18年ご依頼が続いていた朗読奉仕員養成講座ですが、今年から形を変えていくことになります。
これまで、朗読講師である私が全10回を担って講座をさせていただいていました.
講師依頼の都度「わたしでいいのですか?」と毎回お聞きしてきました。
それは、奉仕員の活動が、近年音訳に特化していっている現状の中の危惧でもありました。
情報をお伝えする読み方として音訳は有効な技術です。
情緒をお伝えする読み方として、作品に寄り添ってその世界を構築していく朗読も大切な技術です。
講座ではそのどちらにも利点があることを伝え、読み分けていく形を推奨していました。
今年も1月にはすでにご依頼をいただいて告知記事もできあがったころ、
講座を音訳の方向に見直してほしいという意見がグループ役員さんから浮上したとご連絡があり。
ならば、そのように音訳講師のお手配をどうぞ、私はかまわないので、外してくださって大丈夫です、とお願いしたところ、話し合いの席に同席をと。
ん~(・・?
依頼元のやり方に疑問をもちながらも同席しました。
話し合いの主は、グループの活動を利用する方々の減少への対応でしたが、講座も活動に添った人材だけにしぼってほしいとのこと。
すでに奉仕員のグループには、県外講習で音訳指導者の資格をとったお二方がいます。
外部から音訳の講師をお招きできる予算立ては難しいだろうしグループ内指導者のほうが様子がわかることは明らかなので、
来年からは講座を担っていただきたいと発言もしました。
その場でおふたりは躊躇をなさっていましたが、後日、ご了解いただき、その打ち合わせをしてきました。
今年度はその過程措置として、数回、発声法やコミュニケーションの分野でまだわたしが関わってまいります。
募集告知には、私の名前が出ておりましたので、「朗読」を習える!と思う方が飛び込んでくるというのもグループの方々には、迷惑なことのようでした。
あ。そっかぁ。そこか・・・。orz
25年前、わたしが入った頃の朗読ボランティアグループは、対面朗読が主体活動クループでした。
眼で見ることが困難な方々と、電話や、ご自宅や公民館で行われる対面朗読や、
ご一緒にでかけるリクリエーションで、コミュニケーションをとることのほか、その合間に、という形で録音した音声をカセットテープで送っていました。
友人としても、一緒にカラオケにいったり、観劇にいったりする間柄の方もいました。
人生の先輩としてお話をしてくださる方もいました。
「夕暮れのにおいがしてきますと人恋しくてね、5分、はなしあいてをしてくれますか?〇〇作品の余韻がまだありましてね。読んでくれたその声が聴きたくてね、妻に、電話をかけてもらいました」と
耳におだやかに聞こえてくるお声はこちらが癒される時間でした。
副音声を個人依頼で何度かしてくださった年下のご夫妻と出かけた時など、
晴眼のご主人がとなりにいるのに、「同行は、のりえさんにお願いするから~ね?」と肘に手をまわしてもらっていた時には嬉しかったり照れたりしていました。
彼女の天国への見送りのときは、しばらく、泣きとおしました。
けれど、時代は移り変わり、録音は、カセットからCDやデータに。読み方も音訳に。
機器の入れ替えに苦慮しているとのご相談には、その翌年の代表をお受けして補助金事業を展開し一式をそろえました。
そこから、録音が主になったことで電話対話もなくなり、コロナ禍に見舞われてからは、対面朗読も数年の中止、
利用者の皆さんお高齢化もあり、一緒に出掛けるリクリエーションもなくなり、いっそう、活動は録音物を作る活動に特化していきました。
グループ内学習は、音訳テキストでするようになりました。
そうなると、いよいよコミュニケーション朗読ではなく、音訳講座でないと活動の入り口になりません。
わたしはあくまでも、コミュニケーション朗読の講師なので、違和感も増えてきていました。
人数の多い団体の運営は、ほんとうに難しいものだと思います。
録音物を利用してくださる人数が減っているのなら、なおさら、
原点回帰、今登録なさっているお一人お一人に特化した録音物が製作できるはず、いまこそなのになあと
思ったりもするのですが・・・。
むかしをなつかしんでも、せんなきことですね。
そんななかでも、真摯に活動を牽引しながら音訳講師の資格を取ったとお聞きしたお二人に、もうバトンタッチしなければと思うようになりました。
数年前から、交代をちょこちょこ打診していたのですが、控えめなお二人はちっとも乗り気になってくださらない、
そこで、今回は、もう疲労困窮を前面に持ち出してお願いしました。(実際、孤軍奮闘は限界でした)
お優しい二人はそれではとようやく腰を上げてくださったわけです。
すでにグループの学習会では指導の立場で手腕を振るっているお二人です。
すぐにでも、講座を請け負っていただけるお力をお持ちなのです。ありがたき。
思えば、お教えする立場になるということがこれほど、学びが身に入る方策になることを知った15年でした。
振り返れば、どこにそんなエネルギーがあったのかと思うほど。
同行援護もヘルパーも資格をとりました。
音訳分野を学ぶために音ボラネットの講習にも飛んで歩きました。(笑)なつかしい。
そのための交通宿泊費等の費用を稼ぐために、また大いに働きました。元気だったなぁ。。(遠い目)
おかげさまでございます。役目が終わればそのことは自然と手から離れるもの。
放たれて空いた手のひらで合掌をします。すべて、感謝。
アドバイザー時代にご相談されていた
音訳じゃなくて朗読が聴きたい、やりたかった、というお声には、
お答えできる道をゆるやかに模索していきたいと思っています。