まだ明けやらぬ七里の渡し跡 陸路で桑名までつなぎます。

熱田の追分。正面の杜が熱田神宮。

熱田神宮の前を通り抜けて、

R1から佐屋街道に入る。高速のガードをくぐり、古い街道に入っていく。

唯然寺の山門横に津島街道一里塚の碑。五女子の一里塚。

道の反対側には佐屋街道の説明板が立っている。

中川運河を渡ると、高層ビル群の上には雪雲が速いスピードで流れていく。

名鉄のガードをくぐると松並木跡。松の木が二本立っているだけ。

岩塚の七所社標。正面に高速ガード。その奥に七所社。

立派な七所社で小休止。

万場川を渡る。

秋葉社の横には万場の渡しの説明板。

万場の国玉神社。地元の人たちが掃除をしていた。

三重の塔が見える、立派な光圓寺

十二所神社の鳥居。神社はどこに?

砂子の地蔵堂。西に曲がる。

七所社神社のすぐ向かい側には、

ぽつんと、一里塚跡。千音寺の一里塚。民家の駐車場に棒が一本だけ。

八剱社。真ん中の堂は傾いて・・・いますよね。

「あま市」に入る。こんな地名があったとは。「あま市七宝町」七宝焼の発祥の地だそうだ。

神守(かもり)の一里塚。この街道で唯一現存する塚だそうだ。塚の木はムク

神守の憶感神社、隣は吉祥寺

地蔵堂の横には大きな屋台倉庫。

神守の宿跡。間の宿の役割を担っていたそうだ。

穂歳神社。寺や神社ばかり。

日光川を渡る。

日光橋の歴代の主柱がセイタカアワダチソウに埋もれている。説明板も劣化して読めなくなる寸前。

古い道は寸断。道標には「左さやみち」と書かれているが道は全く消えている。正面には津島神社の常夜灯。

これは、津島神社の一の鳥居の礎石。伊勢湾台風で倒れてしまったそうだ。

田んぼの真ん中の一本道を進んでいくと名鉄の踏切。

佐屋海道址の碑。もうすぐ佐屋の三里の渡しに着く。

佐屋の町なみ。なぜか、七国山病院のバス停。窓の中にはカオナシがいる。

くひな塚とは?

松尾芭蕉の句碑が立つくひな塚 

佐屋の船場道道標。屋敷跡から移設されたそうだ。

きこくの生垣。江戸時代と同じ姿が残るそうだが。

代官屋敷跡

佐屋三里之渡址 周囲には水らしいものは何もないのだが。

3キロほど南下し、R1に合流。尾張大橋で木曽川を渡る。

ついに、桑名。

伊勢大橋で長良川、揖斐川を渡る。風が強くて、歩道橋は恐怖。

長良川河口堰。伊勢大橋は架け替えなのか、橋脚ができている。

やれやれ、やっと渡り終えた。

六華苑に到着。

木曽三川の雄大な景色。

桑名の七里の渡し跡に到着。前回の行程につながりました。

桑名城ものんびりとひとまわり。

本多忠勝公にもお目にかかれた。

春日神社も今日は静か。

今日は近鉄。急行で名古屋へあっという間。

熱田神宮にお参り。

 

 昨年のこの週末は強い寒気団に覆われて東海地方でも雪、西丹沢で雪を楽しんだ。


 昨日までは、暑いほどの気温。今日は一転して低気圧が発達して強い冬型となり、日本海側は大荒れのようだ。風も強く、どこの山も厳しい状態だろうなあ、ということで平地にシフト。「ツレテケ」は社員旅行で福岡に飛んで行ってしまい、ひとりで平地歩き、いや走り。東海道の熱田、宮宿から桑名までの七里の渡しは、海上ルートだから、これは歩けなくても仕方ないと桑名から歩き始めたが、軌跡マップを見るとやっぱり足跡が切れているのが気になる。



 この区間は、七里の渡しの欠航があったり、舟嫌いの人とか、そもそも船が無理な大名行列とかが利用した脇街道がある。やはり、熱田と桑名の間もつないでおきたいなあ、というわけで自転車で出かけることに。国道一号線を走れば25キロほどだが、佐屋街道と呼ばれる、佐屋の三里の渡しに至る道は名古屋の北に迂回。さらに佐屋から桑名までの渡し区間をつなぐと、計40キロほどになるか。

 早起きして、なるべく下道を走って名古屋入り。熱田神宮最寄りの宮宿、七里の渡し跡に6時30分に到着。前払いの駐車場は24時間で400円。まだ薄暗い駐車場で準備をする。風が強く寒い。R1を渡り、熱田の追分から熱田神宮の横を通り抜ける。しばらくR22沿いを走る。尾頭の交差点で左折。佐屋街道に入る。名古屋高速のガードをくぐると街道らしい雰囲気になってきた。間もなく五女子の一里塚跡。「津島街道一里塚」と書かれた碑が立つ。反対側には佐屋街道の案内板。東海道の脇街道として一定の需要はあったようで、往時はそれなりの賑わいを見せていたらしい。だが、さすがに往時を偲ばせるものはあまり残っていない。中川運河を渡ると、名古屋中心街の高層ビルの上には雪雲。名鉄の烏森駅を通り抜けると、松並木の痕跡、2本の松がぽつんと立っている。岩塚に入ると七所神社の道標。名古屋高速万場大橋のガードをくぐると七所神社。トイレを借りて小休止。
 大きな万場大橋を渡り、渡しのあった元の街道に復帰。目の前に塔のある大きな寺院が見えてくる。その脇の国玉神社は地元の人が掃き清めていた。ふたたび高速ガードをくぐり、北へ。砂子橋を渡ると寺や寺院が立ち並ぶ通りへ。西に通りは向きを変える。名二環のガードをくぐると千音寺の一里塚跡。民家の駐車場に細い標柱が一本立っているだけ。大きなカーブを描いて北に向きを変えると、狐海道東という交差点。そして道は西へ進む。まっすぐ西へ進む道をゆくと「あま市」そんな名前の自治体があったんだ。そのうちに地名が「七宝」っていえば、七宝焼?と思っていたらやっぱり。交差点の角に「七宝焼原産地」という標柱。このあたりで七宝焼が創られ始めたそうだ。だんだん建物が少なくなり、開けてきた。風当たりが強い。遠くの山は雪雲に覆われている。やがて、神守の一里塚。この街道で唯一現存する一里塚だそうだ。やがて宿場跡。
 日光川を渡ると旧埋田村。佐屋街道は市街地化に伴って、道の姿を消している。わずかに残る痕跡をたどる。津島街道との追分には道標が立ち、「左さやみち」と書かれているが、その佐屋街道は全く姿を消し住宅が立ち並んでいる。その奥には津島神社の常夜灯。さらにその先に礎石だけ残った、石鳥居。伊勢湾台風で倒れてしまったそうだ。コンビニを見つけてやっと小休止。すでに20キロ以上進んできた。民家の間の細い道をくねくねと進み、田んぼの真ん中の道を進んでいくと名鉄の踏切。この辺りも元の道は切れ切れになっているらしい。佐屋海道址という碑を曲がり、ラストスパート。松尾芭蕉の句碑が立つ「くいな塚」を見て、間もなく「佐屋三里の渡し跡」辺りは地形が全く変わり、渡しどころか、海も川も全くない。往時はここから佐屋川、木曽川と下り、水路を経て桑名へ抜けたらしい。女性が一人、碑の写真を撮っていた。近くに男性もいて、「こっちだこっちだ、」と言っている。女性も「これよ、これ。」と言っている。三里の渡し跡を見に来たのだろうが、ほんとにいくつかの碑以外に当時を伝えるものは何もない。まだ10時過ぎ。桑名まであと10キロほどだろうか。お昼までには着きそうだ。木曽川沿いの(といっても川は全く見えず)道を南下すると、北西風が背中を押してくれて、グングンスピードがのる。30分ほどでR1に到着。コンビニで大休止。サドルで尻が痛い。
 11時、木曽川に架かる尾張大橋を渡ると川上から吹き降ろす風でバランスがとりにくい。歩行者自転車橋は意外に欄干が低く、バランスを崩したらそのまま川に落ちそうで肝を冷やす。遠くに長島スパーランドのコースター群を見ながら進み、今度は長良川、揖斐川に架かる伊勢大橋。やっぱり風でよろよろしながら走ると後ろから高校生らしい男女が、あっという間に追い越していった。11時25分桑名の六華苑に到着。国営木曽三川公園でトイレを借りて小休止。やっと着いた。前回よりも良い天気。七里の渡し跡へ。さらに前回は先を急いであまり見なかった桑名城址や九華公園へ。本田忠勝の像も見れた。桑名駅に向かい、昼食をとろうと食事処を探すが、意外に何もない。うろうろしてやっと牛丼チェーン店を見つけて、ワンコインランチ。店はなかなか盛況だった。せっかく桑名に来たら今度こそ、ハマグリ、と思っていたのに結局かよ、と思いつつ空腹には勝てず。駅に戻り自転車をたたみ輪行体制に。近鉄の急行に乗って15分ほどで名古屋へ。さらに名鉄に乗りかえて、神宮前に戻るが、名鉄の名古屋駅で、神宮前に行ける列車はどの線のどの列車?うろうろして、やっと豊橋方面行の名鉄本線を見つけ乗る。車に戻るのに、熱田神宮の中を抜け、ついでに、いやしっかりと、参拝。車に戻ってきたのはちょうど2時。

 佐屋街道 熱田~佐屋(三里の渡し跡)佐屋~桑名 走行距離は42.1㎞ 行動時間は5時間22分 でした。

  

 今日の区間を加えると自宅からの13日間の総移動距離は271.4Kmとなった。