義章が25歳の時、事実上の正室だった若狭廸(みち・14歳・満繁の娘)と婚儀を挙げる。
義兄満宇と正室の柾(まさ22歳・加藤氏の娘)を媒酌人に挙げた結婚だったが、実は既に廸のお腹には、新しい命が宿っていた。
満宇と柾は10年前、十郎夫妻からの生前、満宇の元服(義章と一緒)と共に挙げていて、翌年には、嫡子の乙輪丸と霧の男女の双子が生まれる。満宇の加冠には祖父の十郎、義章の加冠には、老いながらも朽木谷にやってきた藤十だった。また、賓客には、蒲原四郎五郎もいた。
下戸の十郎から、酒を控えるように言われた為、盃には水を入れ、酔わない様にしていた。父義綱は上戸だった為、酒の善し悪しを解した上での、配慮だった。
一方で息子の満繁や孫の満宇・廸は、節(とき・十郎の妻・源章経(みなもとのあきつね)の娘)の血を濃く受け継いだのか、酒をよくたしなんだ。
母(満繁の妻・幸(ゆき) 源経方(みなもとのつねかた)の娘)に似た廸は、色白で京人(みやこびと)に負けない気品を持ち合わせる女性だった。一方で計算も強く、弓手の才(ゆんでのさい)も薙刀も優れた、文武両道の人であった。
義章の家庭には、家宰(かさい)は必要無かった。食の確保には、自らの弓で猪や鹿等を狩り、料理としつ振る舞った。かといって狩り過ぎることはなく、命を慈しむ女性でもあった。
猪や鹿を狩るのは増えすぎ防止の意味もあり、現在の《ジビエ料理》に似た側面はあった。
*源章経は源経方の父。節と幸は叔母と姪にあたる*
*蒲原四郎五郎平師寧(かんばらしろうごろう・たいらのもろやす)は平師訓の嫡男*