」だいぶ朽ちたのもあるが、しっかりしたのもある。田舎では昭和初期まで使えたというから、そんなに古くないのかな。それにしても100年ものだけど。

大八坂の登山口まで戻ってきました。ここまでくると富士山は頭の上だけ。

帰り道、本栖湖畔から見る「子抱き富士」

隣は竜ヶ岳。今年はダイヤモンド富士で大賑わいだったそうだ。「竜」の年だったし。

 

 初日の出、初詣は番外として、今年の初登り。正月休みで体も鈍って重くなり、早出もきつい。おまけに強い冬型になり高い所では風が強いようだ。昨夜の雨は高い所では雪になっていることだろう。
 今年の登山の目標は・・・これといって大きな目標はないのだが、逆に目標がないと漫然としてしまうので、とりあえず、未踏の山、ルートを一つ一つ丁寧に。愛すべき山は何度でも。「なんとなく」登らないように大切にしていこう。と、正月のいろいろな事件を見て思った。そういえば大惨事の扱いが大きすぎて、今年は全く山での遭難のニュースを聞かなかったが、正月の山での事故はなかったのだろうか。

 さて、初登りは未登の山へ。御坂山塊の西端、蛾ヶ岳。どこまでが御坂山地になるのかは定かでないが、精進湖北側の三方分山から三ツ峠、さらに北に進んで本社ヶ丸までは足跡がつながっている。三方分山の北側の釈迦ヶ岳にも林道の峠から登っているが、蛾ヶ岳は登っていなかった。北側の麓に四尾連湖があり湖畔にはキャンプ場があるのだが、その昔、家族でキャンプをしていたころ、見に行ったことがあった。ちょっと様子を見たかったのだが、車を停めた途端に管理人らしき人がやってきて駐車料を払えという。ちょっと腹が立って、そのまま帰った。以来行っていない。蛾ヶ岳に登るにはここからがメインルートなんだが、登山者も同様に駐車料をとられるそうだ。
 で、四尾連湖からではなく、東側の稜線伝いに大八坂の林道から登ることにしよう。

 早起きして、まず向かったのは富士川町の高下。「日出る里」として、ダイヤモンド富士が見られるポイントとして有名になった。「ゆるキャン△」の影響も大きいが。かつては「ゆずの里」として山間の静かな集落だったのが、東側が開けたポイントは盛大に駐車場が作られ、トイレなども整備された。わんさか人が訪れるのは年に数日だろうが、その数日のために整備せざるを得ないのだろう。公式には駐車場60台、と書かれていたが、今日は数台。7時に着くと、東の空は雲が多く、これから太陽が昇るところ。残念ながら富士山の姿は見えない。日の出は見れらたがダイヤモンドどころか、富士山は影も形も見えなかった残念。
 R300に戻り、古関から山間に。さらに林道に入りグングン高度を上げると、開けた西側には真っ白な山がみえた。白根南嶺から笊ヶ岳あたりまで、昨夜の雨で真っ白になったようだ。反対側正面にはこの春に登った五老山から毛無山の尾根。1500mから上あたりは霧氷になったようで白い。山中あちらこちらに、天空の集落、なんて言われる集落がポツリポツリと。大八坂の集落のすぐ上に登山口。東に向かえば釈迦ヶ岳から三方分山を経て、御坂の主稜線へ。西に尾根伝いに蛾ヶ岳まで約5㎞。ここまで来て、地図アプリに地図データをダウンロードしてなかったことに気付く。しかも電波がない。林道をウロウロして、アンテナ線の立つ位置を探し、なんとかダウンロード。そんなこんなで、出発は9時30分近くになってしまった。まずは40分ほど、斜面をトラバース気味に地蔵峠まで。巨大なツガの古木が立ち「ツガン峠」とも呼ばれて、古くから交易があった道らしい。稜線にのると北側からの風を受ける。冷たい風が唸りを上げて吹き付け、寒い。冬枯れの木立の向こうに遠くの山が見えるがどこも白くなった。振り返ると御坂の山も、王岳だろうか、真っ白に見える。落ち葉が風で吹き寄せられ、深い所では足首が埋まるほど。今日はまだ誰も歩いていない様子。大平山のピークを巻くように進んでいくと折門峠。ゆるゆるとアップダウンを繰り返し、約40分。最後の急斜面に入ると背後に富士山が見え始める。中腹より上に雲をまとって真っ白に光っている。最後の急登をがんばって登りきると山頂。周囲が切り開かれ、大展望が広がるすばらしい山頂だ。しかし今日は冷たい風が吹き抜ける。甲府盆地を見下ろし、その向こうには八ヶ岳、奥秩父。どちらも山頂部は雲がかかり、どこも稜線は強風地獄だろう。西側には南アルプスが光る。主稜線は真っ白になった。手前の櫛形山あたりもうっすらと白い。そして振り返ると富士山。正面には三方分山、となりに竜ヶ岳から雨ヶ岳、毛無山に至る稜線。さらに大ガレの頭から五老山に至る尾根。頂上部はどこも白い。南斜面は急だがあちこちに切り株があって座れる場所がある。風が当たらなくて陽だまり。正面には富士山。最高のロケーションだ。荷物は転がっていきそうだが。以前カメラバックを転がしたことがあるので、すぐ横の小さな切り株にビレイする。コーヒーを飲みながら富士山を眺めていると、ご夫婦らしき男女が四尾連湖側から登ってきた。今日初めて出会った人。山頂をしばらくうろうろしていたが、やはりここでは休めないと思ったのか、下山していった。次第に富士山からは雲が取れていき、山頂も顔を出し始める。40分ほど眺めていたが、それでも寒いので下山開始。下っていくと、木立の向こうに富士山が見え続けるがどんどん雲が無くなっていく。もうちょっと粘ればよかったかな。30分ほどで折門峠。その手前で若い男性二人とすれ違う。どこから上がってきたのかな。さらに10分ほどで地蔵峠。地蔵峠という割に地蔵がないな、と思っていたのだが、よく見ると大ツガの根元に不思議な形の岩があり、賽銭が供えてある。よくよく見ると、六面六体地蔵ですね。気の毒に見事に六体とも首は打ち欠かれている。なんでこうなるかなあ。廃仏毀釈運動の名残だろうか。山中の仏はこういうのがほんとに多い。賽銭の中に穴が四角い銭がある。寛永通宝だ。江戸時代に広く使われ、地方では一部昭和初期まで通用していたという「ザ、古銭」六体仏とともになかなか興味深いものだった。
 あとはトラバース道を落ち葉を蹴散らしてどんどん下り、1時過ぎには大八坂の登山口に戻ってきた。登山口までくると富士山はもう頭の先しか見えない。

 歩行距離は9.8㎞ 行動時間は3時間42分。 累積登高は560mでした。

 R300に戻り、本栖湖へ。予想通り、湖畔からは絶景の富士山を見ることができた。